第7話②「善意の不純物」
寺院を後にした三人は、そのまま下街へと向かった。
石畳の通りには雑多な露店が並び、香辛料の匂い、焼き物の煙、信者たちの祈りの歌声が入り混じっている。
聖と俗が、何の遠慮もなく肩を並べていた。
上空ではピコが小さく旋回しながら、人々の会話を拾っていく。
収集された音声は即座に解析され、文字となってユカとレンの端末へ送られていた。
しばらくして、三人は下街の一角にある小さなカフェへ入った。
軒先に吊るされた金属ポットから、ぷしゅ、と湯気が立ち昇る。
露店の喧騒と遠くの祈りの合唱が、奇妙な調和を作っていた。
「ただいま戻りましたー」
戻ってきたピコを、ユカが笑顔で迎える。
「うん、お疲れさま」
ピコは満足そうにくるりと回り、三人は木のテーブルを囲んで端末を覗き込んだ。
ユカとレンの前には、濃い琥珀色のチャイ。
カルダモンとシナモンの強烈な香りが、鼻を容赦なく刺激する。
レンが端末の情報を指でなぞった。
「……“週に一度、幹部が下界に降りてきて、選ばれた信者を連れていく”。これ、使えるな」
ユカは頷きながらチャイをひと口飲み――
動きを止めた。
「……スパイス、きっつ……!」
顔をしかめ、カップをまじまじと見つめる。
「これ、飲み物?
むしろ攻撃用アイテムじゃない?」
レンが吹き出した。
「ははっ。意外とお子ちゃまだな」
「ユカの味覚、推定・小学生以下です」
ピコまで追撃する。
「ちがうもん!」
ユカはむっとして、意地でもう一口飲んだ。
そして――また顔をしかめる。
レンとピコが同時に笑った。
「もう!」
頬を膨らませながら、ユカは湯気の向こうへ視線を向けた。
空には、雲を裂くように浮かぶレッド・シティ。
その巨大な影が、街全体を覆っている。
「……もし、幹部の中にリサさんやトモさんがいたら……」
「利用できる、ってことか」
「違う」
ユカはすぐに首を振った。
「話がしたいの。あの人たちと」
レンは少し驚いた顔でユカを見る。
やがて何も言わず、残っていたチャイを飲み干した。
「……お前、ほんとブレないな」
「ブレないっていうか……諦めが悪いだけ」
すかさずピコが口を挟む。
「それ、長所ですよ。“鈍感力”ってやつです」
「もう、言い方がひどい!」
また二人が笑った。
ユカも呆れながら、つられて笑う。
やがて三人は席を立ち、再び下街の喧騒へ戻っていった。
祈りの声と人々の生活の音が、その背中でゆっくりと溶け合っていく。
***
下街を見下ろす、小高い丘。
夕暮れの光が街を包み、屋根の隙間から立ち上る煙が、茜色の空へ溶けていく。
レンが眼下の街を見ながら尋ねた。
「幹部が降りてくる日まで、あと三日ある。……それまで、どうする?」
ユカはすぐには答えなかった。
祈りながら歩く人。
露店で働く人。
道端に座り込み、苦しそうに身体を丸めている人。
それらをじっと見つめる。
「私……治療をしたい」
「治療、ですか?」
ピコが首を傾げる。
「うん。さっき街を歩いてて気づいたんだけど、この辺の信者さんたち、データ・シンドロームの患者がすごく多いの」
遠くに見える人影へ、ユカは視線を向けた。
「その人たちを、一人でも多く……治したい」
レンが目を見開く。
「……ユカはすげえな。俺は、そんな発想すらなかった」
けれどユカは、すぐに首を振った。
「ううん。そんなことないよ」
「?」
「助けたいって気持ちは、本当。でも――」
言いにくそうに続ける。
「信者さんたちを治療すれば、幹部から“善行を積んでる人”だって思ってもらえるかもしれない」
レンの表情が変わる。
「……なるほど」
「そうすれば、空中都市に連れていってもらえる確率も上がる」
レンは感心したように息を吐いた。
「幹部が選ぶ基準が“善行”なら、理にかなってる。かなり現実的な作戦だな」
「……うん」
ユカは胸の前で指を組んだ。
けれど、その表情は晴れない。
患者を助けたい。
それは本心だ。
苦しんでいる人がいるなら、治してあげたい。
そこに嘘はない。
でも、その善意の中には――
自分の目的を達成するための打算も混じっている。
(こんなの……“善”って呼べるのかな)
何もしないよりは、いい。
そう思う。
でも――それだけでいいのだろうか。
ふと、シャリーア・シティの美術館で見た一枚の絵が脳裏に浮かんだ。
《メリオラ》。
乾いた土地で、ひたすら井戸を掘る聖人ノヴァ。
誰かに褒められるためでもない。
何かを得るためでもない。
ただ――
《よりよいことをしたい》
その想いだけで、地面を掘り続けていた。
ユカは、自分の手を見つめる。
自分にも、
「よりよいことをしたい」という気持ちはある。
それだけは、嘘じゃない。
だけど。
ノヴァの善にはなかったものが、
自分の善には混ざっている。
目的。
計算。
期待。
善意の中に浮かぶ、小さな不純物。
(それでも……何もしないよりは――)
答えは出なかった。
風が丘を吹き抜け、ユカの髪を揺らす。
ユカは片手で髪を押さえながら、
夕暮れの街を見下ろしていた。
レンはその横顔を見つめる。
迷っている。
悩んでいる。
それなのに、
どこか以前より大人びて見えた。
胸の奥が、わずかに熱くなる。
レンはそれをごまかすように、
そっと視線を逸らした。
※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。
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※シリーズ第一弾『フラグメンツ・オブ・トゥルース〜最後の投擲』はこちら。
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