第15話①研究所という場所
◇08月16日 08時台/研究所/健一、達也、なおみ
朝になり、健一たちは改めて研究所の中を案内された。
昨夜は達也となおみの治療と研究員からの説明に時間を取られ、施設全体を見る余裕がなかった。
明るくなってから外へ出てみると、研究所は想像していたより広い敷地を持ち、その周囲をフェンスが囲んでいる。
建物の周辺にはまとまった空き地もあり、健一は歩きながらその広さを見渡した。
『ここ、かなり広いですね』
研究員が頷く。
『元々それなりに敷地がある施設だから。やろうと思えば農業もできるだろうし、小規模なら畜産に使える場所もあると思う』
山小屋とは違い、最初から多数の人間が生活できる建物があり、外周にはフェンスもある。
水や電気の問題さえ解決できれば、長期的な生活拠点として使える可能性は高そうだった。
現在、この研究所で生活しているのは十人。
二日前に逃げ延びてきた自衛隊員が二人、研究員が三人、避難者が五人だった。
『避難者って、最初から五人だったんですか?』
健一が尋ねると、研究員は首を横に振った。
『最初は二十人いた。でも物資を探しに出たり、家族を迎えに行ったりして……戻ってこなかった人が多いの』
何が起きたのかまでは分からない。
ただ、今ここに残っている人数そのものが、外へ出る危険を物語っていた。
避難者たちは朝からそれぞれ作業をしていた。
その中で達也が真っ先に目を留めたのは、頭を剃り上げた中年男性だった。
左腕は手首から先がない。
それでも男は残った右手と左腕を器用に使い、棚に並んだ缶詰や飲料水、医療用品などを確認していた。
達也が小声で健一へ聞く。
『あの人、何してんだ?』
近くにいた避難者が答えた。
『物資管理。あの人が一番細かいから、全部任せてるんだよ』
その避難者は男の方を見て、当たり前のように続けた。
『みんな物資管理おじさんって呼んでる』
達也が少し笑った。
『そのまんまだな』
物資管理おじさんは聞こえていたらしく、振り返りもせず言った。
『分かりやすくていいだろ。減った物を勝手に増やすことはできんが、何がどれだけ残ってるかなら分かる』
片手で物を扱う動作には無駄がなく、長くこの作業を続けているように見えた。
その後、健一たちは研究員と今後について話し合うことになった。
研究所側にも人手が足りない。
外へ物資を探しに出られる人間は限られているうえ、自衛隊員二人は施設の警備から長時間離れにくい。
一方、健一たちはすでに何度も街へ出て、物資を集めながら生活してきた。
話し合いの結果、健一たちが研究所に必要な物資の調達を手伝う代わりに、施設を自由に利用していいということになった。
健一にとっても悪い条件ではない。
問題は、研究所が今もっとも必要としている物だった。
『ガソリンが圧倒的に足りないの』
研究員は発電設備について説明した。
研究所では発電機を使って必要な電力を維持しているが、その燃料が残り少なくなっている。
街全体が停電したことで、これまでのようにガソリンスタンドへ行って普通に給油することもできなくなった。
健一は一昨日確認した、動かない給油機を思い出した。
『俺たちも一昨日、ガソリンスタンドへ行きました。地下に燃料が残ってても、給油機が動きませんでした』
『普通の給油機ならそうなるわね。でも災害時に使える非常用のガソリンスタンドがあるの』
『非常用?』
『停電しても、外部から発電機で電力を送れば使える給油機を備えた場所がある。そこを動かせれば、地下タンクに残っているガソリンを取り出せる可能性があるわ』
健一は達也となおみを見る。
一昨日、本屋で発電機や電気設備に関する本を回収したばかりだった。
単なる偶然で終わるかもしれなかった物が、思ったより早く必要になりそうだった。
◇08月16日 09時台/研究所/健一、達也、なおみ
研究所で今後について一通り話し終えると、健一たちは一度山小屋へ戻ることにした。
研究所で何が分かったのか、唯たちにも知らせる必要がある。
それに今後、この施設を拠点として利用する可能性がある以上、山小屋に残している仲間全員で相談しなければならない。
車へ向かう前に、健一は達也となおみの状態を確認した。
達也の耳にはまだ処置の跡が残っている。なおみの腕にも包帯が巻かれ、昨日噛まれた傷が消えたわけではない。
