第15話②引っ越し体験版
◇08月16日 12時台/山小屋/健一、唯、夏帆、権蔵、達也、なおみ、美樹
昼食を囲みながら、健一たちは研究所へ向かってから起きたことを順番に話した。
なおみの腕と達也の耳を見れば、ただ研究所へ行って帰ってきただけではないことは誰にでも分かる。
特に夏帆は二人の傷を気にしていたが、説明を聞いているうちに表情が変わった。
権蔵が確認するように言った。
『つまり我々は噛まれても感染しないということじゃな』
『研究員の話だと、そうみたいだな』
健一が頷くと、なおみも包帯の巻かれた腕を見せながら続けた。
『2000人から4000人に一人の確率で、ウイルスに耐性がある人がおるって言うとったわ』
これまで、自分たちが感染者だらけの街でなぜ発症せずにいられたのか、その理由まで詳しく分かっていなかった。
権蔵は健一と唯、それから夏帆へ順番に目を向ける。
『健一君と唯ちゃん、夏帆ちゃんも同じマンションに住んどったんじゃったな』
『はい』
夏帆が答える。
『同じマンションに特殊な血液を持っとる人間が三人か。確率で考えたら、すごい偶然じゃな』
健一も改めて考えてみると、その異常さに気づいた。
『言われてみればそうですねぇ』
達也はしばらく何かを計算するような顔をしていたが、ふと首を傾げた。
『でもその確率から考えると、街に行って遭遇する感染者の数が少なくね?』
美樹も箸を止める。
『言われてみれば確かに……』
街にはもともと大勢の人間がいた。
その大半が感染者になったのだとすれば、これまで自分たちが遭遇した数だけで済むはずはない。
建物の中にいるのか、どこか別の場所に集まっているのかは分からない。
それでも、まだ相当数の感染者がどこかにいるはずだった。
なおみが肩をすくめる。
『どっこかにわっさーおったらひくでホンマ』
達也も少し嫌そうな顔をした。
『それは遭遇したくねぇな……』
権蔵が話を研究所へ戻す。
『それで、研究所はどうじゃった?』
『設備はかなり整ってた。少なくとも、ここよりは安全だと思う』
研究所はフェンスで囲まれ、自衛隊員もいる。
建物そのものも山小屋より大きく、複数の生存者が生活していた。農業や畜産に使えそうな土地まである。
なおみも頷いた。
『この前みたいなんがまた来る可能性もあるしな。ここにずっとおるんも危ないんちゃう?』
美樹が尋ねる。
『じゃあ研究所に引っ越すの?』
健一はすぐに首を横に振った。
『いや、いきなり全部持って移るのはやめとこう。まだあそこの連中を全部信用できるか分からないし』
研究員たちは自分たちを受け入れ、達也となおみの治療もしてくれた。
それでも、出会ってまだ一日しか経っていない。
施設が安全そうに見えることと、そこで暮らす人間を全面的に信用できることは別だった。
達也が提案する。
『んじゃ、とりあえず何日か泊まってみるか?』
『それがいいと思う。実際に生活してみないと分からないこともあるし』
夏帆も賛成した。
権蔵が頷く。
『そうじゃな。数日様子を見て、それからここを引き払うか決めればええ』
健一も異論はなかった。
『じゃあ決まりだな。必要な物だけ持って研究所に行こう』
達也が笑う。
『引っ越し体験版ってことね』
美樹が怪訝そうに見る。
『何それ』
『気に入らなかったら山小屋に返品』
『あんたを返品したいんだけど』
『俺だけ返品対象!?』
いつものやり取りに、張り詰めていた空気が少し緩んだ。
昼食を終えると、全員で持っていく物を選び始めた。
数日過ごすために必要な最低限の装備や生活用品を中心にまとめ、予備の発電機も車へ積む。
本屋から回収していた『発電機の使い方』の本も忘れず荷物へ入れた。
一方で、山小屋に保管しているガソリンは持っていかないことにした。
研究所が燃料不足で困っていることは分かっている。
それでも、まだ完全に味方だと判断したわけではない相手へ、自分たちの持つ燃料をすべて見せる必要はない。
必要以上の物資は山小屋へ残す。
数日暮らして研究所の人間や環境を見たあとで、今後を決める。
荷物を積み終えると、嵯峨も連れて健一たちは山小屋を出発した。
◇08月16日 15時台/研究所/健一、唯、夏帆、権蔵、達也、なおみ、美樹
