第4話③「いつか消えていく」
骨董店を出ると、セラフィム・シティの夕方の風が頬をなでた。
「ユカ、これからどうするのです?」
ピコの声に、ユカはうつむいたまま答える。
「ごめん、ピコ。少し一人で考えさせて……」
「ユカ……」
ユカはそのまま、のろのろと歩き出した。
ピコは追いかけなかった。
今は言葉をかけるより、ひとりで考える時間が必要なのだろう。
遠ざかっていくユカの背中を、ただ見送った。
***
どれくらい歩いたのか。
ユカが顔を上げると、街の外れにある古代の円形劇場まで来ていた。
白い大理石で造られた、巨大な遺構。
階段は長い年月の風雨に削られ、あちこちが欠けている。
半円形に広がる観客席には、もう誰もいない。
ユカは舞台の中央まで歩いた。
かつてここには、大勢の人が集まっていたのだろう。
(ここで、誰かが何かを信じて、声を上げてたんだよね)
祈りだったのかもしれない。
怒りだったのかもしれない。
あるいは――自分たちこそ正しいと信じる声だったのかもしれない。
街角で叫んでいた人々。
レンの言葉。
《win-lose。それが俺の“善”であり、正義だ》
ユカは空っぽの観客席を見上げる。
(でも……いつか全部、消えてしまうんだ)
どれだけ強く叫んでも。
どれだけ正しいと信じても。
百年。
千年。
もっと長い時間が流れれば――。
(“声”も、“善”も、“正義”も)
ユカは自分の手を見る。
(そして、私自身も……)
風が舞台を吹き抜けた。
巻き上げられた埃が夕陽を浴び、金色にきらめく。
広大な劇場の中央に立つユカの姿は、あまりにも小さかった。
やがて、低い羽音が近づいてくる。
ドローンモードのピコが、何も言わず隣へ浮かんだ。
しばらくして、ピコが尋ねる。
「何を考えていたんですか?」
ユカは沈みかけた太陽を見つめる。
「……正しいって、なんだろうね」
ピコは答えなかった。
ユカも、それ以上は何も言わない。
答えなんて、まだわからない。
劇場が夕陽に染まっていく。
ユカは舞台に腰を下ろし、太陽が完全に沈むまで、そこに座っていた。
***
夜。
宿のダイニングには、柔らかなランプの光が灯っていた。
旅人。
商人。
学者。
あちこちから会話が聞こえ、知らない国の言葉まで心地よいざわめきに溶けている。
窓際の席で、ユカは頬杖をついていた。
数時間前まで世界の意味について悩んでいた少女とは思えない顔である。
「悩んでいた割には、ずいぶん元気そうですね」
「えへへー。だって、お腹すいたんだもん」
「情緒の切り替え速度が異常です」
「それ、褒めてる?」
「分析です」
「むー」
頬を膨らませるユカを見ながら、ピコが続ける。
「それにしても、あのレンという少年。ソウタにそっくりでしたね」
ユカの動きが止まった。
「あっ、ピコもそう思った?」
「顔面一致率86.2%でした」
「高すぎでしょ!」
「骨格構造、瞳の間隔、表情筋パターン。いずれも高一致です」
「もうそれ本人じゃん……」
ユカは苦笑した。
けれど、すぐに首を振る。
「でもね、似てたのは顔だけ」
「と言いますと?」
「話し方とか、もう最悪! ソウタの爪の垢を煎じて飲ませたいレベル!」
言いながら、レンの顔が浮かぶ。
冷たい目。
刺すような言葉。
見た目はあんなに似ているのに、中身はまるで違う。
そこへ料理が運ばれてきた。
「お待たせしました」
テーブルに置かれたのは、オリーブと山羊チーズのパニーニ。
香ばしい匂いが立ち上った瞬間――。
「うわっ、おいしそう!」
ユカの顔が一気に明るくなる。
「感情の復旧が早すぎます」
「それはいいことだよ!」
「都合のいい記憶管理とも言えます」
「そんなことない!」
ユカは両手を合わせた。
「いただきまーす!」
大きくひと口。
「……っっ、うまっ!」
目が輝く。
「チーズがとろっとしてて、オリーブの塩気がちょうどよくて、パンがカリッとしてて……最高!」
「急にグルメレポーターに転職しましたね」
「人生はね、今この瞬間なの!」
「哲学が雑です」
「いいの!」
ユカはもう一口かじる。
誰かの笑い声。
食器の触れ合う音。
窓の外を行き交う人々。
いつか、全部消えていくのかもしれない。
この店も。
この街も。
今ここにいる人たちも。
だからといって――今がなくなるわけではない。
「旅ってさ、考えるだけじゃだめだよ」
ユカはパンを頬張ったまま言う。
「食べるのも、大事な仕事!」
「では、“正しさ”の答えは?」
ユカはにっこり笑った。
「さっぱりわかんない」
「……」
「でもね、食べながら考えても仕方ないよ。せっかくの料理がおいしくなくなるし」
ちょうど近くを通った給仕へ、ユカが勢いよく手を上げる。
「すみませーん! 黄金ブドウのリゾット、追加で!」
「……完全に切り替えてますね」
「ふふーん。生きるって、そういうことでしょ?」
「呆れているんです」
「ひどーい!」
ユカの笑い声が、ランプの下で弾んだ。
迷いは消えていない。
答えも、まだ見つかっていない。
それでも腹は減る。
おいしいものを食べれば笑える。
いつか消えてしまうとしても――。
今、この瞬間まで消えてしまうわけじゃない。
ユカはもう一度、パニーニにかぶりついた。
※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。
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※シリーズ第一弾『フラグメンツ・オブ・トゥルース〜最後の投擲』はこちら。
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