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第19話②「途中にある場所」

暗闇。


どこまでも、

落ちていく感覚。


上も下も分からない。


ただ、

身体だけが深いところへ

吸い込まれていく。


「……う、うーん……」


やがて。


意識が、

ゆっくり浮かび上がってくる。


最初に聞こえたのは、

陶器が触れ合う小さな音。


次に。


鼻をくすぐる、

どこか懐かしいコーヒーの香り。


遠くでは、

小鳥が鳴いている。


「……ん?」


ユカが目を開けた。


柔らかな木漏れ日。


使い込まれた木のテーブル。


年季の入ったカウンター。


ゆっくりと視線を上げる。


「……え?」


カウンターの向こう。


変わらない笑顔で、

ひとりの女性が立っていた。


「あら」


その人は、

いつものように笑う。


「どうしたの、ユカ」


「…………」


ユカの目が、

大きく見開かれた。


「……ユナ、お姉ちゃん?」


現実感が、

一気に揺らいだ。


「え、でも……」


周囲を見回す。


「私、

さっきまで仕事してて……」


思い出そうとする。


「過激派を拘束して……」


さらに。


「それで……

頭に、壁が……」


そこから先が、

うまく言葉にならない。


ユナは、

くすっと笑った。


「ははーん」


カウンターへ

カップを置く。


「もしかして、あなた」


少し楽しそうに、

ユカを見る。


「“ここに来たい”って、

心のどこかで思わなかった?」


「……え?」


ユカが眉を寄せる。


考える。


そして。


「あ……」


昨夜。


ベランダ。


ココア。


夜空。


自分が口にした言葉。


「……昨日の夜」


ユナを見る。


「“会いたいな”って……」


少し照れたように、

視線を落とす。


「思った、かも」


「でしょう?」


ユナが、

嬉しそうに笑う。


「その気持ちが、

あなたをここへ連れてきたのよ」


「気持ちが……?」


「だって、ここは――」


ユナが両手を広げる。


「《Analog Mind Café》」


湯気が、

ゆっくり立ちのぼる。


現実なのか。


夢なのか。


その境界が、

曖昧になっていく。


「“好きなときに入れて、

好きなときに出ていける場所”」


ユナは、

穏やかに微笑んだ。


「ですもの」


「…………」


「少しだけ、

休んでいきなさい」


やさしい声。


「最近、

ずいぶん頑張ってたでしょう?」


ユカは、

すぐには答えられなかった。


でも。


その言葉を聞いた瞬間。


肩の奥に入っていた力が、

少しずつ抜けていく。


ここは。


逃げる場所ではない。


ただ。


歩き続けてきた人が、

少しだけ立ち止まるための場所。


ユカは、

その空気に身を預けた。


***


「はい、どうぞ♪」


ユナが、

カウンター越しに差し出す。


白い湯気を立てる、

一杯のラテ。


「ありがとう」


ユカは、

両手でカップを包んだ。


ひと口。


やさしい苦味。


そのあとに、

ふわりと甘さが広がる。


身体の奥まで、

じんわり温かくなった。


ユナが、

ユカの顔を見つめる。


「……話したいこと、

あるんじゃない?」


「…………」


ユカは、

ラテの表面を見る。


「う、うん」


そして。


「でも……」


カップを少し強く握る。


「何から話せばいいのか、

わかんなくて」


ユナは、

少しだけ首を傾けた。


「じゃあさ」


カウンターの下へ手を伸ばす。


取り出したのは。


見慣れた木箱。


ユカの目が、

少しだけ輝く。


「ボードゲームでもしながら、

話そっか」


「……うん!」


さっきまでの迷いが、

少しだけ消える。


「やる!」


***


木のテーブル。


色とりどりの駒。


小さな盤面。


サイコロが、

ころころと転がる。


二人の間に流れるのは、

急がなくていい時間だった。


ユカが、

ひとつ駒を進める。


「最近ね」


盤面を見ながら、

口を開く。


「ようやく、

仕事で成果が出てきたんだ」


「へえ」


ユナが、

少し嬉しそうに笑う。


「すごいじゃない」


「うん」


「がんばってるんだね」


「……でも」


ユカの指が、

駒の上で止まる。


ユナは、

すぐには何も言わない。


「……でも?」


促すように、

それだけ聞く。


