第5話①「 夜の向こう側」
夜のセラフィムシティ。
月光が白い石畳を淡く照らしている。
昼間は観光客や研究者で賑わっていた通りも、今は人影がほとんどない。
古い石造りの建物が並ぶ街の一角。
その中に、不自然なほど新しい建物があった。
《シン統治教・セラフィム支部》
入口の上には、教団の紋章。
《真の救済は美しく完璧な"善"によってもたらされる》
昼間にも見た標語が、青白い照明に浮かび上がっていた。
向かいの建物の陰。
壁際に身を寄せ、三つの影が並んでいる。
レンは携帯端末を操作しながら、教団のビルを睨んでいた。
「一か月前……俺はあそこに入った」
「中に?」
ユカが小声で聞く。
「ああ。サーバの調子が悪いって修理依頼が来た」
レンの指が端末を滑る。
画面に、建物内部の見取り図が表示された。
「教団だって知ってて行ったの?」
「仕事を断る理由はなかったからな。あの時点じゃ、ただの怪しい宗教団体だった」
「怪しい、ね……」
「多少の偏見が入っているのは認める」
レンが苦笑する。
その表情が消え、画面を見つめる。
「でも、中で妙な会話を聞いた」
***
一か月前。
シン統治教・セラフィム支部。
地下サーバ室。
ラックに並んだ機器の間で、レンは工具を片手にしゃがみ込んでいた。
「……電源系じゃないな」
端末を接続する。
ログが高速で流れていく。
「通信負荷が異常に高い。何やってんだ、こいつら……」
そのときだった。
廊下の向こうから複数の足音が近づいてきた。
レンは手を止める。
扉の外から、男たちの声が聞こえた。
「まだ見つからないのか」
「候補地点は絞り込めています」
「急げ。レッド・シティからも催促が来ている」
レンの眉が動く。
「……?」
作業を続けるふりをしながら耳を澄ませる。
「本当に地下にあるんでしょうな」
「間違いない。一族が秘匿している“コア・データ”は、あの遺構にある。あの方が仰っていたのだ。」
レンの指が止まった。
コア・データ。
聞き覚えのない名称だった。
だが、声の調子だけでわかる。
ろくな話ではない。
「見つけ次第、回収する」
「警備は?」
「問題ない。表向きはただの遺構調査として処理する」
足音が遠ざかっていく。
レンはしばらく作業端末を見つめていた。
「……コア・データ、ね」
検索をかける。
通常のネットワークには、ほとんど情報が出てこない。
代わりに引っかかったのは、古い研究資料の断片だった。
《セラ一族》
《隕石》
《原初データ》
《禁忌》
レンの表情が変わった。
「マジかよ……」
廊下を見る。
誰もいない。
レンは工具ケースを開いた。
ドライバー。
ケーブル。
交換用チップ。
その奥から、親指の先ほどの小さな機器を取り出す。
超小型の集音マイク。
レンは扉の外へ出た。
声が聞こえてきた方向へ歩く。
角を曲がった先には、小さな会議室。
扉は閉じている。
天井を見る。
監視カメラ。
レンは端末を取り出し、先ほど確認したネットワークへ数秒だけ接続する。
「カメラ遅延……三秒」
映像が一瞬だけループする。
その間にしゃがみ込み、壁際の通信端子のカバーを外した。
中へマイクを差し込む。
磁気固定。
配線に擬装。
カバーを戻す。
三秒。
レンは立ち上がる。
監視カメラが再び正常に戻った。
「……よし」
そのまま何食わぬ顔でサーバ室へ戻る。
数分後。
修理を終えたレンは、教団員へ端末を返した。
「通信障害は直しました。しばらくは問題ないと思いますが、何かあったら連絡してください」
「ご苦労」
「どうも失礼します」
工具箱を肩に担ぎ、出口へ向かう。
建物を出たところで、レンはポケットの端末を確認した。
音声波形が表示されている。
盗聴マイクは正常に作動していた。
「……さて」
レンが教団の建物を振り返る。
「何を企んでるのか、聞かせてもらおうか」
***
「……それから一か月」
現在。
レンが端末に保存された大量の音声ログを表示する。
「ずっと監視してきた」
ユカが画面を覗き込む。
「一か月も?」
「ああ。ほとんどは説教だの寄付だの、どうでもいい話だったけどな」
「それ、全部聞いたの?」
「検索AIにキーワードで抽出させた」