『二人とも、本当に大丈夫か?』
達也は耳の辺りを気にしながらも肩をすくめた。
『このくらいなら平気だって。昨日よりはマシだ』
なおみも包帯の巻かれた腕を軽く動かしてみせる。
『うちも大丈夫や。帰ったら夏帆にまた怒られそうやけどな』
達也が笑った。
『あいつも人の心配してる場合じゃねぇだろw』
なおみも苦笑する。
夏帆自身、男たちに殴られた傷がまだ残っている。
それでも二人が怪我をして戻れば、真っ先に状態を確認しに来る姿が容易に想像できた。
健一は二人が歩くのに問題がないことを確認してから車へ乗り込んだ。
三人は研究所を出発し、山小屋へ向かった。
◇08月16日 11時台/山小屋/健一、唯、夏帆、権蔵、達也、なおみ、美樹
山道を上り、やがて山小屋が見えてくる。
車のエンジン音に気づいたのか、入口が開き、唯たちが外へ出てきた。嵯峨も一緒になって車の方へ駆けてくる。
健一が車を降りた瞬間、唯の表情が明るくなった。
『お兄ちゃん!』
『ただいま。みんな無事だ』
その言葉を聞いて、唯はようやく安心したように息を吐いた。
美樹や権蔵も三人が戻ったことを確認し、表情を緩める。
だが夏帆だけは、すぐに別のところへ目を向けた。
達也の耳。
そして、なおみの腕に巻かれた包帯。
『ちょっと! 2人ともどうしたの、その怪我!?』
達也は予想通りの反応に苦笑した。
『いや、まあ……色々あってな』
『色々って何よ!』
なおみも宥めるように笑う。
『大したことないって。ちゃんと動けるし』
夏帆は納得せず、まず達也の傷を確認しようと近づいた。
その顔を見た達也が、今度は夏帆の頬へ視線を止める。
男たちに殴られた腫れや傷は、まだ完全には消えていない。
『……いや、お前が言うなよw』
夏帆が眉を吊り上げた。
『何がよ!』
『自分の顔見てから人の心配しろw』
『私はいいの! 2人とも怪我して帰ってきたんだから心配するでしょ!』
『俺らも同じこと思ってるんだけどな……』
達也の返しに、なおみが吹き出した。
美樹も二人の傷を見ながら、笑うより先に何があったのか気になっている様子だった。
権蔵も同じだった。三人が無事に戻ったことには安心したものの、その怪我を見れば研究所までの道中が平穏ではなかったことは分かる。
健一は皆を見回した。
『話したいことが色々ある。研究所のことも、昨日何があったのかも』
それから唯へ目を向ける。
『とりあえず中に入ろう。昼飯を食いながらみんなに話すよ』
唯が頷き、嵯峨も健一たちの周りを一度回ってから山小屋へ戻っていく。
全員が揃ったところで、七人は山小屋の中へ入った。
■唯のサバイバルメモ
・今日のテーマ:農業と種
皆さんこんにちは。唯です。
今回のお題は『農業と種』についてです。
研究所には広い土地があるので、『ここなら畑も作れるんじゃない?』って話になりました。私も最初は、
『じゃあ野菜を育てれば食べ物には困らないね!』って思ったんだけど……
どうやら、そんなに簡単じゃないみたいです。
◇種があれば、ずっと同じ野菜を作れる?
ホームセンターなどで売られている野菜の種には、『F1』と書かれたものがあります。
F1は『一代交配種』とも呼ばれていて、大きさや味、収穫時期などが揃いやすいように作られた品種なんだって。
でも、その野菜から種を取って、『来年も同じ野菜が作れる!』
……とは限りません。
F1から採った種も発芽することはあります。
ただ、その次の世代では性質がバラバラになりやすくて、去年は大きくて甘かったのに、次の年は小さかったり、味が変わったりすることもあるそうです。
つまり、種がある=同じ作物をずっと作れるではないんですね。
◇来年のご飯も残しておく
在来種や固定種と呼ばれるものは、ちゃんと採種して育てれば、親に近い性質を次の世代へ残しやすいそうです。
文明がなくなった世界では、今日食べる野菜だけじゃなくて、来年植えるための種まで考えないといけません。
……全部食べちゃったら、来年の畑が始まらないんだね。
農業って、今日のご飯を作るだけじゃなくて、来年のご飯を残す仕事なのかもしれません。
私も畑仕事、ちゃんと覚えないとなぁ。
……最初は簡単な野菜からお願いします。
では今日はここまで。
またね。




