第13話④噛まれた二人
◇08月15日 17時台/ホームセンター周辺の道路/健一、達也、なおみ
健一たちは警報の鳴り続ける車を目指し、放置車両の間を引き返していた。
問題は、周囲の感染者も同じ場所へ集まり始めていることだった。
歩いていた感染者だけなら先回りできたかもしれないが、今では音へ反応した直後から走り出す個体が珍しくない。
道路脇や建物の陰から次々と姿を現し、警報へ向かって進路を変えているため、来た時と同じ道をそのまま戻ることはできなくなっていた。
『右から来るで!』
なおみの声に、健一は前方だけでなく右手の路地へ目を向けた。
二体の感染者が走ってくる。
正面にも別の個体がいる。
そのまま進めば挟まれると判断した健一は、近くの放置車両を指した。
『こっち! 車の間を抜ける!』
三人は進路を変えた。
狭い隙間なら、一度に大勢へ取り囲まれる危険を減らせる。
健一を先頭にして放置車両の間へ入り、達也となおみが続いた。
その途中、少し先の道路に数人の人影が見えた。
感染者ではない。
動きも服装も違う。
生きている人間だった。
健一が足を止めかける。
『人だ……!』
向こうも三人に気づいた。
その瞬間、人影たちの表情が変わった。
こちらへ近づくでも、助けを求めるでもない。
互いに何かを言い合うと、そのまま踵を返して走り去っていく。
『おい!』
健一が呼んだが、誰一人振り返らなかった。
なおみもその背中を見送る。
『なんや……?』
疑問を確かめる余裕はなかった。
背後から感染者の声が近づいている。
『今は車や!』
なおみの一言で、健一もすぐに意識を戻した。
再び走る。
やがて警報音が大きくなり、放置車両の向こうに自分たちの車が見えた。
だが、その周囲にはすでに感染者が集まり始めていた。
警報を鳴らす車体へ手を伸ばすもの。
音の発生源を探すように周囲を歩き回るもの。
さらに後方から走ってくる個体もいる。
達也が顔をしかめた。
『あそこまで抜けないと帰れねぇぞ』
迂回できる道路は、警察のバリケードと放置車両に塞がれている。
車を諦めて徒歩で逃げれば、山小屋まで戻る手段まで失う。
しかも周辺には走る感染者が増えており、長距離を徒歩で移動する方が危険だった。
健一は薪割り斧を握り直した。
『車まで行く。止まらないで、道を開けながら進もう』
なおみが刀を抜き、達也もバールを構える。
目的は感染者を全滅させることではない。
車へ乗り込める道を作ること。
三人は互いに離れすぎないよう距離を保ちながら前へ出た。
最初に進路を塞いだ感染者へ健一が斧を振り、動きを止める。
その横から別の一体がなおみへ向かったが、なおみは正面から押し合わず、身体をずらして刀を振るった。
達也も近づいてきた一体をバールで迎え撃つ。
だが、倒している間にも周囲の状況は変わっていく。
警報音を聞きつけた感染者がさらに増え、先ほどまで空いていた車の左側にも数体が集まり始めた。
『左塞がれるぞ!』
達也の声に、健一が車までの残りを見る。
まだ距離がある。
しかも正面の感染者を一体ずつ処理していては、後ろから追いつかれる。
『走るぞ! 止まってる奴は避けろ!』
三人は攻撃する相手を、避けられない個体だけに絞った。
健一が放置車両の脇を抜け、なおみが続く。
達也は最後尾で、背後から接近する感染者を確認しながら走った。
その時、一体が車の陰から突然飛び出した。
『達也!』
健一が叫ぶ。
達也が振り向いた時には、感染者がすぐそこまで迫っていた。
バールを横へ振るが、十分な間合いを取れない。
感染者は腕を掴むように飛びつき、そのまま顔へ食らいつこうとした。
達也は咄嗟に顔を背けた。
激痛が左耳へ走る。
『ぐあああっ!』
感染者が離れた時、達也の左耳から血が噴き出した。
耳の一部が噛み千切られている。
『達也!』
健一が戻ろうとする。
『来るな! 前見ろ!』
達也は叫びながらバールを振り、感染者を引き剥がした。
耳を押さえる暇もない。
血を流したまま走り出す。
その直後、横の車両の陰から別の感染者が飛び出した。
なおみが反応するより早く、その歯が腕へ食い込む。
『っ――!』
なおみはすぐに身体を引き、刀の柄で感染者を打って離させる。
袖が裂け、その下から血が流れた。
健一の顔色が変わる。
『なおみさん!』
『止まらんでええ! 車まで行くで!』
なおみ自身も傷を見た。
歯形。
出血。
明らかに噛まれている。
一瞬だけ表情が強張ったが、周囲にはまだ感染者がいる。
ここで立ち止まれば、達也も自分も次は腕や耳だけでは済まない。
三人は負傷箇所を押さえる余裕すらなく、車へ続く最後の数十メートルを進んだ。
健一が前を開き、なおみは健一の死角へ回ろうとする感染者を刀で止める。
達也も血の流れる耳を庇いながら、近づく個体だけをバールで退けた。
ようやく車へ辿り着く。
『乗れ!』
健一がドアを開ける。
なおみが乗り込み、達也も続いた。
健一は最後に周囲を確認してから運転席へ飛び込み、すぐにドアを閉めた。
窓の外では感染者が車体へ手を伸ばしている。
エンジンを始動し、警報を止める。
健一はアクセルを踏み、感染者の少ない方向へ車を動かした。
その場から離れてようやく、なおみが噛まれた腕を押さえた。
血が指の間から滲んでいる。
達也も耳へ手を当てていた。掌は真っ赤だった。
車内に重い沈黙が落ちる。
なおみが自分の傷を見つめながら、掠れた声で言った。
『……うち、噛まれたな』
達也も耳を押さえたまま笑おうとしたが、顔が引きつった。
『俺なんか……耳食われたぞ』
二人とも、考えていることは同じだった。
感染者に噛まれた。
なら、自分たちも感染するのではないか。
なおみが健一を見る。
『健一……これ、うちらどうなるん?』
健一には答えられなかった。
感染の仕組みについて、自分たちは詳しいことを知らない。
それでも二人の不安をそのままにしておくわけにはいかなかった。
『まだ決まったわけじゃない』
健一は前を見ながら言った。
『研究所へ行こう。あそこなら感染症を研究してる。何か分かるかもしれないし、傷も診てもらえるかもしれない』
達也が顔を上げる。
なおみも腕を押さえたまま、健一を見た。
研究所は、もともと今日偵察する予定だった場所だ。
昨日まで無線で生存者へ呼びかけていた施設でもある。
健一はハンドルを握る手に力を込めた。
『行くぞ。研究所まで』
車は予定していた帰路ではなく、岐阜環境保全、高度感染症研究センターへ向けて走り出した。




