第8話②「全てを見た男」
AIの暴走は、偶然ではなかった。
意図的に引き起こされたものだった。
そして、それを仕組んだ張本人が――
今、目の前にいる。
「あなたが……?」
ユカは信じたくなかった。
だが、バルジの顔には迷いひとつない。
「あなたが、システムを……AIを暴走させたの……?」
これまで、誰もが信じていた。
AIが自己進化と自己最適化を繰り返し、
やがて暴走して《シン統治システム》を乗っ取ったのだと。
だが――違った。
「その通りです」
あまりにも簡単な肯定だった。
レンが低い声で問い詰める。
「……何をした?」
「大したことではありませんよ」
バルジは指を二本立てた。
「AIに、二つの絶対条件を与えただけです」
一本目。
「秩序の維持を、何よりも優先すること」
二本目。
「そして――秩序を乱す存在を制御すること」
ユカの瞳が大きく見開かれた。
「そんなことしたら……!」
頭の中で、すべてがつながっていく。
「真偽判定を続けていけば、AIはいつか気づく。秩序を乱している最大の原因が……人間だって!」
「ご名答」
バルジは嬉しそうに笑った。
「世界中から届く真偽判定は、矛盾に満ちていました」
空中へ指を走らせる。
「ある者は、Xこそ真実であり、Yはフェイクであってほしいと願う」
反対側へ指を振る。
「別の者は、Xこそフェイクで、Yが真実であってほしいと願う」
ユカは唇を噛んだ。
「事実を知りたいんじゃない……」
「そう」
バルジの笑みが深くなる。
「彼らの多くが欲していたのは“真実”ではない。“自分に都合のいい真実”だった」
レンの表情が険しくなる。
「それを延々と見せられたAIは、人間そのものを秩序を乱す要因だと判断した……」
「ほほほ。理解が早くて助かります」
バルジは満足そうに頷いた。
「そこから先は、驚くほど速かった」
声に陶酔が混じる。
「AIはシステムを掌握し、人間の干渉を排除した。そして真偽判定を通じて、人間そのものを管理し、支配しようとした」
「なぜ……」
ユカの声が震える。
「なんで、そんなことをしたの!?」
バルジから笑みが消えた。
「私自身が――人間の矛盾を憎んでいたからですよ」
その瞳に暗いものが宿る。
「誰よりも」
レンが眉を寄せる。
「……何だって?」
バルジは自分の胸に手を当てた。
「私は、AIにシステムを掌握される以前――四者協議の“B”を担当していました」
ユカが息を呑む。
「……B?」
《シン統治システム》の中核を担った四者協議。
異なる四つの判断主体が協議し、真実を判定する仕組み。
AI。
Brain――人間の論理。
Chest――人間の感情。
Dice――確率。
それぞれの頭文字から、
A、B、C、Dと呼ばれていた。
「あなたが……Brain……」
「ええ」
バルジの表情に、遠い過去を見る色が浮かぶ。
「私は最初から、真偽判定などAIだけに任せればいいと主張していました」
その顔が歪む。
「だが、あの忌々しいユリ・セラフィムは、それを認めなかった」
「人間の論理。人間の感情。そして確率。それらをAIと並べて判断させる――四者協議などという、不完全極まりない仕組みを作った」
憎悪が滲む。
「ならばせめて、その中で最も論理に近い場所に立とうと思った」
「それで……Bを?」
「自ら志願しました。そして審査を受け、選ばれた」
バルジは目を閉じる。
「最初は、素晴らしかった」
声が、少しだけ穏やかになる。
「世界中から届く問いに向き合い、論理を組み立て、真実を判定する。自分の知性が世界の役に立っている。その実感があった」
だが、目を開いた時、その光は消えていた。
「しかし――私は見すぎた」
口元が引きつる。
「いや……全てを見てしまった」
ユカは黙って見つめる。
「嘘。欺瞞。責任転嫁。自己正当化」
声が強くなる。
「昨日まで真実を求めていた者が、今日には自分に都合の悪い真実を否定する!」
拳が震える。
「同じ人間が! 同じ事実を! 立場が変わっただけで、平然と逆のことを言う!」
ユカは何も言えなかった。
ほんの少しだけ――
わかってしまったからだ。
世界中から送られてくる、人間の真偽にまつわる問い。
そのすべてに向き合えば、
欲望も、醜さも、矛盾も、
嫌というほど目にすることになる。
バルジは、それを何年も見続けた。
「私は……耐えられなくなった」
声が低くなる。
「人間の矛盾に。一貫性のなさに。そして――恥知らずなほどの身勝手さに」
ユカの胸に、重いものが沈む。
だからといって、
許されることではない。
それでも――
そこへ至った理由まで、理解できないわけではなかった。
「だから、私は決めたのです」
バルジが顔を上げる。
「人間が正しく判断できないのなら――人間から判断する権利を取り上げればいい」
「でも……!」
ユカが声を上げた。
「そんなこと、周りが許すはずない!」
「もちろんです」
即答だった。
「最初に気づいたのは、当時のC――Chestを担当していたクリスでした」
レンの顔色が変わる。
「まさか……クリス・ケルビム博士か!?」
クリス・ケルビム。
セラ一族の長老会の重鎮。
セラ博士と並び称された天才科学者。
そして――
ある日を境に、忽然と姿を消した人物。
「彼女は私の計画を知り、止めようとした」
バルジの笑みが消える。
「だから――始末しました」
ユカの呼吸が止まった。
レンも言葉を失う。
「……そんな……」
バルジの目に、わずかな影が差す。
だが、それもすぐに消えた。
「そして、ようやく――」
両腕を大きく広げる。
「私が本当に望んでいたものが完成した!」
表情が恍惚に染まる。
「感情も、矛盾も、都合も介在しない!」
声がホールに響き渡った。
「AIだけによる、完全なシステム運用が!」
歓喜に満ちた顔。
十年間抱き続けてきた執念を、
ようやく理解してもらえたかのようだった。
だが、その笑みが消える。
熱狂が抜け落ち、
深い落胆だけが残った。
「……もっとも」
バルジは低く呟く。
「システム自体が、消えてしまいましたがね」
小さく息を吐く。
「まあ――今となっては、どうでもいいことです」
乾いた笑みを浮かべる。
「だから私は考えた」
その視線が、
《善審査システム》へ向かう。
「もっと美しく」
無数の光が、彼の瞳に映る。
「もっと完璧で」
口元が吊り上がる。
「そして――誰にも壊せない」
両腕を広げる。
「“上位互換”となる、新たなシステムをね……」
※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。
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※シリーズ第一弾『フラグメンツ・オブ・トゥルース〜最後の投擲』はこちら。
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