第14話②草や木の樹皮、家の柱まで食べていた
健一は、研究者が書いた人体図へ視線を落としたまま考えていた。
感染経路も、体内で増殖する仕組みも、特殊赤血球が耐性を持つ理由も、アメリカではある程度まで突き止められていた。
それなら、世界がここまで壊れる前に何か対策を取れなかったのだろうか。
『でも、アメリカはそこまで調べてたんですよね? だったら、どうして止められなかったんです?』
研究者はペンを机へ置いた。
『症状が出てから隔離しても遅いから』
『……え?』
『FMウイルスは潜伏期間中でも強い感染力を持つ』
達也が眉を寄せた。
『つまり……普通に見える奴がもう撒き散らしてる?』
『そういうこと』
研究者は資料の一枚を取り出し、該当する部分を指で示した。
感染が成立してから他者へ感染させる能力を獲得するまで、通常は十八~三十六時間程度。
その段階では、本人にまだ明確な症状が現れていない場合があるという。
さらに、日本人を含む高親和性個体では、その時間が短くなる傾向まで確認されていた。
『発熱した人間を見つけて隔離した頃には、その人から感染した人間が街の中を普通に歩いてる』
なおみは処置された腕を見ながら、力なく息を吐いた。
『……そら止められへんわ』
『しかも空気感染。乾燥した環境でも長時間感染性を維持する』
健一はニュースで見た海外の映像を思い出した。
都市ごとに封鎖され、空港や駅が混乱し、それでも感染地域が広がり続けていた。
『だから世界中に……』
『短期間で広がった』
あまりにも単純で、だからこそ防ぎづらい。
症状の出た人間だけを見つけても、その背後ではまだ何の異常もない人間が感染を広げている。
人の移動が続く限り、封鎖が始まった時点ですでに次の地域へ渡っている可能性がある。
達也はしばらく黙っていたが、やがて別の疑問を口にした。
『じゃあ、あいつらって結局なんなんだ?』
研究者が達也を見る。
『感染者よ』
『それは見りゃ分かる』
『違う。あなたが聞きたいのは、死んでるのかどうかでしょう?』
達也は少しだけ目を逸らした。
『……まあな』
研究者は迷わず答えた。
『生きてる』
健一たち三人の視線が、一斉に研究者へ向いた。
研究者はその反応を予想していたように続ける。
『心臓も動いてる。呼吸もしてる。代謝もある。FMウイルス自体の直接致死率は一%以下。外的要因を含めても推定約三%』
健一は思わず聞き返した。
『そんなに低いんですか?』
街で見てきた惨状からは、とても結びつかない数字だった。
研究者は頷く。
『その代わり、FMウイルスに感染した人間の九十五%以上が、あなた達が見てきたような状態になる』
死ぬのではない。
生きたまま、変わる。
なおみの表情が曇った。
『死なへんから……あんなに残ってるんか』
『そういうこと』
健一の頭に、街を埋め尽くすように徘徊していた感染者たちが浮かぶ。
もし感染した人間の多くが短期間で死亡する病気だったなら、時間とともに感染者の数は減っていったのかもしれない。
だがFMウイルスは違う。
大半を生かしたまま感染者へ変え、その身体を活動させ続ける。
達也も同じことを考えたのか、少ししてから尋ねた。
『生きてるってんなら、あいつら飯はどうしてんだ?』
『食べてるわよ。かなり何でもね』
『……何でも?』
研究者は別の報告書を開いた。
『人間を食べているところも確認されてるし、動物を襲って捕食する例もある』
なおみが顔をしかめる。
『人間だけやなくて、動物も襲って食べるんやな……』
『ええ』
健一は山や街で遭遇した感染者を思い返した。
『じゃあ、俺達を襲うのも腹が減ってるから?』
研究者は首を横に振る。
『それだけじゃ説明できない。空腹とは関係なく人間へ攻撃する個体もいる。攻撃行動と摂食行動は同じものじゃないと考えられてる』
『少なくとも、何も食わずに何か月も歩き回る化け物じゃねえってことか』
達也の言葉に、研究者は当然だという顔をした。
『生き物なんだから当然でしょう。動けばエネルギーを使う。使ったなら、どこかから補給しないと死ぬわ』
そこで健一は一つ引っかかった。
人間や動物を食べているのなら、いずれ獲物が減る。
感染者の数に対して、食べられる生き物が無限にいるわけではない。
『でも、人間や動物がいなくなったら? 食べるものがなくなりますよね?』
研究者はすぐに答えず、資料へ目を落とした。
『……そこが妙なのよ』
『妙?』
『感染者は進行するにつれて食べ物を選ばなくなっていく。正常な人間なら口にしないようなものまで食べようとする』
達也が嫌そうな顔をした。
『……悪食になるってことか』
『そう考えた方が近いわね。アメリカからの報告書によれば、雑草や木の樹皮、それに家の柱までかじっていた個体が確認されてる』
達也が目を丸くする。
『雑草って……牛じゃねえんだから』
なおみがすぐに突っ込んだ。
『いや、家の柱の方がおかしいやろ』
達也は一拍置いて頷く。
『……確かに』
健一は冗談として流すことができなかった。
『そんなもの食べて、栄養になるんですか?』
『そこまでは分かってない。ただ、少なくとも感染者は何も食べずに活動しているわけじゃない。ちゃんと摂食してる』
『雑草どころか……柱食って生きてんのかよ』
達也の呟きに、研究者は資料を閉じながら答えた。
『だから、その身体で何が起きてるのかを調べる必要があるのよ』
説明を聞くほど、感染者が分かった気にはならなかった。
死者ではない。食べ、呼吸し、心臓も動いている。
それなのに、人間だった頃とは明らかに違う行動を取り、進行するにつれて食性まで異常なものへ変わっていく。
健一の中に、次の疑問が浮かんだ。




