第6話⑤「旅人に射す光」
ユカたちは、あてもなくシャリーア・シティの街を歩いていた。
白い石造りの建物。
細く入り組んだ路地。
壁を飾る青や金の幾何学模様が、強い陽射しを反射している。
乾いた風が色鮮やかな布飾りを揺らし、古い市場の上では半透明のホログラム看板がゆっくりと流れていた。
「あっ……」
突然、レンが立ち止まった。
「どうしたの?」
「……なあ。このあと、ちょっと寄りたい場所があるんだけど」
「どこ?」
「シャリーア美術館」
ユカが目を丸くする。
「美術館? レン、絵とか好きだったんだ」
「ああ」
レンは少し照れくさそうに頭をかいた。
「親父がさ。絵を描くのが好きなんだよ。うまいとか、有名とか、そういうんじゃなくて……ただ、本当に好きで」
「へえ」
「小さい頃、よく一緒に展覧会へ連れていかれた。だから俺も、見るのは結構好きなんだ」
ユカは意外そうにレンを見る。
「レンって、機械とか技術のことばっかり考えてるイメージだったから、絵が好きなのはちょっと意外」
「まあ、普段は機械いじったり、コーディングしたりしてるからな」
レンは少し考えてから、笑った。
「逆に、そういうのばっかりやってるから、たまに絵を見ると頭の使う場所が変わる感じがするんだよ」
「あ、それなんか分かるかも」
ユカが納得したようにうなずく。
「ずっと同じこと考えてると、頭カチカチになるもんね」
「ユカの場合は、もう少し考え続けても大丈夫だと思うけどな」
「それ、どういう意味!?」
横で聞いていたピコが、すぐに情報を表示した。
「シャリーア美術館は、絵画好きの間ではかなり有名です。特に伝承画のコレクションで知られています」
「伝承画?」
「各地の神話、英雄譚、聖人伝説、建国伝承などを題材にした絵画です」
「ちょっと興味あるかも」
レンが続ける。
「シャリーア教って偶像崇拝には厳しいけど、絵そのものが全部禁止ってわけじゃないんだ」
「そうなの?」
「レンの言う通りです」
ピコが頷く。
「時代や地域、宗派によって解釈は異なりますが、一定の条件のもとで、人物を描いた作品も存在します」
「なるほど……」
ユカは少し考えてから、ふと首をかしげた。
「でもピコ、さっき“各地の伝承”って言ったよね?」
「はい」
「ってことは、シャリーア教じゃない絵もあるの?」
「その通りです。他宗派や他地域の伝承画も数多く所蔵されています」
「え?」
ユカは美術館のある方角を見る。
「ここ、シャリーア教の聖地なんでしょ?」
「そうですね」
「だったら、自分たちの宗教の絵ばっかり集めそうなのに」
もう一度、首をかしげる。
「なんで?」
ピコの横に、古い交易路のホログラムが浮かび上がった。
「理由のひとつは、この街が古くから交通の要所だったことです」
幾本もの光の線が、シャリーア・シティへ集まっていく。
「各地から商人や巡礼者が訪れ、物だけでなく、物語や文化も流れ込んできました。旅人から聞いた伝承を現地の画家が描いたり、他地域の作品そのものが交易によって持ち込まれたりしたのです」
「へえ……街そのものが、いろんな物語の交差点だったんだ」
「そういうことです」
するとレンが思い出したように言った。
「確か、その流れを後押しした大導師もいたはずだ」
「大導師?」
「第十一代大導師、ノウリ・アラーグチー」
ピコがすぐに人物情報を表示する。
「敬虔なシャリーア教徒である一方、熱狂的な絵画愛好家としても知られています」
ホログラムに、彼が残したとされる言葉が浮かんだ。
――異なる伝承を知ることは、異なる形の祈りを知ることだ。
「この考えのもと、他宗派や他地域の伝承画も積極的に保護、収集したとされています」
「へえ……」
ユカは浮かんだ言葉を見つめる。
宗教都市だから、自分たちのものだけを守る。
そんな単純な話ではないらしい。
「なんか……ちょっと意外」
レンが笑った。
「意外なくらいでいいんだよ」
「え?」
「そういう“揺らぎ”があるから、人も芸術も面白いんだ」
「そっか」
ユカはその背中を見ながら思った。
レンには、まだ自分の知らない顔がいくつもあるらしい。
***
シャリーア美術館は、白い石で造られた荘厳な建物だった。
高く伸びたアーチ。
精密な幾何学模様。
整然とした造りは街と同じなのに、不思議と息苦しさはない。
館内へ入る。
ひんやりとした空気。
足音が柔らかく響く。
人々は小さな声で言葉を交わしながら、一枚一枚の絵の前で足を止めていた。
「うわあ……」
ユカが辺りを見回す。
「なんか、ちょっと緊張する」
「難しく考えなくていいよ」
レンが振り返った。
「絵を見るときは、まず“どこが気になるか”でいい」
「どこが気になるか?」
「最初に目に入った場所とか、きれいだと思った色とか。なんでこんな描き方してるんだろう、とか」
レンは壁に並ぶ絵を見ながら言う。
