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第14話①噛まれても感染しない

◇08月15日 18時台/護衛艦いずも/通信員

──健一たちが研究所へ向かっていた頃。


陸地から離れた洋上を、護衛艦いずもが航行していた。

地上では感染拡大によって行政や交通、通信といった社会機能が次々と失われていたが、艦内では今も多数の隊員がそれぞれの役割を維持している。


甲板や艦内通路を隊員たちが行き交い、機関も止まっていない。

巨大な艦そのものが、一つの組織としてまだ機能していた。


通信室では、通信員が何度も呼びかけを繰り返していた。

政府、自衛隊施設、各地の部隊。

利用できる通信手段を使い、生きている組織を探し続ける。


以前なら応答のあった施設も、今では呼びかけに何も返さない場所が増えていた。

政府や自衛隊上層部との連絡も不安定になり、最後に確認した情報が今も有効なのか判断できない状況が続いている。


それでも通信員たちは手を止めなかった。

一つの周波数で応答がなければ次へ切り替え、別の施設や部隊を呼び出す。


返事がないことを確認するためではない。

どこかに残っているはずの人間を見つけるために。

護衛艦いずもは海上を進みながら、途切れかけた日本各地との通信を繋ごうとし続けていた。





◇08月15日 19時台/研究所/健一、達也、なおみ


研究所へ収容された健一、達也、なおみの三人のうち、まず処置を受けることになったのは負傷している達也となおみだった。

研究者は二人の傷を見るなり、治療器具を用意する。


『まず傷を見せて。話はそのあと』


達也は耳へ当てていた血まみれの布を押さえたまま、すぐには従わなかった。


『いや、傷より……俺達、感染してるんじゃないのか?』


なおみも血の滲む腕を見せる。


『うち何回も噛まれてんねんけど……』


研究者は二人の顔を見比べた。


『大丈夫。少なくとも、噛まれたことを理由に感染者になる心配はしなくていい』


『……は?』


達也の口から間の抜けた声が漏れた。

研究者はなおみの傷を確認しながら続ける。


『あなた達は特殊赤血球保有者なんでしょう?』


健一が答えた。


『そうですけど……』


『なら今回のパンデミックの元凶であるFMウイルスに対して強い自然耐性がある。感染者に噛まれても感染しないことが確認されているわ』


なおみは信じ切れないように研究者を見る。


『……ほんまに?』


『ほんと。ただし傷は別よ。人間の口の中だって細菌だらけなのに、感染者に噛まれた傷を放っておくなんて論外』


なおみは力が抜けたように息を吐いた。


『……それ先に言うてや。心臓止まりそうやったわ』


『だから先に治療するの』


研究者は淡々と答え、処置を始めた。

まず傷口を十分に洗浄する。

なおみの腕には一カ所だけではなく複数の咬傷があり、それぞれの深さと出血状態を確認しながら止血処置が施された。


感染者の口腔内に存在する細菌による感染症を防ぐため、抗生物質も投与される。

達也の耳も同様だった。

噛み千切られた部分を洗浄されると、達也は顔を歪めた。


『いってぇ……』


『動かないで。欠損した部分の状態も確認するから』


『もう感染しないって分かったんだから、もうちょっと優しくしてくれてもよくない?』


『傷が治るかどうかと、私が優しいかどうかは関係ないわ』


『怖ぇ研究者だな……』


なおみが横から言う。


『さっきまで感染する思うて暴れとった人間が何言うてんねん』


『お前もだろ』


『うちは二回も噛まれたんやぞ』


『耳なくなってんだぞ、こっちは』


言い合えるだけの余裕が戻ったことに、健一はようやく胸を撫で下ろした。

やがて二人の処置が終わると、研究者は使用した器具を片づけ、改めて三人の前へ座った。


『それで、どこまで知ってる?』


健一は少し考えてから答える。


『空気感染することと……俺達みたいな特殊な血液を持ってる人間は感染しにくいってことくらいです』


達也も言った。


『ニュースじゃ途中から感染者の映像ばっかりだったからな』


研究者は頷き、紙とペンを用意した。


『なら、最初から説明するわね』


紙へ簡単な人体図を描き、その肺を指す。


『FMウイルスの主な感染経路は空気感染と飛沫感染。吸い込まれたウイルスは肺胞から肺毛細血管へ入る』


達也が図を覗き込んだ。


『肺から血の中に入るのか?』


『そう。そのあと、赤血球の表面にあるRh-FM受容体と呼んでいるものに結合する』


なおみが眉を寄せる。


『赤血球に感染するん?』


『少し違う。赤血球を利用してるの。いわば乗り物ね』


研究者は肺から骨へ一本の線を引いた。


『赤血球に結合したまま血流に乗って骨髄まで移動する。そして造血幹細胞へ感染して、そこで増殖する』


健一は紙の上の線を追った。

空気中に漂うウイルスを吸い込み、それが肺から血液へ入り、さらに骨髄へ到達する。

自分たちが何も知らない間に、感染した人間の身体ではそんなことが起きていた。


『……そんなことまで分かってるんですか』


『アメリカから送られてきた研究資料があるからね。全部じゃないけど』


達也が自分の腕を見た。


『じゃあ、俺達の血は何が違うんだ?』


研究者は新しい図を書きながら答えた。


『あなた達の特殊赤血球は、FMウイルスとRh-FM受容体との親和性が著しく低いことが確認されてる』


『……親和性?』


『簡単に言えば、ウイルスがくっつきにくい』


達也がすぐに返す。


『最初からそう言ってくれ』


『研究者に簡単な説明を求めないで』


なおみが呆れた顔をした。


『めんどくさい人やな』


『よく言われるわ』


健一は図から顔を上げた。


『じゃあ、俺達はウイルスを吸い込んでないわけじゃない?』


『そう。あなた達だって吸い込んでいる可能性は高い。でも通常の人間みたいに効率よく感染を成立させられない。結果として強い自然耐性を持つ』


『それで俺達は……』


研究者は短く答えた。


『生き残った』


三人の間に沈黙が落ちた。

街にいた大勢の人間。

感染者へ変わっていった人々。

その中で自分たちが今も人間のままでいる理由が、初めて具体的な形を持った。

ただ、研究者はそこで説明を終えなかった。


『どうして一部の特殊赤血球だけ親和性がここまで低くなるのか、細かいところまではまだ分かってない。それに、この血液を持つ人自体がかなり少ない』


健一が尋ねる。


『どれくらいですか?』


『推定で、人口約2000~4000人に1人程度よ』


達也が目を見開いた。


『……そんな少ねえのか』


健一も研究所まで一緒に生き残ってきた仲間たちを思い浮かべた。


『じゃあ俺達がここまで何人も集まってるのって……』


研究者は素直に頷いた。


『偶然集まったなら、かなり珍しいわね』

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