第16話②1105
健一たちはパスワードの手掛かりを探すため店内へ入った。
停電した事務所にはフラッシュライトの光だけが動き、机の上には帳簿や書類、給油設備のマニュアルが残されている。
健一と達也が手分けして確認し、美樹もカウンター周辺の引き出しを探したが、暗証番号らしい数字はどこにも書かれていなかった。
外では発電機の駆動音が途切れることなく響いている。
健一は書類をめくる手を止め、ふと以前ここへ来た時のことを思い出した。
『そういえば……店長の名札を付けた感染者がいた』
達也が振り返る。
『店長なら何か持ってるかも?』
店長自身がパスワードを決めていたのであれば、仕事用のメモや手帳に何らかの手掛かりが残っている可能性はある。
健一は以前その感染者を倒した場所を思い出しながら店を出た。
『確か、こっちだった』
全員で周囲を警戒しつつ移動すると、ほどなくして健一の記憶にある場所へ辿り着いた。
そこには、以前倒した店長の遺体が残されていた。
真夏の暑さの中で腐敗は大きく進み、身体には蛆が湧いている。
鼻を突く臭いに美樹が思わず顔を背け、達也も露骨に顔をしかめた。
『うへぇ……』
権蔵は口元を覆いながら遺体へ近づき、衣服のポケットを一つずつ調べた。
腐敗した身体そのものへ余計に触れないよう注意しながら探していると、胸元のポケットから小さな手帳が出てきた。
『……あったぞ』
権蔵が差し出すと、達也は一瞬受け取るのをためらった。
『うへぇ……それ俺が見るの?』
美樹が横から手を伸ばす。
『嫌なら私が見ようか?』
『いや、見る見る』
そこだけは譲らず、達也は手帳を受け取った。
ページを開くと、仕事の予定に混じって私用のメモがいくつも書かれている。
給油設備の番号や発注予定らしい記録を追っていくうちに、一つの予定が目に留まった。
【11月5日 娘13歳の誕生日】
その下にも書き込みが続いている。
【プレゼント候補 香水/コスメ 嫁に相談】
【去年みたいな子供向けは絶対やめる】
【誕生日ケーキ予約】
達也の表情から、さっきまでの嫌悪感が少し消えた。
『……店長、娘いたんだな』
美樹も手帳を覗き込む。
『11月5日……』
健一は数字をそのまま口にした。
『1105か』
達也が手帳と給油機のある方向を交互に見る。
『まさかとは思うけど、こういうのパスワードにする親父いそうじゃね?』
なおみが肩をすくめた。
『試すだけ試してみたらええやん』
それ以上の候補もない。
健一たちは給油機へ戻り、健一が操作盤へ【1105】と入力した。
数秒後。
画面が切り替わる。
【認証しました】
『うわ、マジかよw 俺の生年月日と生まれた時間の11月4日5時14分とニアミスじゃねぇかw』
『どこがやねん』
なおみが呆れながらも画面へ近づいた。
『マジで開いたん!?』
『ああ』
健一は使用可能になった給油機を見てから、店長の遺体がある方向へ一度だけ目を向けた。
『……店長、助かったよ』
すぐに作業へ移る。
持ってきた二百リットルのドラム缶は三本。
さらに二十リットルの携帯缶が五本ある。
満タンまで入れれば合計七百リットルになる。
給油が始まると、健一と達也が容器の状態を確認し、美樹たちは周囲への警戒を続けた。
しかし、発電機の音も止まってはいない。
遠くの道路に一体の感染者が姿を現し、音のする方向へ歩き始めた。
そのさらに向こうからも、別の一体がこちらへ向きを変える。
美樹は空気銃を構えながら、その数が少しずつ増えていることに気づいた。
◇08月17日 08時台/造園店・花屋/避難者たち
──健一たちがガソリンスタンドへ向かっていた頃。
研究所に残った避難者たちは、近くの造園店と花屋を訪れていた。
目的は、今後の食料を自分たちで作るための準備だった。
研究所には農業へ転用できそうな土地がある。
しかし、土地だけあっても植えるものがなければ始められない。
避難者の一人が、屋外売場に並んだ苗を見ながら言った。
『備蓄だけ食ってても、いつかなくなるからな』
別の避難者も頷く。