「全部理解しようとしなくていい。それが入口だから」
「なるほど……」
ピコも頷く。
「要するに、最初は“勘”でも構いません」
「おっ!」
ユカがにやりと笑う。
「ついに私の美術鑑賞能力が認められるときが来たね?」
「そこから言語化することが重要です」
「うわっ、急に面倒になった!」
「勘だけでは信頼性ゼロ、再現性ゼロ――」
「それ以上は言わなくていいから!」
レンが思わず吹き出した。
***
最初の大きな展示室。
レンが、一枚の大作を指さした。
「ほら。あれ」
壁の中央に掲げられた絵。
題名は――
《旅立ち》
「……きれい」
ユカの口から、自然に言葉がこぼれた。
描かれているのは、ひとりの少年と、その隣に立つ少女。
背後には乾いた村。
前方には、青く霞む丘が広がっている。
少年は質素な旅装のまま、遠くを見つめていた。
少女はその半歩後ろ。
少し不安そうにしながらも、同じ方向を見ている。
「アズル王国初代王アズルと、後に妃となるミリアだ」
レンが解説パネルを読む。
「作者はアズル派古典絵画の巨匠、カラヴァン・ミケル。題名は《旅立ち》」
「この人が、初代王?」
ユカが絵の中の少年を指さした。
「そう。もともとは貧しい村の、隊商の道案内人だったらしい」
「王様なのに?」
「この頃はまだ王様じゃない。幼馴染で薬草師のミリアと一緒に旅へ出て、聖地アズリエルで神託を受けた。その場面を描いてる」
ユカは、もう一度絵を見る。
「……全然、王様っぽくないね」
「そこが、この作品の特徴です」
ピコが説明する。
「カラヴァン・ミケルの特徴は、なんといっても“光”です」
ピコが絵の一部を拡大する。
画面に映ったのは、深い闇に沈む村。
その暗がりを切り裂くように、
画面の右上から一本の強い光が差し込んでいた。
光はアズルの頬をかすめ、
ミリアの手を照らし、
そのまま二人の前へ伸びる道へ落ちている。
周囲が暗いからこそ、
そこだけが異様なほど鮮やかに浮かび上がっていた。
「暗いなあ……」
ユカが顔を近づける。
「でも、光ってるところだけ、すごく目に入る」
「それが狙いです。カラヴァン・ミケルは、強烈な明暗の対比によって、見る者の視線を誘導することで知られています」
レンが絵を指さした。
「しかも、この二人を全然きれいに描いてないだろ?」
「ほんとだ」
よく見ると、アズルの旅装は土埃に汚れている。
履き古した靴。
日に焼けた顔。
ミリアの服にも、小さなほつれがあった。
後に王と王妃になる二人とは、とても思えない。
「英雄を最初から“偉い人”として描かないんです」
ピコが続ける。
「旅人や労働者と変わらない、生々しい普通の人間として描く。それも、カラヴァン・ミケルの大きな特徴ですね」
ユカは腕を組んだ。
「王様の絵なのに、全然キラキラしてないね」
「まだ王様じゃないからな」
レンが笑う。
「むしろ、そこがいいんだと思う」
そして、絵の中の光を目で追う。
「見てみろ。王冠もない。剣もない。本人たちですら、絵の真ん中にはいない」
「じゃあ、何が主役なの?」
レンが道を指さした。
「たぶん――これ」
二人の前へ続く道。
暗闇の中を横切る光が、
まるで何かに導くように、その先だけを照らしている。
「……道だ」
「そう。構図も斜めに伸びてるだろ? 見る側の視線まで、自然に向こうへ引っ張られる」
ユカも光の先を目で追った。
「なんか……“行け”って言われてるみたい」
「そう見えるよな」
まだ王ではない少年。
まだ妃ではない少女。
顔には不安もある。
服は汚れている。
未来が約束されているようには、とても見えない。
それなのに――
光だけが、二人の進む方向を知っている。
「……なんか、好きかも」
レンがユカを見る。
「どこが?」
ユカは少し考えた。
さっき教わったばかりのやり方で、
自分の中に浮かんだものを言葉にしてみる。
「すごい王様を描いた絵っていうより……」
もう一度、暗闇の中の二人を見る。
「普通の人が、“これから何かになる瞬間”を描いた絵って感じ」
レンの表情が少しだけ緩んだ。
「うん」
嬉しそうに頷く。
「そう見えたなら、それで十分だよ」
ユカはもう一度、《旅立ち》を見上げた。
英雄だから、光が当たっているのではない。
まだ何者でもない人間が、
これから一歩を踏み出すから――
その進む先に、光がある。
そんな絵だった。
※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。
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※シリーズ第一弾『フラグメンツ・オブ・トゥルース〜最後の投擲』はこちら。
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