第8話③「正しさの喪失」
《シン統治システム》の崩壊後。
人々は、“裁定”から解放された。
だが同時に――
何が正しいのか。
何を信じるべきなのか。
その答えを、自分自身で選ばなければならなくなった。
それは自由だった。
そして同時に――
あまりにも重い自由だった。
誰を信じればいいのかわからない。
自分の選択が正しいのか、確信できない。
昨日まで善だったものが、
立場ひとつで悪へと変わる。
バルジは、その世界に危機を感じていた。
「真偽が失われた世界では、人はやがて――“自分に都合のいい正しさ”しか信じなくなる」
だから彼は、《シン統治教》を立ち上げた。
混乱に疲れ、
判断することに怯える人々へ、
“救済”を差し出すために。
だが、その裏では――
「お布施」という名目で信者の財産を集め、
時には借金まで背負わせた。
信仰。
救済。
そして――資金調達。
すべてが、ひとつにつながっていた。
***
やがてバルジは、
新たなシステムの開発に着手する。
《シン統治システム》が裁いたのは、
“真実か、フェイクか”。
だが、それでは足りない。
「真実を知っても、人は迷う」
バルジはそう考えた。
「ならば――迷いそのものを、不要にすべきだ」
彼が選んだ答えは、
極めて単純だった。
善か。
悪か。
善なる者は救われ、
悪なる者は排除される。
“正しいかどうか”ではない。
“許されるかどうか”。
それが、新たなシステム――
《善審査システム》の基本思想だった。
しかも、それは単なる判定装置ではない。
仮想層と現実層を融合させ、
人間の思念そのものを空間へ映し出す。
信念。
欲望。
恐怖。
矛盾。
他者への想い。
人間の内面を、
隠すことなく可視化する。
まるで――神の視線。
「人は、自分を偽る」
バルジは満足そうに笑う。
「だが――思念は偽れない」
そして彼は、
“善”を定義した。
システムの価値観と一致すること。
集団の秩序を乱さないこと。
疑わず、従い、
与えられた役割を果たすこと。
つまり――
善とは、
安定した秩序の一部であること。
逆に。
疑う者。
揺らぐ者。
矛盾を抱えたまま生きる者。
彼らは皆、
“潜在的な悪”とされた。
こうして長い年月をかけ、
新たな“神”は完成した。
バルジは満面の笑みを浮かべた。
その顔には、達成感と、
底知れない陶酔が混じっている。
「……こうして、《シン統治システム》を超える《善審査システム》は完成したのです」
大きく息を吸う。
口元が不自然なほど吊り上がる。
「そして――私は、事実上……ユリ・セラフィムを超えた……!」
「それは、違う!」
ユカの声が飛んだ。
迷いはなかった。
一歩、前へ出る。
「セラ博士は……《シン統治システム》を作ったことを、ずっと悔いていた!」
バルジの表情が止まる。
「そして――システムが崩壊した、この世界こそが、本来あるべき姿なんだって……そう言ってた!」
怒鳴っているわけではない。
責めているわけでもない。
ただ真っ直ぐに、
自分の知っている言葉を伝える。
その姿を見た瞬間――
バルジの視界が揺らいだ。
目の前の少女が、
別の誰かと重なる。
「……ユ、ユリ・セラフィム……?」
***
《シン統治システム》開発初期。
総責任者――族長セラ。
ユリ・セラフィムの執務室。
「ユリ。真偽判定を、人間とAIと確率の複数協議制にするのは非効率だ」
バルジは机を挟み、
彼女へ食い下がっていた。
「AIだけに任せるべきだ。それが最も公正で、最も正確な判断になる」
ユリは首を振る。
「バルジ……AIには、人の感情や心の揺らぎを“引き受ける”ことはできない」
「だから、この構成は変えないわ」
「なぜだ、ユリ!!」
声が荒れる。
「なぜ、そんな不完全なものに判断を委ねる!?」
ユリは視線を落とし、
やがて、まっすぐ彼を見た。
「……完全であるためには、不完全でなければ、ダメなのよ」
その瞳にあったのは、
理屈だけではなかった。
人の弱さを知りながら、
それでも人を信じようとする慈しみ。
バルジは何も言えなくなった。
まただ。
またしても。
才能だけではない。
論理でもない。
人としての“器”で、
決定的な差を見せつけられる。
――この女が憎い。
憎い。
憎い。
この女さえいなければ。
自分がこれほど小さく、
惨めな存在だと思い知らされずに済んだ。
圧倒的な存在を見てしまったからこそ、
もう自分を天才だとは信じ切れない。
バルジは、
生まれた時代を呪った。
生まれた場所を呪った。
そして――
ユリ・セラフィムと出会ってしまった
人生そのものを呪った。
***
そして今。
目の前の少女は、ユリではない。
それでも――
あの時と同じ敗北感が、
胸の奥を焼いた。
抑えていた憎悪が、
一気に噴き上がる。
「黙れえええええっ!!
小娘があああっ!!!」
「……!」
怒声が思念空間を震わせる。
バルジの理性が剥がれ落ち、
額に血管が浮かぶ。
「安定こそが善だ!!
秩序こそが正義だ!!」
そうだ。
自分は正しい。
否定する者こそ間違っている。
正されるべきなのは、
自分ではない。
「お前たち愚民は、なぜそれがわからんのだ!!」
やがて呼吸を整え、
バルジは再び穏やかな表情を作った。
「……現実を見なさい」
低い声が響く。
「我が教団の信者たちは、考えることに疲れ、判断することを恐れている」
助けを求める信者たちの姿を思い浮かべる。
彼らは確かに、
心の底から救済を求めていた。
「自由などという名の混沌に、人間は耐えられないのです」
「それは……」
ユカは言葉を探す。
「この世界に……まだ、慣れてないだけ……」
「違う」
冷たい否定。
「人は、導いてくれる存在を求める」
バルジはユカを見据える。
「強者を。支配者を。神を」
声は揺るがない。
「“自分の代わりに選んでくれる者”を」
そして言い切る。
「それは――歴史が何度も証明している」
「……っ」
ユカの言葉が止まる。
胸の奥に、
拭えない違和感だけが残った。
――何だろう。
この人の言っていることは、
一見すると正しい。
確かに人は迷う。
間違える。
誰かに答えを決めてほしいと、
思うことだってある。
でも――
何かが違う。
ユカは胸元を押さえる。
――“正しさ”が。
人の手から――
奪われている。
※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。
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※シリーズ第一弾『フラグメンツ・オブ・トゥルース〜最後の投擲』はこちら。
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