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第16話③全部置いて逃げろ

◇08月17日 09時台/研究所/研究員たち


研究所では、停電前までに得られていた健一たちの血液検査の結果と、これまで保存されていた感染者の検査記録の確認が続けられていた。

発電機が止まったことで分析機器は使えなくなっているが、すでに記録されていた数値や資料まで失われたわけではない。

机の上には健一たち七人の検査結果だけでなく、これまで研究所で採取してきた感染者の血液や組織に関する記録も並んでいた。

一人の研究員が数値を確認し、パンデミック初期にアメリカの研究機関から送られてきた資料と見比べる。


『……やっぱり違うわね』


隣で別の検査記録を確認していた研究員が顔を上げた。


『耐性者の方?』


『それも気になるけど、感染者の方。アメリカから送られてきた初期データと、国内で採取した検体の記録に差が出始めてる』


二人は同じ項目を並べて比較した。

測定時期も検体の状態も完全に同一ではない。

そのため、数字が違うというだけで原因を決めることはできなかった。

それでも、一つの検体だけに現れた偶然として片づけるには、気になる差がいくつも重なっている。


『ウイルスそのものが変化しているってこと?』


『まだ分からない。個体差かもしれないし、感染してからの経過時間によるものかもしれない』


研究員は推測を結論として記録せず、確認できた事実だけを残していった。

日本国内で感染が広がってから日数が経っている。

初期のアメリカで採取された検体と、現在の日本にいる感染者を比べれば、感染後の経過時間が違う可能性もある。


一方で、日本人感染者の変化が海外の報告より速いという話とも無関係とは言い切れなかった。

研究員は血液検査の結果を見つめたあと、静かに言った。


『血液だけじゃ足りないわ。身体そのものに、どんな変化が起きているのか確認する必要がある』


もう一人も頷いた。

血液中に現れる変化だけを追っていても、感染者の身体で実際に何が進行しているのかまでは分からない。

二人は、停電前までに残されていた組織資料や検査記録を、さらに詳しく見直すことにした。




◇08月17日 10時台/研究所/研究員たち


研究員たちは、停電前までに残されていた感染者の組織資料や病理画像、検査記録を詳しく見直していた。

新たに機器を使って検査することはできないが、過去に記録されたデータの中にも、まだ比較できる情報は残っている。

筋肉組織について記録された画像を確認していた研究員が、アメリカ側の資料を開き、記載されている所見と見比べた。


『……筋肉の変化が大きい』


隣の研究員も資料を確認する。


『アメリカの報告では、ここまで急激な変化は確認されてなかったはずよ』


筋肉だけではなかった。

保存されていた脳組織の画像や記録についても比較すると、そこにも初期のアメリカの感染者とは異なる変化が見つかっていた。


研究員は二つの資料を並べる。


『脳の萎縮も進んでる……』


『筋肉の変化も、脳の変化も……報告より進行してる』


先日、健一たちから聞いた話が二人の頭に浮かぶ。

以前より走る感染者が増えた。

力も強くなったように感じる。

罠に掛かっても、自分の足を傷つけながら拘束を破った個体までいた。


彼らの体験談だけなら、遭遇した個体の差や主観による可能性もあった。

しかし、研究所に残されていた検査記録にも、初期の海外資料とは一致しない変化が現れている。


研究員はアメリカの資料と国内の検査記録を並べた。


『感染してから時間が経ったからなのか……それとも、日本の感染者に別の変化が起きてるのか……』


別の研究員が保存されている資料へ目を落とす。


『死後の検体だけじゃ限界があるわね』


『ええ。生きている感染者を調べる必要がある』


死亡後には当然、循環も代謝も止まり、組織そのものにも死後変化が起きる。

今まさに進行している身体の変化を調べるなら、生きている個体を観察するしかない。

二人はそれまでに確認できた所見を記録し、自衛隊員へ生体の感染者を確保できないか相談することにした。





◇08月17日 09時台/ガソリンスタンド/健一、権蔵、達也、なおみ、美樹

──研究員たちが感染者の検査記録を調べていた頃。


ガソリンスタンドでは、二百リットルのドラム缶へガソリンが入り続けていた。

発電機の駆動音は止まらない。

地下タンクから燃料を取り出すためには必要な音だが、それは同時に、静まり返った街へ自分たちの居場所を知らせ続けているのと同じだった。


最初に近づいてきた感染者を、美樹が空気銃で狙う。

周囲に仲間がいないことを確認してから引き金を引くと、感染者は道路上へ倒れた。

反対側では権蔵もプレチャージ式空気銃を使い、まだ距離のある個体を処理している。

遠距離で減らせるうちは問題なかった。


しかし、時間が経つにつれて道路の向こうから現れる感染者の数が増えていく。

しかも歩いて近づいてくる個体ばかりではない。

一体が発電機の音へ反応した直後、急に速度を上げた。


『くそっ! また走ってきやがった!』


達也がバールを構えた。

その動きに合わせて左耳の傷が疼いたのか、一瞬だけ顔をしかめる。

なおみも刀を抜いたが、噛まれた傷はまだ完全には治っていない。

その様子を見た権蔵が声を掛けた。


『二人とも、まだ傷が痛むんじゃろ。無理なら後ろに下がっとってもええぞ』


