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第17話①「ホラーな静曜日」

深夜のアストラ・シティ。


データ管理省ビル。


広大なオフィスフロアに、

人の姿はなかった。


無数に並ぶデスクは暗闇へ沈み、

灯っているのは、

ユカの周囲だけ。


カタカタカタ……。


キーボードを叩く音が、

誰もいないフロアにやけに大きく響く。


ユカは画面を睨みながら、

アランから返された報告書を

ひたすら修正していた。


「ここは表現を弱めて……」


赤字をひとつ消す。


「こっちは、

根拠データを追加して……」


またひとつ。


目がしょぼしょぼする。


肩は石みたいに重い。


指先まで、

じんじんと痺れていた。


それでも。


あと少し。


これさえ終われば。


「…………よし」


最後の一文を修正する。


全文をスクロールし、

もう一度確認。


「……やっと、終わった!」


椅子の背もたれへ、

身体を預ける。


長かった。


本当に長かった。


ユカは深く息を吸い、

送信ボタンへ指を伸ばした。


クリック。


送信完了。


「終わったぁ……」


その瞬間。


ピコン。


「……え?」


通知。


画面の右上に、

新着メッセージが表示される。


送信元――アラン。


「なんで!?」


ユカが椅子から身を乗り出す。


「早すぎない!?」


送ったばかりだ。


まだ数秒しか経っていない。


恐る恐る、

返送されたファイルを開く。


「…………」


赤。


赤。


赤。


画面いっぱいに、

赤い修正コメント。


しかも。


さっきより――


増えている。


「うそ……」


スクロール。


まだ赤い。


さらにスクロール。


まだある。


「増えてる……」


指が震える。


そのとき。


『ユカ』


「……え?」


どこからか、

アランの声が聞こえた。


『ここの文言が曖昧だ』


「……アランさん?」


周囲を見る。


誰もいない。


なのに。


『ここは、

もう一段掘り下げられる』


声が近くなる。


『全体の整合性が取れてない』


別の方向からも。


『根拠が弱い』


『結論が先走っている』


『ユカ』


『ユカ』


『ユカ……』


「や、やめて……」


声が重なる。


フロア中から聞こえる。


机の下。


天井。


モニター。


背後。


『ユカ』


『ユカ』


『ユカ』


画面を見る。


赤い修正マークが――


動いていた。


「……え?」


文字が、

にじむ。


伸びる。


増殖する。


赤いコメントが画面から溢れ、

こちらへ迫ってくる。


『修正』


『再提出』


『要確認』


『根拠不足』


『ユカ』


「いや……」


椅子を引く。


それでも、

赤い文字は止まらない。


「いやぁぁぁぁぁぁっ!!」


***


「――っ!!」


ユカは、

勢いよく身体を起こした。


荒い呼吸。


胸の奥で、

心臓が激しく鳴っている。


「はぁ……はぁ……」


辺りを見回す。


暗いオフィスではない。


柔らかな布。


寝袋。


小さな荷物。


テントの中だ。


隣ではピコが、

充電モードのまま半分眠っている。


「…………夢」


胸へ手を当てる。


「夢、かぁ……」


大きく息を吐いた。


あまりにも生々しかった。


赤い修正コメントが、

まだ瞼の裏に残っている気がする。


そのとき。


テントの入口が開いた。


「ユカ?」


顔を覗かせたのは、

レンだった。


「どうした?

結構すごい声が聞こえたけど」


その顔を見た途端、

ユカの肩から力が抜けた。


「大丈夫……」


髪をかき上げる。


「ちょっと、

嫌な夢を見ただけ」


「夢?」


レンが首をかしげる。


「どんな?」


「……報告書が」


「うん」


「襲ってくる夢」


「…………」


レンは数秒、

何とも言えない顔をした。


「生々しいな、それ」


「でしょ……」


ユカは、

寝袋へぐったり沈み込んだ。


そんな彼女を見て、

レンがふと思いついたように言う。


「だったらさ」


「ん?」


「これから湖の周り、

軽く走ろうと思ってたんだけど」


テントの外を指さす。


「一緒にどうだ?」


ユカは少し考えた。


身体はまだ重い。


でも。


もう一度眠ったら、

また報告書が出てきそうな気もする。


「……うん」


寝袋から這い出す。


「行く」


***


トレーニングウェアに着替え、

二人は湖畔へ出た。


朝の空気が、

ひんやりと頬に触れる。


湖の周囲に整備された道を、

会話ができるくらいの

ゆっくりしたペースで走っていく。


数歩後ろでは、

ドローンモードのピコが追従していた。


湖面には、

白い靄が漂っている。


その上を、

朝の光がゆっくりと滑っていた。


「……なんかさ」


走りながら、

ユカが湖を見る。


「これ、

スモーク・オン・ザ・ウォーターだね」


「……あの曲って」


レンが横目で見る。


「たしか火事の煙の話じゃなかったか?」


「え?」


ユカの足取りが、

ほんの少し乱れる。


「そうなの?」


後方からピコが答える。


「正確には、

コンサート会場で発生した火災を

目撃した出来事が元になっています」


「へえ……」


「したがって、

現在の爽やかな朝の情景に使うには――」


少し考える。


「かなり不吉な例えですね」


「ピコ」


「はい」


「それ今、

言わなくていいやつ」


レンが吹き出した。


ユカも、

つられて笑う。


森から聞こえる鳥の声。


足音。


呼吸。


葉を揺らす風。


走るほどに、

肺へ冷たい空気が入ってくる。


身体が温まり、

頭の中が少しずつ澄んでいく。


さっきまで胸の奥に残っていた

赤い修正コメントの残像も。


一歩。


また一歩。


走るたび、

薄れていった。


やがて湖を一周する頃には、

額にうっすら汗が浮かんでいた。


ユカは足を止め、

湖を見渡す。


「……来てよかった」


自然に、

言葉がこぼれた。


「だろ?」


少し先で、

レンが振り返る。


「ユカはさ」


朝日に目を細める。


「ちょっと、

考え込みすぎてたんだよ」


ユカは否定しなかった。


「……かもね」


「そういうときは」


レンが、

自分の頭を指さす。


「ここばっかり使わないで」


今度は、

走ってきた道を指さした。


「身体を動かしたほうがいい」


そして、

親指を立てる。


「意外と、それだけで変わるから」


ユカは湖を見る。


白い靄は、

朝日に溶け始めていた。


「うん……」


ゆっくり息を吸う。


「ほんと、そうだね」


胸の奥が、

すっと軽くなっていく。


頭の中を埋めていたノイズが消え、

思考が澄んでいく。


悪夢から始まった静曜日は。


ようやく少しずつ――


その名前らしい朝に、

戻り始めていた。



※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。

https://syosetu.com/userblog/list/


※シリーズ第一弾『フラグメンツ・オブ・トゥルース〜最後の投擲』はこちら。

https://ncode.syosetu.com/n8279mq/


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