序章Ⅲ(ちからの発現)③
リリアンヌ視点
リリアンヌは自室に着くと、扉を閂で閉めた。
「…ええと」
きょろりと見渡し、机に駆け寄った。
白のちからを試すには、傷を作らなくてはいけない。
たった今ステファンに、傷を負うなと言われたばかりだけれど…
こればかりは、誰かに頼むようなことはできない。
「…ない」
部屋には、傷を作れそうなものが見当たらない。
手紙を切るナイフすらもない。
羽ペンで、指先を傷つけてみようか。
それとも、本の角でぶつけてみようか。
「…無理」
想像しただけで、痛そうで嫌だった。
ふと、机の横にある小さな窓へ目を向けた。
部屋の窓はどれも大きくて、六歳の力で開けることはできない。
だけど、この留め金式の小窓だけは、自力で開けられる。
「…よいしょ」
リリアンヌは椅子を持ち上げ、小窓の下まで移動させた。
椅子の上に立ち、小窓の縁を持ち上げた。
ビュオッ…と強い風が、一気に部屋の中へ入り込んだ。
思わず目を細めながら、リリアンヌはそっと身を乗り出した。
地面は、遥か下だ。
先ほども、屋敷の屋根が見えるほど高く跳ねた。
跳躍のちからを使わずに落ちれば、また同じような怪我をするだろうか。
その方が、白のちからを試しやすいかもしれない。
…どうだろう。
先ほどよりも、高い気がしてきた。
大怪我で済まないかもしれない。
「お嬢様、入り――…あれ?」
「あっ」
「あれ~?お嬢様、何をしていらっしゃるんです?」
ガタガタッ…と、閂をした扉が揺らされた。
「ごめんなさい…!待って…」
リリアンヌは慌てて小窓と椅子を元に戻し、扉まで駆けた。
「お嬢様ぁ~、お部屋の閂は、使ってはいけませんよ」
開いた扉から、ニアが困った表情を浮かべて入ってきた。
「そんなことをしたら、ご主人様が扉を破壊してしまいます」
「は、破壊…?ごめんなさい、少し遊んでいただけなの」
「お嬢様の遊びは、普通の令嬢とは違うから心配です」
「…ステファンにも、同じようなこと言われちゃった」
「ステファン様の方が、私よりもっとお嬢様のこと知っていますからね」
ニアは部屋を進み、両手で持った盆を中央のテーブルへ置いた。
「お嬢様、さ、召し上がってください。お食事後は、作法の授業ですよ」
「ありがとう…あ」
「ん?どうされました?」
「あ…ええと、パンが美味しそうだなって」
リリアンヌは答えながら、ニアの引く椅子にゆっくり腰掛けた。
「そうですか?いつもと変わらないパンですよ?」
「ね、ニア。私、このパンに苺のジャムを付けて食べたいな」
「お嬢様が、ジャム?」
ニアは、きょとんと目を瞬いた。
「ええ。たまには、味を変えて食べてみたいなと思って」
「はぁ…珍しいこともあるものですねぇ」
「我儘を言って、ごめんなさい」
「いいえ。お嬢様は、もう少し我儘をおっしゃっても構わないんですよ」
ニアはリリアンヌの膝の上に白布を広げると、扉の方へ向かっていった。
「では、厨房に取りに行って参りますね」
ゆっくりと扉が閉められた。
「……」
リリアンヌは、すぐに食事用の小さなナイフに手を伸ばした。
これなら、切り傷を作ることができそうだ。
左手の甲にナイフの先端を当てると、柄を握る右手が微かに震えた。
「…うう」
自分で傷を作ることが、どうしてこんなにも怖いのだろう。
でも早くやらなくては、ニアが戻ってきてしまう。
「…えいっ!」
リリアンヌは、手の甲に添えたナイフを素早く引いた。
ぱたたっ…と、膝の上の白布に血が垂れた。
「つぅっ…」
勢いよく切りすぎてしまった。
傷口が、ずきずきする。
――この傷を、治したい。
心で念じた瞬間、体が白く光った。
「…ん?」
切ったところは、まだ血が滲んでいる。
でも、痛みは治まった。
膝の白布を持ち上げ、血の付いた左手の甲をそっと拭った。
「…!」
思わず、息を呑んだ。
先ほどまであった傷口が、綺麗に消えている。
赤い血だけが、白布に滲んで残っていた。
どうやら治しても、一度流れた血までは消えないらしい。
そんなことより――
やっぱり、白のちからを使える。
間違いなく、私がこのちからを使った。
どうしよう…。
父に相談するべきか。
そうしたら、すぐにでも大聖堂で生活することになるのだろうか。
霊拝師として、各地を巡ることになるのだろうか。
そうなればもう、今のように家族と会えなくなるかもしれない。
もしかしたら、この屋敷に戻ってこれないかもしれない。
もし“物語”通りに進むのなら――
二度と会えないまま、家族は死んでしまうかもしれない。
ステファンやニアたちも、きっと死んでしまう。
それに、城下町の人や、国の北側に住む人たちもだ。
大勢の人が、死んでしまう。
「……」
本当に――そんな未来が、訪れるのなら。
扉の外から、パタパタ…と小走りする足音が近づいてきた。
「…!」
リリアンヌは、急いで血が付いた白布をドレスの下へ隠した。




