第8話④「悪の排除」
レンが一歩前へ出た。
低い声だった。
だが、迷いはない。
「……もうひとつ、聞きたいことがある」
バルジが眉をわずかに上げる。
「なぜ、コア・データを奪った? あれで何をするつもりだ」
バルジは満足そうに頷いた。
先ほどまでの激しい感情は消えている。
そこにいたのは、
完成した思想を語る者だった。
「ほほほ……実にいい質問です」
口元に笑みを浮かべる。
「私の目指す世界を実現するには、《善審査システム》だけでは――どうしても足りないのですよ」
「足りない……?」
「ええ」
バルジはユカたちを見渡した。
「善審査によって“悪”と判定された存在を、そのまま野放しにしておくわけにはいかないでしょう?」
ユカの背筋に冷たいものが走る。
「……まさか」
「その“まさか”です」
嬉しそうに笑う。
「悪なるものの排除。そのためにこそ、封印されたコア・データが必要だったのですよ」
レンの顔が険しくなる。
「排除に……コア・データ? どういうことだ」
「おやおや……ご存じありませんか」
バルジは円を描くように歩き始めた。
「まあ、無理もありません。コア・データに関する真実は、セラ一族にとっても“秘中の秘”ですからね」
足を止める。
「コア・データとは――すべてを飲み込む、虚無データの集合体」
ピコの光が強く瞬いた。
「虚無データ……? 通常の削除処理ではありません。もし存在情報そのものを分解するデータなら――復元不可能です!」
レンの表情が変わる。
「あなたも一族の者なら、賢妃セラが封印した《絶望の虚無》と言えば……思い当たるでしょう?」
「……《絶望の虚無》」
「レン……それって?」
レンは険しい顔のまま答える。
「伝承では、かつてセラフィム・シティそのものを飲み込もうとした存在があった」
「街を……飲み込む?」
「個体でも、災害でもない。存在そのものを消し去る“虚無”だ。それを封印したのが、一族の開祖――賢妃セラ」
「そんな……」
ユカの脳裏に、ひとつの絵が浮かぶ。
シャリーア・シティの美術館で見た伝承画。
《封印》。
光をまとった女性が、
巨大な闇と向かい合っていた。
あれは――
賢妃セラが、
《絶望の虚無》を封じている姿だったのか。
伝承ではなかった。
本当に、存在していたのだ。
「すべてを飲み込み、分解する虚無データ……」
バルジが愉悦を含んだ笑みを浮かべる。
「個体性。記憶。存在理由。そのすべてを区別なく分解し――“なかったことにする”」
ユカとレンが息を呑む。
ピコも声を低くする。
「それは……消去ではありません。存在の定義そのものを破壊する処理です」
「その通り」
バルジは満足そうに笑った。
「つまり、これは“悪を罰する力”ではありません」
目が熱を帯びる。
「“悪を、最初から存在しなかったことにする力”です」
「存在……しなかったことに……」
「悪が存在するから、善は揺らぐ」
バルジは語り続ける。
「悪を隔離したところで、また別の悪が生まれる。ならば――」
両手を広げる。
「悪という概念そのものを、世界から消してしまえばいい」
「そんなこと……!」
「虚無データは苦しませない。復讐もしない。抵抗する時間すら与えない」
その声は、異様なほど穏やかだった。
「ただ……分解するだけです」
「それを救済とは呼べません!」
ピコが鋭く言い返す。
「選択肢を奪い、存在そのものを消す。それは救うことではなく――消去です!」
バルジは小さく笑った。
「AIであるあなたが、それを言いますか」
「ピコはAIサポートロボです。だからこそ、処理と救済の違いくらい理解できます!」
ユカがピコを見る。
いつもの穏やかな声ではない。
そこには、はっきりとした拒絶があった。
「……どうして、そこまで……」
ユカの問いに、
バルジは嬉々として答える。
「すでに準備は整っています」
「《善審査システム》と虚無データの相互リンクは、すでに完了しました」
ピコが即座に周囲を解析する。
「待ってください! 相互リンクということは――善審査の判定結果が、そのまま虚無データの実行条件になるんですか!?」
「ご名答」
「そんな……!」
ピコの声が揺れる。
「判定と処刑を直結させるなんて……再審も、異議申し立ても、修正の余地もありません!」
「必要ありませんよ」
バルジは当然のように言った。
「正しい判定に、やり直しなど不要です」
ユカの拳が強く握られる。
「善審査は常時稼働する。人々は常に、自分が“善であるかどうか”を意識して生きることになる」
口角が上がる。
「そして――善と判定された者だけに救済を与える」
ユカを見つめる。
「生きる資格をね」
バルジが指を鳴らした。
空中に巨大なホログラムスクリーンが展開する。
そこには、
悪と判定された人々が映し出されていた。
次の瞬間。
その姿が、音もなく消える。
「悪と判定された存在は、虚無データによって消滅する」
映像が切り替わる。
穏やかな街。
笑顔で歩く人々。
争いはない。
「戦争もない。犯罪もない。嘘も、裏切りも、疑念もない」
さらに映像が変わる。
整然と働き、
整然と生活する人々。
誰も争わない。
誰も迷わない。
「同時に――葛藤もない。迷いもない」
バルジが笑う。
「選択すら、必要ありません」
「それは……安定しているだけです」
ピコが呟く。
「生きているというより、最適化された状態を維持しているだけに見えます」
ユカはスクリーンを見つめた。
映し出されている人々は、
確かに笑っている。
なのに――
どの顔も、
どこか同じに見えた。
「……完璧な世界でしょう?」
バルジの声が震えている。
恐怖ではない。
歓喜だった。
レンが拳を握る。
「一方的に人を消すだと……それは虐殺だ!」
「違う」
即答だった。
「これは虐殺ではありません」
当然のことを語るように続ける。
「“救済”です」
そして――
「“浄化”なのですよ」
ユカの表情が険しくなる。
「浄化……?」
拳を握る。
「あなた、自分を神だとでも思ってるの?」
「それも、少し違います」
「どういうことだ?」
レンの問いに、
バルジは目を閉じた。
「《善審査システム》と虚無データ」
陶酔するように言葉を続ける。
「人類が、この二つの仕組みを手にした時――世界は完璧な閉じた系となる」
ピコが反応する。
「善を定義する仕組みと、悪を排除する仕組みが循環する……外部から修正されない、自律した閉鎖系……」
「その通りです」
バルジは目を開く。
「善を定義し、悪を見つけ、排除する」
笑みが深くなる。
「そこには、もはや外部からの判断など必要ない」
「そして神という存在すら、仕組みを維持するための“役割”にすぎなくなる」
自らの胸に手を当てる。
「その役割を担うのが――私なのです」
「……狂ってる」
ユカの声が漏れた。
「好きに言いなさい」
バルジは微笑む。
「さあ――始めましょう」
《善審査システム》の光が、
さらに強くなる。
「あなたたちは、“神である私”と――“自らの善”を比べるのです」
その顔には、
絶対的な自信があった。
自らが選ばれた存在であると、
疑うことすらしていない。
「結果は明白ですがね」
見下すように笑う。
「巨大な象に踏み潰される虫ケラが、自分を善だと信じている――」
口元が大きく歪んだ。
「実に、滑稽です」
※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。
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※シリーズ第一弾『フラグメンツ・オブ・トゥルース〜最後の投擲』はこちら。
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