「よかった。レンが夜な夜な宗教のお説教を聞いてたのかと思った」
「なんで俺がそんな修行しなきゃならないんだ」
ピコが音声ログを解析する。
「直近三日間で《コア・データ》《回収》《今夜》の出現頻度が急増しています」
レンがうなずく。
「今日だ」
教団のビルを見る。
「今日、やつらが動く」
そのとき。
ピコの目が淡く光った。
「信号をキャッチしました」
「来たか」
「複数の動体が建物から離脱します。人数、七」
教団ビルの裏口が開いた。
黒装束の男たちが次々に出てくる。
周囲を確認し、そのまま街の中心方向へ歩き始めた。
「行くぞ」
レンが動く。
ユカとピコも後に続いた。
距離を十分に取りながら、三人は教団員たちを追う。
夜の細い路地。
月光。
足音。
前方を進む黒い影。
そんな中――
「……ふふ」
ユカが笑った。
ピコが振り返る。
「ユカ?」
「尾行って、なんかスパイみたいだね」
妙に楽しそうだった。
「ユカ。これは遊びではありませんよ」
「わかってるって」
「その割には、ずいぶん嬉しそうですが」
「だってスパイだよ?」
「ちなみに、ユカはスパイにどんなイメージを持っているんですか?」
「え?」
ユカは少し考える。
そして自信満々に答えた。
「バーでマティーニ飲んで」
「はい」
「美女といい感じになって」
「はい?」
「秘密兵器をぶっ放すんでしょ?」
ピコの動きが止まった。
「……スパイ映画の見すぎです、それは」
「え? だいたい合ってない?」
「合っていません」
レンが前を向いたまま口を挟む。
「少なくとも今の俺たちに、バーも美女も秘密兵器もない」
ユカがレンを見る。
「美女の卵ならいるけど?」
レンが足を止めかけた。
「……」
ピコが即座に言う。
「ユカ。今は尾行に集中してください」
「なんで!? そこスルーするところ!?
勇気を出して、ボケたのに!」
「スルーしていません。時間が惜しいだけです」
「スルーどころかちょっと否定してる!」
前を歩くレンの肩が、小さく揺れた。
「レン、笑った?」
「笑ってない」
「笑ったでしょ!」
「しっ、声がでかいぞ」
「ご、ごめん」
ユカは慌てて口を押さえた。
しばらくして、ピコが小声でつぶやく。
「スパイ適性は低そうですね」
「聞こえてるからね?」
それでも、ユカの声には少しだけ笑いが残っていた。
だが――。
前方の教団員たちが大通りを外れた瞬間、その表情が変わる。
「……あっちって」
レンもうなずく。
「旧市街だ」
建物が減っていく。
石畳はひび割れ、街灯もまばらになる。
さらに進むと、街の景色そのものが変わった。
白い建物の向こう。
黒い岩肌が露出した土地。
その奥に、巨大な石門が見える。
半ば崩れ、蔦に覆われた古代遺構。
黒装束の教団員たちは、周囲を確認してから、その中へ消えていった。
三人は物陰で立ち止まる。
レンが端末を見る。
「盗聴ログに出てきた地点と一致する」
ユカは遺構を見上げた。
入口の先には、月の光すら届かない闇が続いている。
「この中に……コア・データが?」
「可能性は高い」
ピコが周囲を走査する。
「内部構造は不明。通信状態も急速に悪化しています」
レンは端末をしまった。
「ここから先は、何があるかわからない」
ユカを見る。
「まだ引き返せるぞ」
「何言ってんの?」
ユカは即答した。
「ここまで来たんだから、行くに決まってるでしょ」
さっきまでスパイ映画の話で笑っていた顔ではない。
レンはそんなユカを見て、少しだけ口元を緩めた。
「……そう言うと思った」
レンが石門へ向かう。
「よし。行くぞ」
「うん」
「了解です」
三つの影が、古代遺構の入口へ近づいていく。
月明かりの届く場所から、
その向こう側へ。
夜のさらに深い場所へ――
ユカたちは足を踏み入れた。
※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。
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※シリーズ第一弾『フラグメンツ・オブ・トゥルース〜最後の投擲』はこちら。
https://ncode.syosetu.com/n8279mq/