『育つまで時間は掛かるけど、今から始めないともっと遅くなる』
長期間放置された店内では、すでに枯れている苗も多かった。
それでも水分が残り、まだ葉の色が保たれているものを一つずつ選んでいく。
食用になる果樹の苗木。
野菜の苗。
育て方が書かれた札。
園芸用の土や肥料も、使えそうなものは車へ運んだ。
『これだけあれば、研究所の空いてる場所で少しは始められるな』
『ちゃんと育てばだけどな』
今すぐ腹を満たす物資ではない。
それでも、数週間後、数か月後を考えるなら必要になる。
避難者たちは何度も店と車の間を往復し、状態の良い苗を優先して積み込んでいった。
◇08月17日 09時台/造園店・花屋/避難者たち
苗木や園芸用品の積み込みが続く中、店の裏手から微かな物音がした。
一人が荷物を持ったまま振り返る。
『……今、何か聞こえなかったか?』
全員が動きを止めた。
植木や資材の並ぶ売場を見回すが、すぐには何も見えない。
しばらく待っても動きがないため、気のせいかと思いかけた。
『大丈夫そうだな』
再び作業へ戻ろうとした、その瞬間だった。
植木の陰から一体の感染者が飛び出した。
『感染者だ!』
近くにいた男性が反応するより早く押し倒される。
仲間たちがすぐに駆け寄ろうとしたが、感染者は倒した男性の上へ乗り、その首元へ噛みついた。
『離れろ! そいつから離れろ!』
数人で感染者を引き剥がし、別の住民が手近な園芸用具で頭部を殴って動きを止める。
しかし、倒れている男性の首からは大量の血が流れていた。
仲間が両手で傷口を押さえる。
『おい! しっかりしろ!』
血は指の間から次々と溢れ、服を赤く染めていく。
『研究所まで戻れば――』
もう一人が傷を見て、言葉を失った。
頸動脈付近が深く損傷している。
『……間に合わない』
『そんなこと言うな!』
『おい! 聞こえるか!?』
呼びかけに反応しようとしていた男性の力が急速に抜けていく。
やがて目を閉じ、そのまま動かなくなった。
残った避難者たちは言葉を失った。
食料を作るために苗を取りに来ただけだった。
それでも、一体の感染者が植木の陰に潜んでいただけで仲間が一人死んだ。
誰かが周囲を見回した。
『……ここに他の感染者がいるかもしれない』
その言葉で全員が我に返る。
まだ積み込んでいない苗は残っている。
だが、すべてを回収するために探索を続ける理由はなくなった。
『もう戻ろう。積んだ分だけでいい』
誰も反対しなかった。
すでに車へ載せた苗木と園芸用品だけを持ち帰ることにし、最後に仲間の遺体も荷台へ載せた。
研究所で食料を作るために出発した車は、苗木と一人の死体を積んで帰ることになった。
■唯のサバイバルメモ
・今日のテーマ:暗証番号
皆さんこんにちは。唯です。
今回のお題は『暗証番号』についてです。
今回、お兄ちゃんたちは給油機の暗証番号を探していて、店長さんの手帳に書かれていた娘さんの誕生日、『11月5日』
から『1105』を入力したら、本当に開きました。
でも、誕生日を暗証番号にするのって、実はかなり危ないそうです。4桁の数字なら、0000~9999まで全部で1万通り。
『この人、誕生日を暗証番号にしてそう』と分かってしまったら、候補は一気に減ります。
1年の日付は最大でも366日。
しかも本人だけじゃなく、
家族の誕生日。
結婚記念日。
電話番号の下4桁。
車のナンバー。
みたいな、その人に関係する数字も候補になりやすいんだとか。
店長さんの場合は、手帳に娘さんの誕生日まで書いてあったので、『1105じゃない?』と予想されてしまいました。
……お兄ちゃんたちにとっては助かったんだけどね。
ちなみに達也さんは、その前に『0000』『1111』
そしてなぜか『114514』まで試していました。
最後の数字が何なのかは、私は聞かないことにします。
暗証番号は、自分や家族から簡単に連想できる数字を避けた方が安全です。
覚えやすい数字ほど、他の人にも予想しやすいことがあるんですね。
では今日はここまで。
またね。




