大国の王太子③
リリアンヌ視点
「…あの、ブライアン様」
しばらくしてから、リリアンヌはそっと口を開いた。
「もしかして…助けてくださったのですか?」
ブライアンと、約束なんてしていない。
たまたま自分に気付いて、声をかけてくれたのだろうか。
「なんだ、あの馬鹿は…気持ち悪い奴だな」
ブライアンは手を離しながら、ちらりと背後に視線を向けた。
「……」
思った以上の毒舌に、静かに驚いた。
「君は、いつもあんなのに絡まれているのか?」
「いいえ…登城するようになってから、初めて話しかけられました」
「あんなもの、無視して構わない。次にまた絡まれたら、僕の名を使え」
「…ブライアン様が通りかかってくれて、助かりました。ありがとうございます」
ブライアンが来なかったら、
あそこでずっとチャンの話を聞くことになっていたかもしれない。
「君と約束があったのは、本当だ」
「えっ…?」
「ルイージ宰相から、何も聞いていないか?」
「…はい」
「…とりあえず、部屋に入ってから話すか」
ブライアンは、迷うことなく客間の扉を開けた。
「…!」
室内にいた使用人たちが、さっとその場で頭を下げた。
「すまないが、全員部屋から出てくれないか」
「承知いたしました」
「ああ…リリアンヌの昼食は、準備してやってくれ」
「ブライアン殿下は、いかがなさいますか」
「僕はいい」
「かしこまりました」
「……」
すごい…
素早く、てきぱきと指示を出している。
自分には、決して真似できない。
「…あ」
リリアンヌは、はっと扉の方へ振り向いた。
「シャル、ムロバン」
ちょうど出て行くところだった騎士二人を、小声で呼び止めた。
「さっきは、ありがとう。とても助かりました」
「……」
シャルとムロバンは小さく眉を寄せ、じっとリリアンヌを見下ろした。
「…?」
何か言いたそうな顔だ。
「リリアンヌ」
「あっ…はい!…また、後で。本当にありがとう」
リリアンヌは二人の返答を待たず、ブライアンのもとへ向かった。
それと入れ替わるように、使用人たちが部屋から出ていった。
「昼の時間に訪れて、すまなかったな」
ブライアンは椅子の背に肘をつき、足を組んで座っていた。
その無作法さえ、様になっている。
「僕のことは気にせず、食べてくれ」
そう言って、テーブルに準備されている料理を手のひらで示した。
「…ブライアン様は、どうなさるのですか?」
リリアンヌは尋ねながら、ブライアンの正面に腰掛けた。
「僕は食べてから来た。気にするな」
「……」
大いに、気にする。
「もう、僕と君二人しかいない」
固まるリリアンヌに、ブライアンが小さく笑った。
「二人きりなら、作法も何もないだろう」
「…はい、分かりました」
とりあえず、隙を見て食べよう。
いつものように黙々と食べていたら、気まずくて仕方ない。
「本当に…精霊を見つけたんだな」
「え」
「…そんなふうに光っているのか」
ブライアンの目は、肩に乗るスノウへ向けられていた。
「気にせず君に触れてしまったが…もしかして害すると勘違いされたら、攻撃を受けていたのか?」
「ええと…スノウは、私の気持ちを理解してくれていて」
「スノウと言うのか?」
「あ、はい」
「いい響きだ」
ふっとブライアンが優しく微笑んだ。
「話を遮ってすまない。加護があると、意思疎通が図れるということか?」
「完璧に理解することはできません。だけど、何を考えているかはなんとなく分かります。それはきっと、スノウも同じです」
「へぇ…すごいな」
「ですから、ブライアン様へ攻撃することは、あり得ないです」
「あり得ない?」
「私が好いている人には、攻撃したりしません」
リリアンヌは、何気なく答えた。
「それは、光栄だな。好いてくれているのか」
ブライアンが、嬉しそうに頬を緩めた。
「あっ…!ええと、この好いていると言うのは」
「分かっている。ロデオ総長やサイラスにも攻撃しないということだろう?」
「…はい。そういうことです」
