第6話④「正しさの対立」
食事を終えたユカたちは、シャリーア・シティの街路を歩いていた。
規則正しく並ぶ建物。
一定の速さで流れる人々。
ゴミひとつ落ちていない道。
どこを見ても整っている。
整いすぎている。
「おい、あれ……」
レンが足を止めた。
視線の先。
無機質な建物の壁面に、電子看板が浮かんでいる。
《シン統治教 シャリーア支部》
「ここにも……あるんだ」
ユカの表情から、さっきまでの食事の余韻が消える。
ピコが建物をスキャンした。
「ですが、コア・データの反応はありません。やはり本拠地であるレッド・シティへ移送された可能性が高いです」
「……急がないとな」
レンが小さく舌打ちする。
そのときだった。
「だから、それが間違ってるって言ってるだろ!」
鋭い声が響いた。
三人が振り向く。
若い男女が向かい合い、激しく言い争っていた。
誰も大声を出さないこの街で、そこだけがひどく浮いて見える。
「……こんなに“秩序”が整ってる街でも、ケンカするんだ」
ユカがつぶやく。
レンは二人のもとへ歩み寄った。
「大丈夫ですか? よければ事情を聞かせてもらえませんか」
男が我に返ったように口を閉じる。
「……すまない。見苦しいところを」
隣の女性も頭を下げた。
「こちらこそ、お騒がせしました」
二人は兄妹だった。
兄のハリド。
妹のナディア。
ともに医療センターで働いている。
もともとは同じシャリーア教徒だったが、ナディアがシン統治教へ改宗して以来、考え方の違いが大きくなったという。
ハリドが先に口を開いた。
「人間は弱い。感情にも欲望にも流される。だからこそ、規律が必要なんだ。決められたものを守ることで、過ちを防げる」
ナディアがすぐに反論する。
「兄さんの考え方は非効率よ。感情は判断を歪める。善は測定して、最適化すべきなの」
「人を数字で扱うのか!」
「感情で判断するから間違うのよ!」
また二人の声が大きくなる。
「お二人とも、落ち着いて!」
レンが慌てて間に入った。
ユカは少し離れたところから、二人を見比べる。
「……宗教のケンカっていうより」
ピコが視線を向ける。
「なんでしょう?」
「“正しさ”のケンカみたい」
***
どうにか二人を落ち着かせると、レンがユカを見る。
「で、どうする?」
「うーん……」
ユカは腕を組んだ。
考えても、頭の中で二人の言葉がぶつかる。
「まず整理しよっか。ピコ、見えるようにできる?」
「了解です」
空中にホログラムが展開された。
《シャリーア教》
前提――人は不完全
方法――規律・伝統
強み――安定・安心
弱み――硬直しやすく、変化に弱い
《シン統治教》
前提――善は定義可能
方法――数値化・最適化
強み――効率・再現性
弱み――人間性を切り捨てる危険
「こうすると分かりやすいな」
レンが腕を組む。
ユカは二つの表示を見比べた。
「……でもさ」
「はい?」
「どっちも、“正しい”気がする」
ピコが答える。
「その認識で問題ありません。ただし、両者をそのまま同時適用すると衝突します」
レンが兄妹へ向き直った。
「そもそも、具体的には何について揉めてるんですか?」
「医療リソースの配分だ」
ハリドが答える。
「薬も設備も人員も有限だ。誰に、どれだけ使うのか」
ナディアが続ける。
「私は、より多くの人を救えるように配分すべきだと考えています。全体の幸福が最大になることが“善”です」
「だからといって!」
ハリドが声を強めた。
「目の前で苦しんでいる人間を、数字が悪いからと見捨てるのか!」
その言葉に、ユカの表情が変わった。
(……同じだ)
サンサーラ・シティで助けた老人。
善いことをしたつもりだった。
でも、その結果、家族や周囲に別の問題が生まれた。
目の前の一人だけを見るのも違う。
だからといって、全体だけ見れば誰かが切り捨てられる。
(じゃあ……どうすればいいの?)
どちらかを選べば、
どちらかを失う。
(Win-Winにするには……)
ユカは二つのホログラムを見つめる。
そして、顔を上げた。
「だったら――両方やればいいじゃん!」
「……両方?」
ハリドが目を瞬かせる。
ナディアも眉を寄せた。
「どういう意味です?」
「基本は“全体最適”で配分するの」
ユカはシン統治教側の表示を指さす。
それから、シャリーア教側へ指を移した。
「でも、目の前の人を救うための“例外”も残す!」
レンが納得したように頷く。
「なるほど。どっちかじゃなくて、ハイブリッドか」
「合理モデルに例外処理を追加する方式ですね。成立は可能です」
ピコの言葉に、ナディアが考え込む。
「例外条件をルールに組み込めば……確かに運用できる」
ハリドの表情も少し緩んだ。
「それなら……目の前の人を見捨てずに済むのか」
「でしょ!」
ユカの顔が明るくなる。
「よかったぁ。これで――」
「ただし」
ピコの声が割り込んだ。
ユカの笑顔が止まる。
「その“例外”も、運用を続ければ、いずれ条件として数値化されるでしょう」
「当然です」
ナディアが答える。
「誰が判断しても同じ結果になるよう、再現性を確保する必要がありますから」
ハリドの表情が再び険しくなる。
「……それでは意味がない」
「えっ?」
「数値化できない事情を、人間が判断する余地を残したいんだ」
「ですが、それでは判断する人によって結果が変わります」
また二人の視線がぶつかる。
「……あ……」
ユカは言葉を失った。
レンが頭をかく。
「結局、“人間の判断”をどこまで残すかって問題になるのか」
「どうすれば……」
ユカは視線を落とした。
また答えが遠くなった。
すると――
「いいえ」
ナディアが、先ほどまでとは違う柔らかな声で言った。
「今は、これでいいんです」
「え?」
ユカが顔を上げる。
ハリドも、妹を見てから小さく息を吐いた。
「私たちは、争うことが目的じゃない」
ナディアが頷く。
「根っこは同じなんです。“人を救いたい”」
「だったら、完全じゃなくてもいい。“今より進める形”が見つかったなら、まずはそこから始めればいい」
ユカが二人を見比べる。
「……それで、いいの?」
「ええ」
ナディアは微笑んだ。
「やってみて、問題が出たらまた考えます」
ピコが反応する。
「段階的に最適化する。アジャイル的ですね」
「そういうことです」
ナディアがユカへ手を差し出した。
「ありがとう、ユカさん」
「……う、うん」
ユカは少し戸惑いながら、その手を握った。
解決したわけじゃない。
たぶん、この兄妹はまたぶつかる。
しかも兄妹だからこそ、
理屈だけでは割り切れないこともあるのだろう。
それでも――
少なくとも、さっきよりは前へ進んだ。
ユカの胸には、それでも小さな引っかかりが残っていた。
(“正しい”って……やっぱり一つじゃないんだ……)
完璧に整えられたシャリーア・シティ。
その街の真ん中で――
“正しさ”だけが、
まだ答えをひとつに決められずに揺れていた。
※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。
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※シリーズ第一弾『フラグメンツ・オブ・トゥルース〜最後の投擲』はこちら。
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