第13話⑤門まで走れ
◇08月15日 18時台/研究所へ向かう道路/健一、達也、なおみ
研究所へ向かう道路は、進むほど走りにくくなっていった。
放置された車が車線を塞ぎ、健一は空いている隙間を探しながら慎重にハンドルを切る。
助手席では達也が噛み千切られた耳を布で押さえ、後部座席のなおみも噛まれた腕の止血を続けていた。
『研究所まで、あとどれくらいだ?』
達也の声には、いつもの軽さがなかった。
健一は前方と周辺地図を交互に確認する。
『もう遠くない。このまま抜けられれば――』
言葉が止まった。
前方の道路を、複数の放置車両が完全に塞いでいる。
事故を起こしたまま斜めに止まった車。
その横にも別の車が重なり、左右には建物とガードレールがある。
無理に押し退けて通れるような状態ではなかった。
そして、その周囲には感染者がいた。
健一は車を止める。
『……七体いる』
達也も前を見る。
道路上を徘徊しているものが七体。
その向こうへ進めば研究所だが、車で抜ける隙間はない。
『バックで戻って別の道探すか』
健一はすぐにギアを入れ替えた。
だが、後方確認をして顔をしかめる。
ここまで放置車両の隙間を何度も切り返しながら進んできた。
後ろには斜めに止まった車が張り出しており、その向こうにも別の放置車両がある。
前進する時には通せた角度でも、今の位置から長い距離を後退して抜けるのは難しい。
少し動かしただけで車体が左右の車へ近づき、それ以上は下がれなくなった。
『戻れない』
達也が舌打ちした。
『最悪だな』
なおみが噛まれた腕を押さえながら、フロントガラスの向こうを見る。
『研究所、もう近いんやろ?』
『ああ』
『ほんなら歩くしかないやん』
健一はすぐには答えなかった。
相手は七体。
以前なら、三人でも距離と地形を選べば対応できる数だったかもしれない。
しかし今は走る感染者が増えているうえ、達也となおみはすでに負傷している。
それでも、この場に留まれば状況が良くなるわけでもない。
研究所まで残りわずか。
そこでなら傷の処置も、感染についての情報も得られる可能性がある。
健一は二人を見た。
『降りる。全部倒す必要はない。道を抜けて研究所まで行くことを優先しよう』
達也はバールを握り、なおみも刀を持つ。
三人が車を降りると、感染者たちがほぼ同時に反応した。
距離の近い二体がこちらを向き、そのうち一体がすぐに走り出す。
『来るぞ!』
健一たちは車体の横へ広がりすぎず、互いに援護できる距離を保った。
最初の一体は健一へ向かってきた。
健一は真正面で押し止めようとせず、進路を外しながら薪割り斧を振るう。
感染者が崩れたことで前方にわずかな空間ができたが、その奥から二体が続いてくる。
さらに右側の車の陰にも動きがあった。
『一気に来るで!』
なおみが声を上げた。
三人が一体ずつ相手を選べる状況ではない。
七体すべてが同時に動き始め、放置車両によって左右へ逃げられる範囲も限られている。
健一は前方を見る。
研究所方向へ抜けるには、感染者の集団を押し返すのではなく、中央に通路を作らなければならない。
『左側を開ける! そこ抜けるぞ!』
達也となおみも位置を変えた。
達也へ向かってきた感染者が突然速度を上げる。
『っ!』
バールを構えるより早く、感染者は身体ごと突っ込んできた。
肩からぶつかられた達也が大きく弾き飛ばされ、近くの車体へ背中を打ちつける。
『ぐっ……!』
耳の傷が再び開き、押さえていた布へ新しい血が広がった。
感染者はそのまま達也へ覆いかぶさろうとする。
健一が助けに向かおうとしたが、その進路にも別の感染者が入った。
『達也!』
『こっちはいい!』
達也はバールを両手で持ち、接近してきた感染者を押し退ける。
その顔には恐怖よりも苛立ちが強く浮かんでいた。
『どうせ噛まれてんだよ……!』
感染者がもう一度飛び込んでくる。
達也は逃げようとしなかった。
『今さらビビってられっか!』
間合いへ入る直前まで待ち、バールを叩き込む。感染者がよろめいたところへ、さらに体当たりするように押し返した。
普段なら噛まれる危険を避けるため、ここまで接近した戦い方はしない。
しかし達也は、すでに自分が感染すると考え始めていた。
なおみも同じだった。
最初の一体を刀で退けた直後、別の感染者が横から腕へ手を伸ばしてきた。
なおみは身を引いたが、後ろには放置車両があり、十分な距離を取れない。
『もうええわ……!』
噛まれた腕を庇う動きすらやめ、感染者へ踏み込む。
『どうせ感染するんやったら、まとめて来いや!』
刀を振り、正面の一体を倒す。
だが、その攻撃で身体が前へ出た瞬間、車の反対側を回り込んできた別の感染者がなおみへ掴みかかった。
『なおみさん!』
健一が叫ぶ。
なおみは振りほどこうとしたが、感染者の顔が腕へ迫る。
歯が食い込んだ。
『っあああ!』
すでに噛まれていた場所とは別の箇所から血が流れる。
なおみは痛みに顔を歪めながらも、感染者を押し離し、刀を振った。
ようやく身体が離れる。
『なおみさん、下がって!』
『下がる場所なんかないやろ!』
なおみの怒鳴り声には、自暴自棄な響きが混じっていた。
健一は二人の様子を見て、危険を感じた。
感染への恐怖が消えたのではない。
むしろ逆だった。
もう助からないと思い込み、その恐怖を怒りで押し潰している。
このままなら、本当に致命傷を負う。
『二人とも聞け!』
健一は前方を塞いでいた感染者を退けながら叫んだ。
『死にに来たんじゃない! 研究所へ行くためにここを抜けるんだ!』
達也が荒い息を吐きながら振り返る。
なおみも一瞬だけ健一を見た。
『まだ感染するって決まったわけじゃない! 勝手に諦めるな!』
その言葉に、二人の動きが僅かに変わった。
達也は次の感染者へ突っ込もうとするのをやめ、健一の側へ戻る。
なおみも刀を構え直し、前へ出すぎない位置まで下がった。
残っている感染者は数体。
だが三人の目的は、それらをすべて倒すことではない。
先ほどまで感染者が固まっていた中央に、人一人が通れるだけの隙間ができていた。
健一がそこを指す。
『今だ! 抜けるぞ!』
三人は同時に走った。
左右から伸びてくる腕を避け、進路を塞ぐ個体だけを押し退ける。
達也は血の流れる耳を気にすることなく走り、なおみも二カ所を噛まれた腕を押さえずについてくる。
背後から呻き声と足音が追ってくる。
それでも振り返らない。
放置車両の列を抜けると、前方に研究所の施設が見えた。
健一は息を切らしながら叫ぶ。
『あそこだ!』
門のある施設へ向かい、三人は最後の距離を走った。




