初戦闘。
◇8月6日 11:00
軽トラックはゆっくりと街へ入っていった。
健一は窓の外を見つめたまま、言葉を失う。
『……』
見慣れた街は、もうそこにはなかった。
建物はところどころ崩れ、道路には瓦礫や割れたガラスが散乱している。
放置された車。
開いたままの店の扉。
街全体が異様な静けさに包まれていた。
その静寂を破るように、一人の人影が道路の向こうをゆっくりと横切る。
赤く充血した目。
ふらつく足取り。
海外のニュースで何度も見た姿だった。
感染者。
『……いた』
健一が小さくつぶやく。
感染者はこちらには気づかず、ふらふらと歩き続けている。
感染初期だからだろうか。
しかし健一は、何か違和感を覚えていた。
辺りを見回しても、感染者の数はまだ多くはない。
だが、海外の映像では時間が経つにつれ街中を埋め尽くすほど増えていた。
この街も、同じ運命をたどる。
そう考えるだけで胸が重くなった。
権蔵は前を見据えたまま口を開く。
『海外のニュースで見たと思うが』
健一は黙って耳を傾ける。
『こうなってしまっては仕方がない』
短く息をつき、剣ナタの柄を握り直した。
『感染者に襲われたら倒す。いいな?』
健一は一瞬だけ目を閉じる。
三日前まで、この街で普通に暮らしていた人たちだ。
買い物をし、仕事へ行き、家族と笑っていた人たち。
その人たちへ武器を向けるなど、考えたこともなかった。
しかし。
唯を助けるためには、生き残らなければならない。
健一は薪割り斧を握り締め、ゆっくりとうなずいた。
『……はい』
権蔵は続けた。
『斧で頭を狙え。他の所では苦しめるだけだ』
健一は深く息を吸った。
人へ武器を向けるなど、考えたこともない。
それでも唯を助けるためには、生き残らなければならない。
『分かりました』
小さく、しかし力強く答えた。
軽トラックは慎重に病院へ向かう。
エンジン音に反応した感染者が何体か振り返る。
だが、その動きはまだ遅い。
軽トラックは感染者たちの間を抜け、病院前へ近づいていった。
病院の建物が見えてくる。
健一は胸の奥に引っ掛かる違和感を抱えたまま、遠くの病院を見つめていた。
◇12:00
軽トラックは病院の正門前で静かに止まった。
健一は薪割り斧を両手で握りしめ、ゆっくりと車を降りる。
目の前には、見慣れた病院。
だが、そこはもう以前の病院ではなかった。
割れたガラス。
血の付着した外壁。
開いたままの自動ドア。
病院の周囲を、数人の感染者があてもなく歩き回っている。
『……』
健一は息をのんだ。
唯は、この中にいる。
権蔵は荷台へ回り込み、積んであった散弾銃を取り出した。
それを見た健一が目を丸くする。
『持ってきてたんですね』
権蔵は散弾銃を肩へ掛けながら、小さく笑った。
『万一のためにな』
権蔵は剣ナタを少し抜き、鞘に戻す。
抜け具合を確認すると、病院へ向かって歩き始めた。
健一も薪割り斧を握り直し、その後へ続いた。
二人の姿に気づいた感染者が、のろのろと近づいてくる。
赤く充血した目。
血で汚れた衣服。
口元からは乾いた血がこびりついていた。
健一は斧を構える。
だが、腕が動かなかった。
相手は、つい数日前まで普通の人間だった。
頭へ斧を振り下ろすことなど、一度も経験したことがない。
感染者はゆっくりと距離を詰める。
あと数歩。
その瞬間だった。
感染者が突然、大きく口を開き健一へ飛びかかった。
『っ!』
健一はとっさに身を引く。
だが避けきれない。
噛みつかれる――。
そう思った瞬間、権蔵の剣ナタが鋭く振り抜かれた。
鈍い音とともに感染者が地面へ倒れる。
『しっかりせぇ』
権蔵が健一を見据えた。
『迷うな』
『妹さんを助けるんじゃろ?』
健一ははっと息をのむ。
その間にも、周囲の感染者たちが二人の姿を見つけ、のろのろと集まり始めていた。
『来るぞ!』
健一は覚悟を決める。
近づいてきた感染者へ前蹴りを放った。
感染者の身体が大きくよろめく。
その隙に、薪割り斧を力いっぱい振り下ろした。
ゴッ―。
刃は頭へ食い込んだものの、浅い。
感染者は倒れ込みながらも、まだ動いていた。
『……!』
健一は歯を食いしばる。
もう一度、斧を振り上げた。
『うあああっ!』
ぐちゃっ。
嫌な感触が両手へ伝わる。
感染者の身体から力が抜け、完全に動かなくなった。
健一はその場で息を切らした。
手のひらには、嫌な汗がにじんでいる。
権蔵は健一の肩を軽く叩いた。
『よくやった』
そして病院の建物を見上げる。
『妹さんを探すぞ』
二人は武器を握ったまま、病院の建物へ向かって歩き出した。