「もしあの変態文官が君に触れていたら、スノウは攻撃したのか…」
「変態…文官」
またブライアンらしからぬ言葉に、思わず笑みがこぼれた。
「笑いごとではない」
ブライアンは眉を寄せ、溜息をついた。
「さっきの件は、ロデオ総長に報告するからな」
「えっ」
「当たり前だろう。あの変態は、明らかに君が図書室にいることを知っていた」
「…いつから見ていらしたのですか?」
「君の前に立った護衛たちが、変態文官と喧嘩しそうになる辺りかな」
「……」
それなら、ほぼ初めからだ。
「リリアンヌ、手が進んでいない」
「あ…はい」
ようやく、パンを口に運んだ。
いつものように、柔らかい触感で美味しかった。
「ロデオ総長の気持ちも、分からなくないな…王城すらも、今の君にとっては危険だ」
ブライアンが、再び溜息をこぼした。
「でも…ただ、声を掛けられただけです」
思わず、言い返した。
「…本気で言っているのか?」
「……」
「あのままでは、君はルイージ宰相が通るまで、あそこで変態の相手をする羽目になっていた」
「……」
「ロデオ総長に頼んで、護衛を増やすか…あとは、接近禁止命令でも出してもらうか…」
「また…行けるところが、少なくなっちゃう」
リリアンヌは、寂しそうな視線をパンへ落とした。
「……」
「あの…それで、ブライアン様。どうしてここにいらしたのですか?」
「…ああ、ルイージ宰相に頼まれたからだ」
ブライアンは、はっと口を開いた。
「ちからを試す協力者を探していたのだろう?僕なら、適任だ」
「え…ええっ…?」
「今日からしばらく、仕事を片付けるため城に泊まることになった。だから、その間は君の協力もできる」
「ま、待ってください」
頭が、ついていかない。
「そんな…だって、ブライアン様は、お忙しいのに」
「仕事と言っても、事務作業ばかりだ。体力を使わせてくれるなら、むしろ大歓迎だ」
「そうではなくて、ブライアン様のお時間を使うなんて」
「別に、何時間も拘束されるわけではない。…君と違ってな」
「…私も、拘束されているわけではありません」
「いや、これではまるで拘束だ。せめて、週に何日か休みを挟むべきだ」
ブライアンは頬杖をつきながら、リリアンヌへ憐憫の目を向けた。
「リリアンヌ。手が止まっている」
「…はい」
もう、パンの味なんて分からない。
ルイージも…また、すごい人に頼んだものだ。
確かにブライアンは、騎士でも文官でもなく、何のちからかを公にしている特別なちからを持つ者だけれど。
まさか、王太子に協力を仰ぐだなんて。
…それを言えば、宰相にも二週間付き合わせてしまっている。
「…ひとつ、聞いてもいいか?」
「…はい」
リリアンヌは口を手で押さえ、小さく頷いた。
「あの日…なぜ、君は庭園の奥へ行ったんだ?」
ブライアンは、じっと探るように尋ねた。
「…!」
「君はお転婆だが、赤子の時から聞き分けのいい子だった。寂しいからという理由で、勝手にどこかへ行くようなことはしないだろう」
「…玉座の間に、あの時いらしたのですか…?」
どうしてその話を知っているのだろう。
「…いや、後から話を聞いただけだ。僕は主役だったから、宴を抜けるわけにはいかなかった」
間を置いて、ブライアンは小さく首を振った。
「…大切な日に、ご迷惑をおかけしてごめんなさい」
「そんなことは、どうでもいい。あの時、精霊がいることに気付いていたのか?」
「…待っている客間の窓から、庭園の奥で光を見た気がしたのです」
ゆっくりと、嘘を口にした。
「好奇心に負けて、その光を確かめに行って、迷子になった…それが真実です」
「庭園は、そこまで入り組んではいないが」
ブライアンがすかさず言った。
「…私には、十分迷う道でした」
「それで、君を見つけたアランフォース副団長が、独断で追いかけた…」
「……」
罪悪感で、胸がちくちく痛んだ。
自分の嘘のせいで、アランフォースまで何か疑われてしまっているのだろうか。




