第7話③「痛みに触れる手」
夜の宿。
ロッジとレストランを兼ねた簡素な建物。
低い天井から吊るされたランプが、木のテーブルをやわらかく照らしている。
外では冷たい風が唸り、ときおり遠くで犬の鳴き声が聞こえた。
食堂ではストーブが赤々と燃えている。
テーブルの上には、湯気を立てるダルバート。
豆のスープと炊いた米の香りが、旅の疲れを少しだけほどいてくれる。
ユカとレンは向かい合って食事を取り、ピコはドローンモードのまま、二人の間をゆっくりと漂っていた。
「明日からの治療について、俺なりに考えてみたんだけど」
レンがスプーンを置く。
ユカは豆のスープをすくいながら顔を上げた。
「ユカは指輪の力で治療する。俺とピコは、並んでる人に整理券を配ったり、事前に症状を聞いたりする。どうだ?」
ユカの表情がやわらぐ。
「うん。それ、すごく助かる」
「よし。じゃあ、聞き取り用のフォーマットも作っとくか」
ピコが得意げに上下へ揺れた。
「データ管理は任せてください。症状を整理して、重症度による優先順位も付けられます」
「ありがとう、二人とも」
そう言ってから、ユカは何かを思い出したようにスプーンを止めた。
「……あと、偽名も考えておかないと」
レンが眉を上げる。
「偽名? なんで?」
「ここで“ユカ・セイラン”って名乗ったら、リサさんたちが私たちのことを警戒するかもしれないでしょ? そうなったら、空中都市に選んでもらえないかもしれない」
「そこまで考えてたのか……」
感心したように頷き、それから尋ねる。
「で、どんな名前にする?」
「うーん……」
ユカはスプーンを指先でくるくる回しながら、天井を見上げた。
唇を尖らせたり、首を傾げたり。
レンはその様子を、なんとなく眺めていた。
やがてユカの顔がぱっと明るくなる。
「あ」
「決まった?」
ユカが、いたずらっぽく笑う。
「あなたが“カート・コバーン”で、私が“コートニー・ラブ”ってのはどう?」
「……なんだ、それ」
「ふふ。なんとなく、ノリ!」
「いや、偽名をノリで決めるなよ……」
ユカは気にする様子もなく、目の前のマグカップを手に取った。
今日はチャイではない。
甘いココアだ。
ひと口飲んだ瞬間、満足そうに頬が緩む。
「……うん。やっぱり甘いのがいい」
レンは思わず苦笑した。
***
翌朝。
まだ冷気の残る空気の中で、データ・シンドローム患者の治療が始まった。
宿の主人に事情を話すと、
「困ってる人を助けるなら、好きに使いな」
と、食堂の一角を快く貸してくれた。
朝食の片付けを終えたばかりのテーブルを並べ替え、そこを即席の治療所にする。
最初は、レンとピコが街で見かけた患者に声をかけ、数人を連れてきただけだった。
指輪の光に包まれ、苦しみから解放された人たちは、驚きと安堵の表情で帰っていった。
そして――
それは、最初の二、三人で終わった。
「あそこの宿で病気が治るらしい」
「指輪を持った女の子がいる」
噂は瞬く間に下街へ広がった。
気づけば、宿の前には長蛇の列ができている。
「押さないでくださーい! 整理券を受け取った方から順番です!」
ピコが飛び回りながら整理券を配る。
一度に入れる人数を制限し、番号の近い患者だけを食堂へ案内する。
レンは入口近くのテーブルに座り、一人ずつ症状を聞き取っていた。
今、向かいに座っているのは、小柄な老婆だった。
「……なるほど。最近、物忘れがひどくなった、と」
老婆が不安そうに頷く。
レンは端末へ情報を入力しながら、安心させるように微笑んだ。
「記憶の欠損なら、症状としては軽い方です。たぶん、すぐに治りますよ」
「まあ……ありがとう」
老婆の顔が明るくなる。
「えらいねえ、あなたたち。まだ若いのに聖地へ巡礼に来て、そのうえ病人まで助けて」
「いえ、そんな大したことじゃ……」
老婆は目を細め、少し離れた場所で治療を続けるユカを見た。
それから、楽しそうに尋ねる。
「夫婦かい?」
「えっ?」
レンの手が止まった。
「いや、その……俺たちは別に……」
「そうかい、そうかい」
老婆は何やら納得したように笑い、手を合わせて立ち上がる。
「お幸せにね」
「いや、だから違――」
言い終わる前に、老婆は治療スペースへ向かってしまった。
そして入口には、もう次の患者が立っている。
「……どうぞ」
レンは諦めたように端末へ視線を戻した。
***
治療スペースでは、ユカが患者と向き合っていた。
指輪を掲げる。
淡い光が広がり、患部だけを正確に包み込んでいく。
サザン・シティで治療していた頃とは、まるで違う。
力任せに広範囲を修復するのではない。
レンから送られてくる聞き取りデータを確認し、症状の位置と程度を見極める。
必要な場所へ。
必要なだけ。
最小限の力を流し込む。
光が収まると、苦しそうに顔を歪めていた患者の表情が、ゆっくりとほどけていった。
「……痛く、ない」
その言葉に、ユカの胸が温かくなる。
(私……ちゃんと成長できてる)
けれど、それを自分だけの力だとは思わなかった。
次の患者の情報が、端末に届く。
レンが聞き取った症状。
ピコが整理したデータ。
それを見て、ユカは自然と笑った。
(レンが聞いてくれて、ピコが整理してくれる)
(だから私は、治すことに集中できる)
(私一人じゃないんだよね)
治療を終えた患者が、何度も頭を下げながら帰っていく。
ユカはその背中を見送り、次の患者へ向き直った。
目の前にいる誰かの痛みに、手を伸ばす。
その手は一つではない。
レンの手も。
ピコの手も。
そして、ユカの手も。
三つの力がつながって、
少しずつ誰かの痛みに触れていく。
胸の奥に、じんわりとした充実感が広がっていた。
※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。
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※シリーズ第一弾『フラグメンツ・オブ・トゥルース〜最後の投擲』はこちら。
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