第16話②「ちょっとしたこと」
空中列車は、
厚い雲の中を滑るように進んでいた。
外の音はほとんど聞こえない。
車内に響くのは、
低く穏やかな走行音だけ。
ユカは向かいの席に座る女の子と、
小さなボードゲームを広げていた。
「ここに置いたらどうかな?」
「えーっと……」
女の子は真剣な顔で盤面を見る。
そして。
「じゃあ、ここ!」
「おっ。そこ来るかぁ」
「えへへ!」
二人が顔を見合わせて笑う。
そのときだった。
車両の奥から、
重い足音が近づいてくる。
制服姿の車掌が、
端末を手に現れた。
「これから、
チケットの確認を――」
次の瞬間。
車掌の背後から伸びた腕が、
身体を強く引き寄せた。
銀色の刃。
ナイフが、
喉元へ突きつけられる。
「動くな」
低い声が、
車内を切り裂いた。
「これはレールジャックだ」
車掌の顔から、
血の気が引く。
男は周囲を睨みつけた。
「この列車を今すぐ、
アズル・シティへ向かわせろ!」
「きゃあっ!」
乗客たちから悲鳴が上がる。
座席を立とうとする者。
子どもを抱き寄せる者。
何が起きたのか分からず、
固まる者。
さっきまで穏やかだった車内が、
一瞬で恐怖に塗り替えられた。
「……なに?」
女の子の声が震える。
「こわい……」
ユカは迷わず、
小さな身体を抱き寄せた。
「大丈夫」
女の子の背中を、
そっと撫でる。
「ここにいれば、
平気だから」
声は穏やかだった。
けれど。
その目はすでに、
車掌。
犯人。
ナイフ。
乗客。
通路。
逃げ道。
車内のすべてを見ていた。
***
ピコが、
ユカの耳元まで近づく。
「アズル・シティは
現在も内戦継続地域です」
小さな声。
「進路変更した場合、
乗客の危険度は大幅に上昇します」
「……しかも」
ユカが、
ほんの少し頬を膨らませる。
「セラフィム・シティと
真逆じゃん」
「はい」
「そんなのやだ」
「……はい?」
「レンに会えなくなるじゃない」
ピコが、
しばらくユカを見る。
「優先理由が、
そこですか?」
「大事でしょ?」
ユカは、
女の子を母親へそっと返した。
そして立ち上がる。
「私だけじゃないよ」
周囲を見る。
「みんな、
行きたい場所があって
この列車に乗ってるんだから」
表情が変わった。
「……止めるしかないね」
「ですが、
車内での戦闘は危険です」
「分かってる」
ユカは、
犯人を見据える。
「だから――」
口元に、
小さな笑み。
「静かに終わらせる」
***
他の車両から、
数人の乗務員が駆けつけていた。
だが。
「近づくな!」
犯人が叫ぶ。
車掌の喉元には、
まだナイフがある。
「目的地を変更しろ!
今すぐだ!」
「落ち着いてください。
まずは話を――」
「今すぐと言っただろ!」
刃先が、
車掌の頬へ触れる。
「……っ」
誰も動けない。
そのとき。
ころり。
小さなボールが、
通路を転がってきた。
犯人の足元で止まる。
「……ああん?」
「あっ、すみませ〜ん」
場違いなくらい、
のんびりした声。
犯人が振り向く。
ユカが、
申し訳なさそうに立っていた。
「それ、
私のAIサポートロボなんですぅ〜」
「おい、おまえ!
勝手に――」
次の瞬間。
ボールが展開した。
手足が飛び出し、
ピコの姿へ変形する。
そして。
閃光。
「うわっ!」
犯人が反射的に目を覆った。
その瞬間。
ユカが床を蹴る。
「――リアライズ!」
指輪が、
澄んだ光を放つ。
「パラレル・アーカイブ――」
光の粒子が、
右手へ集まっていく。
「《ソムヌス・セプター》!」
古代の眠りの神の杖が、
ユカの手に顕現した。
「くそっ……!」
犯人が、
視界の定まらないまま
ナイフを振り回す。
右。
左。
前。
だが。
ユカは、
その軌道を読むように身体を滑らせる。
一歩。
さらに一歩。
あっという間に、
懐へ入り込む。
杖の先端が、
男の胸へ触れた。
「――おやすみ」
ふっ。
男の全身から、
力が抜ける。
膝が折れ。
そのまま、
床へ崩れ落ちた。
***
「確保!」
乗務員たちが一斉に駆け寄り、
犯人を拘束する。
ピコが、
ふわりとユカの横へ戻った。
「非致死制圧」
少し得意げに光る。
「完璧です」
「ピコのおかげだよ」
ユカが、
軽くウインクした。
ふと見ると。
さっきの女の子が、
母親の隣からユカを見ている。
目が、
きらきらと輝いていた。
ユカは少し照れて。
小さく、
ピースサインを返す。
女の子も、
両手で真似をした。
やがて。
列車は、
何事もなかったかのように
再び雲の中を進み始めた。
目的地は――
変わらない。
セラフィム・シティ。
***
空中列車が、
ゆっくりと高度を落としていく。
雲が開ける。
巨大なクレーターの縁に築かれた街。
古代遺跡の石柱。
その向こうにそびえる
最先端のタワー。
過去と未来が、
当たり前のように共存する都市。
セラフィム・シティ。
列車がホームへ滑り込む。
そして。
ユカは、
ホームに立つ白いコートを見つけた。
「……!」
レンだった。
列車を降りる。
二人の視線が重なる。
「……久しぶりだな、ユカ」
少し照れたような。
でも、
変わらない声。
「うん!」
ユカの顔が、
ぱっと明るくなる。
「レンも元気そうでよかった!」
その笑顔を見て、
レンの肩から少し力が抜けた。
だが。
二人のすぐ横を、
鉄道警察が慌ただしく通り過ぎていく。
「…………」
レンが、
その後ろ姿を見る。
「到着、
少し遅れたみたいだけど」
ユカへ視線を戻す。
「何かあったのか?」
「うん」
ユカは、
あまりにも普通の調子で答えた。
「ちょっとレールジャックがあったけど、
すぐ解決したよ」
「…………え?」
レンの思考が止まる。
ピコが、
慌てて二人の間へ飛び込んだ。
「えー……」
妙に明るい声。
「その件については、
移動中に改めてということで」
レンは、
しばらくユカを見ていた。
やがて。
「……おまえ」
深く息を吐く。
「本当に何でも
“ちょっと”で済ませるよな」
「えへへ」
「シン統治教や虚無データを
経験してしまった結果――」
ピコが冷静に分析する。
「ユカの危険度基準は、
完全にバグっていますね」
「そんなことないよ!」
「あります」
「あるな」
「レンまで!?」
三人の声が、
セラフィム・シティのホームに響く。
ユカにとっては――
どうやら本当に、
ちょっとしたことだったらしい。
※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。
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※シリーズ第一弾『フラグメンツ・オブ・トゥルース〜最後の投擲』はこちら。
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