『女が子供産む時は、こんなんよりもっと痛いんやろ。これくらい平気や』


『俺も大丈夫だ。正面から無茶しなきゃいいんだろ。工夫して戦うぜ』


『無茶だけはするなよ』


権蔵はそう言って空気銃を構え直した。

健一は給油を続けながら、いつでも手を止められるよう薪割り斧を手の届く場所へ置いた。

美樹と権蔵が遠くの個体を優先して撃ち、そこを抜けてきた感染者を達也となおみが迎え撃つ。


達也は感染者と正面から組み合わず、バールの間合いを使って進路を逸らしてから殴る。

なおみも深く踏み込みすぎず、相手の勢いをかわして刀で斬っていく。


二人とも傷の痛みは残っている。

それでも、負傷した身体で無理に力勝負をしないよう戦い方を変えたことで、最初の数体には対応できていた。


だが、倒しても次が来る。

発電機が動いている限り、遠くにいる感染者まで音へ引き寄せられている。

さらに以前より走る個体が多く、一気に距離を詰められるため、美樹たちが遠距離で処理できる時間も短くなっていた。


一体の感染者がなおみへ走り込む。

なおみは正面を外れ、すれ違いざまに脚を斬った。

感染者が体勢を崩して倒れたところへ、頭部に刃を入れる。


だが、その直後には別方向から健一へ向かう個体が現れた。


『まだ増えるぞ!』


権蔵が空気銃を撃ちながら警告する。

健一は薪割り斧で目前の感染者を倒すと、給油機の方を見た。


まだ終わっていない。

ドラム缶も携帯缶も、できる限り満たして帰りたい。

ここまで設備を動かした以上、中途半端な量で戻れば、また同じ危険を冒して来なければならなくなる。

美樹が道路へ空気銃を向けた。


『健一! また来る!』


『もう少しだけ持たせてくれ!』


健一は給油状況を確かめながら答えた。

その時、なおみが次に来る感染者を探すため、少し離れた道路へ視線を向けた。

動きが止まる。


『……ちょ、待って。あれヤバいで』


達也がバールを握ったまま振り返る。


『何体いる?』


なおみは道路の向こうから迫ってくる影を目で追った。

数える余裕などなかった。

感染者の群れが道路を埋めるように、こちらへ向かっている。


『50……いや、そんくらいおる! あかん! いったん逃げるんや!!』


健一も確認し、すぐに給油を続ける判断を捨てた。

今いる数体なら戦える。

だが、あの集団まで到着すれば五人では支えきれない。


『全員、トラックに乗れ!』


健一は小型トラックへ走ろうとした。

しかし権蔵が前方を見て、すぐに怒鳴る。


『ダメだ! 前方は車で抜けられん! 裏口から出るぞ!!』


感染者は正面側の道路へ集まり始め、車で進める経路を塞ぎつつあった。

このまま全員がトラックへ乗り込んでいる間に囲まれれば、逃げ場そのものを失う。


『こっちや!』


なおみが建物の裏手へ走る。

健一も判断を切り替えた。


『トラックは捨てる! 全員、裏から離脱!』


挿絵(By みてみん)


五人は武器だけを持ち、給油途中のドラム缶も、携帯缶も、その場に残した。


誰も発電機を止めに戻れない。

そんな数秒さえ惜しかった。


五人は建物の裏口を抜け、そのままガソリンスタンドから走って離れていく。

背後では発電機の音が鳴り続けていた。


小型トラックも。

せっかく動かした給油機も。

集めかけた大量のガソリンも。


すべて感染者が押し寄せるガソリンスタンドへ残されたままだった。

挿絵(By みてみん)

■唯のサバイバルメモ

・今日のテーマ:撤退する勇気/サンクコスト


皆さんこんにちは。唯です。

今回のお題は『撤退する勇気とサンクコスト』についてです。


人って、時間やお金や労力をたくさん使うと、途中でやめるのがもったいなく感じることがあります。


こういう、もう取り戻せない時間やお金、労力のことを『サンクコスト』って呼ぶそうです。


たとえば、

『ここまで歩いたんだから、あと少し進もう』

『せっかく集めた物資だから、置いていけない』

『何時間も作業したんだから、完成するまで続けたい』

なんて思っちゃうこと。


でも、『ここまでどれだけ頑張ったか』と、『これから続けても大丈夫なのか』は、別のお話なんですね。


今回のお兄ちゃんたちも、パスワードを見つけた。

給油機も動かした。

ガソリンもたくさん集めた。


……ここまでやったら、全部持って帰りたくなるよね。


私だったら絶対、『せっかくここまでやったのにー!』って言うと思います。


でも、感染者が大量に集まってきたら話は別。

トラックも。

発電機も。

ガソリンも。

全部置いて逃げました。


……もったいない。

ものすっごくもったいない。


でも、死んじゃったら取りに戻ることもできません。

物はまた探せるかもしれない。

ガソリンも、また取りに来られるかもしれない。


でも命は拾い直せません。

だから、『ここまで頑張ったから続ける』じゃなくて、『ここから先も続けて大丈夫なのか』で考える。


逃げるのも、立派なサバイバルなんですね。




そして今回も最後まで読んでくれてありがとう!


『続きが気になる!』って思ってもらえたら、

評価やブックマークで応援してもらえると嬉しいです!


お兄ちゃんたちは全部置いて逃げちゃったけど……

評価とブックマークは置いていってもらって大丈夫だよ?


……あれ?

なんか上手いこと言った気がする。


では今日はここまで。

またね。

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