第3話②「価値観、木っ端微塵!」
サンサーラ・シティ駅。
駅員との対応を終えたユカが、少し疲れた顔で戻ってきた。
「復旧の見通しが立たないから、今日はここで泊まってほしいって。ホテル代は列車会社が出してくれるみたい」
「それは……かなり大きなトラブルですね」
ピコが少しだけ眉を下げる。
「さっきピコが、空中列車は天候の影響を受けにくいって言ってたけど、こういうこともあるんだね」
「磁場の乱れなどで、年に数回は発生するようです」
「年に数回かぁ……」
ユカが肩を落とす。
ピコはそんなユカを見て、さらりと言った。
「……それに当たるとは、やはりユカの日頃の行いが」
「ちょっと待って!? それ、全然科学的じゃないよね!?」
ユカがむっとした、その瞬間。
ぐぅぅぅーっ。
腹の虫が、見事な音を響かせた。
ピコが周囲を見回す。
「……はて。何かの鳴き声でしょうか」
「今の絶対わかって言ってるでしょ!?」
ユカはお腹を押さえ、顔を赤くする。
「もう! 怒ったら余計にお腹減ってきた……! 早くどこか食べに行こ!」
そのまま足早に歩き出す。
ピコは小さくため息をつきながら、その後を追った。
***
駅舎を出た瞬間。
ユカは、その場で立ち止まった。
耳に飛び込んでくる大音量の祈り。
鼻を突く強烈な香辛料の匂い。
街中を当然のように歩いている牛。
そして――人、人、人。
どこを見ても人だらけだった。
「ちょっと待って……情報量、多すぎない!?」
「これがサンサーラです」
「カオスすぎる……!」
ユカはきょろきょろと周囲を見回しながら歩いていく。
建物の隙間には色鮮やかな布。
路地では屋台の煙が立ちのぼり、聞いたことのない楽器の音が響いている。
そのすぐ横を牛が横切り、さらにその後ろを犬と猿が駆け抜けていった。
「もう何を見ればいいのかわかんないんだけど……」
「すべて見ればいいのでは?」
「無茶言わないで!」
やがて、街並みが途切れる。
ユカの目の前に、巨大な川が現れた。
赤茶でも白でもない。
濁った黄金色の大地。
その中央を、ゆったりと、けれど圧倒的な存在感で大河が流れている。
湿った空気が肌にまとわりつく。
「なっ……!」
ユカは思わず言葉を失った。
「これが、聖なるサンサーラ川です」
「ええーっ、そうなの!? な、なんか……すごい独特な匂いがするんだけど……?」
風に乗ってくるのは、単なる水の匂いではない。
土。
生き物。
煙。
生活。
いろいろなものが混ざり合った、濃い匂いだった。
川辺へ目を向ける。
牛が、のんびりと水際を歩いている。
犬や猿が、その間を縫うように走り回る。
さらにその横では、人々が普通に川へ入り、水を浴び、歯を磨き、洗濯をしていた。
「……!」
ユカの思考が止まる。
そのとき。
川の中に入っていた牛が、ぴたりと動きを止めた。
そして――
ぽちゃん。
「ピコぉぉぉーーーー!!」
ユカの絶叫が川辺に響き渡る。
「聖なる川に、う、牛がぁぁぁっ!!」
「はいはい。ここでは牛は神聖な動物ですし、それも含めて“普通の光景”です」
「普通!?」
ピコはまったく動じない。
ユカは恐る恐る、別の方向を見る。
そこでは、人が川に浸かって手を合わせていた。
そのすぐ隣では、誰かが洗濯物を水面に叩きつけている。
さらに少し離れた場所では、水を汲む人。
その向こうには、火葬の煙。
川へと流されていく灰。
祈り。
生活。
生き物。
死。
全部が、同じ場所にある。
全部が、同時に存在している。
「ピコぉぉぉーーーー!!」
再びユカの声が響く。
「か、川で、せ、洗濯してるぅ……!」
「桃太郎ですか?」
「ち、違うぅーーっ! 汲んでる! 入ってる! いろいろ混ざってるぅーーーっ!!」
もはや言葉になっていない。
ユカの頭は完全に処理落ちしていた。
ピコが落ち着いた声で尋ねる。
「どうですか?」
「どうって……!」
「ここでは、生と死と生活が一体化しています。旅行者が最も驚くポイントのひとつです」
ユカは肩で息をしながら、もう一度川を見た。
「いやもう……驚くっていうか……」
両手を頭に当てる。
「価値観、木っ端微塵なんだけど……!」
「サンサーラ教徒にとって、沐浴は重要な宗教的行為です」
「う、うん……それはわかったけど……」
ピコは、ふと思い出したように続ける。
「ユカも体験してみますか?」
「え?」
「以前の温泉のときのように、バタフライで」
「ひえええぇぇぇーーーっっっ!!!」
ユカは両手をほっぺたに当て、全力で後ずさった。
「絶対ムリ!! いろんな意味でムリ!!」
「そうですか。残念です」
「何が残念なの!?」
ピコは小さく肩をすくめる。
ユカはそれ以上ツッコむ気力もなく、再び川へ視線を戻した。
さっきまでなら、ただ“汚い”と思って終わっていたかもしれない。
けれど、目の前では誰かが祈っている。
誰かが洗濯をしている。
誰かが生きている。
そして、誰かが死者を送っている。
全部が、同じ水のそばにある。
ユカは、ぽつりとつぶやいた。
「……同じ“水”なのに、なんでこんなに世界が違って見えるんだろ……」
ピコは答えなかった。
ただ、ユカと並んで同じ川を見つめていた。
※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。
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※シリーズ第一弾『フラグメンツ・オブ・トゥルース〜最後の投擲』はこちら。
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