第8話⑥「メリオラの欠片たち」
――人が、いない。
その言葉が、ユカの中に残った。
バルジの善は、正しい。
合理的で、効率的で、世界全体を見ている。
なのに――どうして、こんなにも冷たいのか。
ユカは盤面を見つめる。
《秩序》
《全体最適》
《効率》
《犠牲》
どれも間違ってはいない。
でも、その言葉の中には――
選ぶ人がいない。
迷う人がいない。
傷つく人がいない。
誰かを支える人もいない。
人間が、最初から“変数”としてしか扱われていない。
善を決めるために、
善の対象であるはずの人間が消えている。
――だから、冷たいんだ。
ユカは顔を上げた。
「あなたの言う赦しは……支配だよ」
バルジの眉が動く。
「……何?」
「だって、相手が何を望んでるか聞いてない」
ユカは言葉を探しながら続ける。
「迷うことも、選ぶことも、間違えることも許さない。あなたが正しいと思った答えを、みんなに押し付けているだけ」
胸の奥にあった違和感が、
少しずつ形になっていく。
「それって、救ってるんじゃない」
ユカはバルジを真っ直ぐ見る。
「あなたの救済は――命令だよ」
「……!」
「それじゃ……誰のための善でもない!」
バルジの顔が歪んだ。
「黙れ!! 無知な子供に、何がわかる!」
「わかるよ」
声は震えていた。
それでも、ユカは前へ出る。
「だって私も、ずっと考えてきたから」
レンと目が合う。
レンは何も言わず、頷いた。
「私が示すのは――完璧じゃない善」
バルジが目を細める。
「完璧では……ない?」
「うん」
ユカの脳裏に、
一枚の絵が浮かんだ。
《メリオラ》。
乾いた大地で、
ただ井戸を掘り続ける聖人。
世界を一度に変えようとしたわけではない。
誰かを裁いたわけでもない。
ただ――
目の前にいる誰かのために、
少しでも良くしようとした。
「完璧じゃなくてもいい」
ユカは言う。
「今より、ちょっとでも良くしたいって思うこと」
盤面を見る。
「それを積み重ねていく善」
そして、もうひとつ。
「Win-Winを目指す善」
バルジがわずかに眉を寄せる。
「誰か一人が正解を持つんじゃない。どっちかが全部我慢するんでもない」
ユカは手を伸ばした。
「一緒に歩く善だよ」
盤上に、新たな言葉が浮かび上がる。
《分かち合い》
赤い光が灯る。
《共感》
《対話》
《選択の自由》
次々とブロックへ変わり、
盤面へ広がっていく。
ひとつでは小さい。
だが、つながる。
重なり、
支え合い、
赤い領域が大きく広がっていく。
「ば……バカな……!」
バルジの顔から余裕が消える。
ユカは盤面を見ながら続けた。
「みんな、自分なりの善を持ってる」
思い出す。
サザン・シティで、
ジロウが言った。
《続けられない善は、悪より怖ぇぞ》
善意だけでは足りない。
続けられなければ、
誰かを苦しめることだってある。
「絶対的な悪なんて……たぶん、存在しない」
次に浮かぶのは、
サンサーラ・シティのラヴィ。
《ユカは間違ってないよ。
でも、“全部正しい”わけでもない》
正しさは、
見る場所が変われば形を変える。
「だから――相手の善を否定するんじゃない」
ユカはバルジを見る。
「まず、認める」
そして――
「その上で、もっと良い善を一緒に探すんだよ」
シャリーア・シティで聞いた、
ナディアの言葉。
《完全じゃなくてもいい。
“進める形”が大事なの》
バルジの唇が震える。
「そ、それでは……秩序が……!」
「違うよ」
ユカの声は優しかった。
だが、迷いはなかった。
「大きな善を、みんなに押しつけなくていい」
胸に手を当てる。
「《メリオラ》の欠片たち――」
より良く。
ほんの少しでも、
昨日より前へ。
「“よりよくしたい”っていう、みんなの小さな善の欠片を集めるの」
ユカはレンを見る。
レンが頷く。
ピコも力強く光った。
「それを分かち合って、足りないところを補っていく」
ユカは笑う。
「一人じゃ気づけないことも、仲間がいれば気づけるから」
赤い光が、
盤面全体へ広がっていく。
「遠回りかもしれない」
それでも――
「そうやって作った秩序なら、簡単には壊れないと思う」
「……あ……」
バルジの瞳が揺れた。
目の前にいるのは、
ユカ・セイラン。
それなのに――
その姿が、
別の女性と重なって見える。
《バルジ……完全であるためには、不完全でなければ、ダメなのよ》
「ユリ・セラフィム……」
バルジが頭を抱える。
「またしても……おまえか……!」
「……?」
ユカは戸惑う。
バルジの声から、
怒りが抜け落ちていく。
残ったのは、
ひどく弱々しい声だった。
「私は……おまえのようにはなれない……」
肩が震える。
「他者に委ねるのが……怖いんだ」
顔を伏せる。
「人を信じるのが……怖い……」
ユカは何も言わなかった。
バルジが、
初めて思想ではなく、
自分自身の言葉を口にしたように思えた。
その時――
善審査システムの光が乱れる。
判定処理が停止し、
膨大な演算結果が空中を駆け巡る。
そして。
《最終判定》
文字が浮かぶ。
《勝者:ユカ・セイラン》
僅差だった。
それでも――
確かな勝利だった。
※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。
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※シリーズ第一弾『フラグメンツ・オブ・トゥルース〜最後の投擲』はこちら。
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