研究所へ戻ると、持ち込んだ荷物の整理が始まった。
中心になっていたのは、朝にも見かけた物資管理おじさんだった。
左手首から先がないため、大きな荷物を一人で運ぶことは難しい。
それでも片手で扱える物を選んで受け取り、他の避難者へ置き場所を指示しながら次々と整理していく。
達也は少し離れたところからその様子を見た。
『慣れてんなぁ……』
物資管理おじさんは聞こえていたらしく、右手で荷物を棚へ置きながら答えた。
『毎日やってりゃ嫌でも慣れる』
缶詰や生活用品などが種類ごとに分けられ、残量が確認されていく。
研究所では限られた物資を十人で使ってきたため、誰かが全体を把握していなければ、何が足りないのかさえ分からなくなる。
荷物の整理が一段落したところで、健一たちは研究員に呼ばれた。
研究室へ入ると、採血に使う器具が準備されている。
研究員が七人を見回した。
『全員から少しずつ採血させてもらいます。感染しない理由を調べるためにも必要なので』
健一は頷いた。
『分かりました』
自分たち全員がFMウイルスに対して耐性を持っている可能性が高い。
研究所側からすれば、七人もの特殊赤血球保有者が一度に現れたこと自体が珍しく、血液は重要な研究材料になり得るのだろう。
最初に健一が採血を受け、採取された検体には名前を書いたラベルが貼られた。
続いて唯。
夏帆。
権蔵。
達也。
美樹。
最後になおみ。
七人分の検体がそれぞれ区別され、研究員の手元へ並べられていく。
検査を終えると、今度は研究所で生活するための部屋へ案内された。
基本的には二人ずつで使うことになり、唯と夏帆も同じ部屋になった。
唯は部屋へ入るなり、ベッドへ目を向けた。
『……ベッドだ』
夏帆も思わず笑う。
『ちゃんとしたベッドで寝るの、久しぶりね』
山小屋での生活に慣れてきたとはいえ、最初から人が生活するために造られた施設とは設備が違う。
個室にはベッドがあり、照明も使える。
窓の外へ目を向ければ、自衛隊員が施設周辺の警備を続けていた。
廊下からは研究員や避難者の話し声も聞こえてくる。
健一も割り当てられた部屋を確認しながら、奇妙な安心感を覚えていた。
ここへ来るまで、山小屋では七人だけで周囲を警戒しなければならなかった。
今は違う。
同じ建物の中に研究員や避難者がいて、外には武器を持った自衛隊員までいる。
久しぶりに、自分たち以外の人間が生活している場所へ戻ってきたように感じられた。
しかし、その安心が長く続く保証はなかった。
研究所を維持している発電機のガソリンは、すでに残り少ない。
研究員は地図を広げながら健一たちへ言った。
『ガソリンがほとんど残っていないわ。明日、近くのガソリンスタンドへ燃料を取りに行って欲しいの』
『分かりました。俺達が行きます』
研究員が地図上の一点を指す。
『今朝話していた、災害時に使える非常用給油機があるガソリンスタンドはここね』
健一は示された場所を見て、すぐに気づいた。
『ここはいつも利用していました。あの中に非常用の給油機があったなんて気が付かなかったですよ』
研究員は頷いた。
『ここにある一台が非常用になっているの。給油機のことは私も詳しくは分からないけど、発電機と接続したら動かせるものがあるって聞いてるの』
『現地で確認しながら作業するわけですね』
『そうなるわね。それじゃ後は頼んだわ』
研究員が去ったあと、健一は自分の部屋へ戻った。
荷物の中から取り出したのは、山小屋から持ってきた『発電機の使い方』の本だった。
明日は現地で発電機を接続し、停電した給油設備を動かさなければならない。
知識がないことを理由に、そこで止まるわけにはいかなかった。
健一はページを開き、発電機の出力や接続時の注意事項、外部設備へ電力を送る場合の確認点を読み返した。
発電機そのものの扱いは分かる。問題は、非常用給油機へどう接続するかだった。
《明日、現地で迷わないように確認しておかないとな》
研究所の明かりも、研究設備も、自分たちの生活も。
今は残り少ないガソリンで動いている。
健一は本から目を離さず、明日の探索で使えそうな情報を探し続けた。




