ぎこちないはじまり⑥
リリアンヌ視点
「すまない、待たせたな」
「あれ…?今、何時ですか?」
リリアンヌは、きょとんと辺りを見渡した。
窓の外から見える陽は、もう落ちかけていた。
「もうすぐ六時になる。リリィ、おいで。帰ろう」
「お父様…どうしましょう。一旦、客間に戻ると約束していたの」
バルバラに遅くならないと思うと言ったのに、まさかもう六時だなんて。
それに、扉の前では案内の者も待たせてしまっている。
「誰とだ?」
ロデオはわずかに眉を寄せた。
「バルバラ…客間女中長とです」
「ああ…大丈夫だ。私が今寄ったから、戻らないと分かるだろう」
「ごめんなさい。こんなに時間が経っているなんて、気付きませんでした」
リリアンヌは聖典を両手で抱え、そっとソファから立ち上がった。
「スノウ、帰るよ」
「ホ~」
スノウは、まだ窓際にいた。
「リリィ、聖典を持って帰る気か?」
「え?いいえ、持って帰りません」
「なら、置いていけ」
「でも、元の場所に戻さないと」
「お前がそんなことをする必要はない」
「!」
ロデオは聖典を取り上げると、机の上へ無造作に置いた。
「行くぞ、リリィ」
そう言って、すぐにリリアンヌを抱え上げた。
「あ…お、お父様」
まさか、また抱えられたまま家まで帰るのだろうか。
「お前たちも、ここまででいい」
「はっ!」
フーリンとリックは、同時にロデオへ声を返した。
「あ…フーリン、リック…!」
リリアンヌは、ロデオの肩越しに顔を覗かせた。
「今日は、ありがとうございました!また、よろしくお願いします」
「……」
フーリンとリックは何も言わないまま、階段を下りていく二人に敬礼を向けた。
図書室の扉の前には、先ほどの使用人はもういなかった。
礼を、言いそびれてしまった。
「…まさか、お前は今日一日、ずっとその調子だったのか?」
ロデオは図書室を後にしながら、呆れるように尋ねた。
「その調子って、何ですか?」
「屋敷にいる時のように、使用人や護衛たちに話しかけていないな?」
「……」
話しかけた。
それも、自分から何度も。
「それがお前のいいところでもあるが…だが、王族としての権威を示すことも必要だ」
ロデオは溜息混じりに続けた。
「…権威、ですか?」
「まだ習っていないか?王族の役割について」
「…いいえ。習いました」
王族は、国の象徴。
自分の立場を理解して、どれほど貴重な存在かを理解しろ。
そう、習った。
「城で突然ひとりきりにして、寂しい思いをさせていることは分かっている。
気付いてやれず、すまなかったな」
「…いいえ、寂しくありません。ルイージ宰相とも、たくさんお話しました」
「ルイージ以外の奴とは、会っていないな?」
「ええと…はい」
その中に、使用人や護衛は含まれていないのだろう。
「図書室のことは、ルイージから聞いたのか?」
「はい、許可をくださいました。あの…勝手に客間を出てしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、図書室ならいい。だが、それ以上北館の奥には入るなよ」
「…高官様や文官様がいらっしゃるからですか?」
リリアンヌはさりげなく尋ねた。
「あいつらに、様など付けるな」
ロデオは、露骨に苦い顔を浮かべた。
「ったく…あいつらのせいで、今日は仕事にならなかった」
「何かあったのですか?」
「いや…こっちの話だ」
短く答えると、ロデオはリリアンヌを抱えたまま王城の入り口へ向かった。
外には、エラドリオール家の紋章が入った馬車が待っていた。
どうやら、今日は馬車で帰るようだ。
ロデオはそのまま乗り込み、リリアンヌを隣に座らせた。
「ルイージと、どんなことをした?」
「何もしていません。ただ、お話をしただけです」
「話だと?」
「はい。特別なちからについて、たくさん教えてくださいました」
まるで、授業を受けているようだった。
「まあ…それもそうか。そうだな、必要なことだ」
「あの…お父様、聞いてもいいでしょうか」
「なんだ?」
「エラドリオール家では…どなたか、特別なちからを持つ者がいらっしゃるのでしょうか?」
ルイージは、王族には“特別なちからを持つ者”が生まれる可能性が高いと言っていた。
自分のことばかりで気にしたことがなかったけれど、家族はどうなのだろう。
「私とアヴェリーンは持っていない。サイラスは、“特別なちからを持つ者”だ」
ロデオは、あっさりと答えた。
「…!そうだったのですね」
「だが、これは公にしていない。屋敷でもアヴェリーン以外、ステファンしか知らない。侍女にも言うなよ?」
「それは、もちろんですが…」
リリアンヌは、わずかに身を乗り出した。
「…どんなちからか、聞いてもいいですか?」
「…すまないな。お前でも、具体的なことは教えてやれない」
ロデオは、少し困ったように笑った。
「強化の類のちからとだけ、言っておこう」
「へぇぇ…」
自身や物を強化するちから――
もしかして兄が持っているのも、跳躍のちからだったりするのだろうか。
「お前も、少し早いが鑑定士に見てもらうか」
「…えっ」
リリアンヌは、ぎくりと肩を強張らせた。
「お前のことだ。加護のちから以外にも、何かちからを持っているかもしれない」
「あ…ええと…」
「鑑定士は、数が少なくてな。王都住まいは、今はひとりしかいない」
「そ、それは、お忙しそうですね…」
「問題ない。お前の鑑定となれば、すぐにでも屋敷に来るだろう」
ロデオは、構わず続けた。
「さっそく明日、手配しておくからな」
「……」
どうしよう。
鑑定士に調べられたら――
白のちからを持っていることを、知られてしまう。