「一つ壁を越えたらさ」


ユカは、

盤面から目を離した。


「その先に、

もっと高い壁が見えてきちゃって」


「そうなんだ」


「できるようになったことも、

増えたはずなのに」


少し困ったように笑う。


「“あ、私、

全然足りてないな”って」


駒から手を離す。


「思っちゃうんだ」


ユナは、

サイコロを手のひらで転がした。


ころ。


小さな音。


「……その感じ」


少し考えてから。


「分かる気がする」


断言しない。


否定もしない。


ただ、

ユカの言葉をそのまま受け取る。


「だからこそね」


ユナが、

自分の駒を動かす。


一マスだけ。


「焦っちゃだめ」


「焦る……」


「いきなりゴールを見るとさ」


盤面の端を指さす。


「遠いでしょう?」


「うん」


「まだこんなにある、って思う」


「……うん」


「だったら」


今度は、

盤面の途中を指先で軽く叩いた。


「“ここまで来たらOK”っていう場所を、

途中に作ればいいの」


ユカが、

顔を上げる。


「途中に?」


「そう」


ユナは、

小さく笑う。


「小さなチェックポイント」


「……チェックポイント」


「そこまで来たら」


ユナが、

ひとつ駒を進める。


「ちゃんと、

“ここまで来た”って確認する」


ユカは、

その言葉を口の中で繰り返した。


「ここまで……来た」


そして。


「あっ」


何かが、

頭の中でつながった。


***


日曜日。


レンと登った、

セラフィム・アルプスの山道。


「はあっ……

はあっ……」


ユカは、

途中の岩へ座り込んでいた。


「もう、だめ……」


遠くに見える山頂。


あまりにも高い。


あまりにも遠い。


そんなユカを見て、

レンが苦笑する。


「ユカ」


「なにぃ……」


「いきなり山頂だけ見てると、

しんどいぞ」


「そんなこと言ったって……」


息を整えながら、

山頂を指さす。


「目指すのは……

山頂でしょ?」


「まあ、

そうなんだけどさ」


レンも、

隣へ腰を下ろす。


「まずは五合目」


指を一本。


「次に七合目」


もう一本。


「そこまで行ったら、

疲れてなくても休む」


「疲れてなくても?」


「ああ」


レンは、

あっさり頷いた。


「ずっと山頂だけ見てると、

自分がどこまで来たのか

分かんなくなるから」


「…………」


ユカは、

少しだけ目を見開いた。


「……あ」


ようやく、

意味が分かる。


「そっか」


山頂を見る。


そして。


今いる場所を見る。


「ゴールじゃなくて」


小さく笑う。


「“今の地点”を見るんだ」


「そういうこと」


レンが、

軽く笑った。


そのとき見上げた空は。


どこまでも青かった。


***


「……レンが」


ユカが呟く。


Analog Mind Café。


目の前には、

ユナ。


でも。


頭の中には、

あの日の山道がある。


「レンが言ってたことと、

同じだ」


ユナが、

嬉しそうに笑った。


「ふふ」


「ちゃんと、

つながったみたいね」


「……うん!」


ユカは、

大きく頷く。


仕事。


山登り。


ユナの言葉。


別々だったものが、

ひとつにつながっていく。


「……そっか」


ユカは、

自分の駒を見る。


まだ、

ゴールには着いていない。


盤面の途中。


でも。


だからといって。


何も進んでいないわけじゃない。


「私」


小さく。


でも。


はっきりと口にする。


「ちゃんと――」


少し笑う。


「“途中”を歩いてたんだ」


ユナは、

何も言わなかった。


ただ。


穏やかに微笑んで。


次のサイコロを、

ユカの前へ差し出す。


ユカは、

それを受け取った。


もう。


答えは、

誰かからもらうものではない。


自分が歩いてきた道の中から。


自分で見つけられるように、

なり始めていた。



※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。

https://syosetu.com/userblog/list/


※シリーズ第一弾『フラグメンツ・オブ・トゥルース〜最後の投擲』はこちら。

https://ncode.syosetu.com/n8279mq/


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