第1話⑧ラジオが告げたもの
◇08月05日 20時台/山小屋/健一、権蔵
日が落ち、辺りが暗くなった頃、健一と権蔵は山小屋へ戻った。
結局、この日も街へ抜けられる道は見つからなかった。
健一は軽トラックを降りると、疲れた身体を引きずるように小屋へ入った。
朝から何本もの道を試したが、崩落や倒木、落石といった地震の爪痕に、ことごとく行く手を阻まれた。
机へ地図を広げる。
健一は椅子にも座らず、その上を指で辿った。
『明日は、もう一度橋を見に行きませんか』
権蔵が振り返る。
『昨日の橋か』
『はい。水が引いてるかもしれない』
昨日は増水した川に沈んでいた。
それでも、あの道が最も街へ近い。
『そうじゃな』
権蔵も地図を見る。
『雨は止んどる。水が減っとれば渡れるかもしれん』
『じゃあ明日の朝、一番に』
『ああ』
その時、小屋の中に置かれていたラジオから声が聞こえた。
雑音混じりだった。
権蔵が近づき、音量を上げる。
途切れ途切れの放送に、健一も耳を澄ませた。
『……国内各地で……感染者とみられる……』
健一の顔が強張る。
権蔵がラジオへ顔を近づけた。
『……大地震と津波による混乱の中……ウイルスが国内へ侵入したとみられ……』
『入ってきた……?』
健一が呟く。
放送は続いた。
各地で暴動が発生している。
感染者とみられる人間が他人を襲っている。
警察や自治体も十分に対応できていない地域がある。
内容を聞くほど、健一の胸の奥が冷えていった。
『じゃあ、病院も……』
唯がいる。
夏帆もいる。
電話はいまだにつながらない。
健一はスマートフォンを見る。
何度見ても状況は変わらない。
権蔵はラジオを聞きながら、険しい顔で腕を組んでいた。
『明日、橋が渡れたとしても気を抜くな』
『はい』
『街がどうなっとるか分からん』
健一は短く頷いた。
それでも行く。
その考えだけは変わらなかった。
◇08月05日 23時台/病院・非常用倉庫/唯、夏帆
非常用倉庫の中で、唯と夏帆は息を潜めていた。
外は暗い。
病院内の照明も十分には機能しておらず、窓の外に見える景色もわずかな光に沈んでいる。
感染者の気配はまだ消えていない。
遠くで足音がする。
呻き声が聞こえる。
二人は声を抑えながら、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
突然――。
ドゴォォォン!!
凄まじい衝撃音が響いた。
『きゃっ!』
唯が身体を震わせる。
夏帆も反射的に立ち上がった。
車同士がぶつかったような音とは比べものにならない。
何か巨大な物が叩きつけられたような音だった。
『何……今の……?』
『分からない』
夏帆は窓際へ寄った。病院の外にいた感染者たちの様子が変わっていた。
一人。
また一人。
それまでばらばらに歩いていた感染者が、音のした方向へ向きを変え、ゆっくりと歩き始める。
『夏帆さん……あの人たち』
『うん』
何人もの感染者が同じ方向へ進んでいる。
テレビ局のある方角だった。
『テレビ局の方に歩いてる……』
『さっきの音がしたから?』
『たぶん』
何が起きたのかは分からない。
だが、病院の周囲にいた感染者が音に引かれて離れていく。
『……もしかしたら、外に出るチャンスになるかもしれない』
二人とも、すぐには動かなかった。
廊下にまだ感染者がいるかもしれない。
病院の外が安全とも限らない。
それでも、今までほとんど動かなかった状況に、わずかな変化が起きていた。
◇08月06日 05時台/山小屋/権蔵
健一は寝袋の中で眠っていた。
疲労が限界まで溜まっていたのか、昨夜はようやく深く眠れていた。
その隣で、権蔵は静かに起き上がる。
窓の外はまだ薄暗い。
権蔵は健一を起こさないように、小屋の奥へ向かった。
昨夜のラジオは、国内にウイルスが入り、各地で暴動まで起きていると伝えていた。
街がどうなっているのか。
病院がどうなっているのか。
何が待っているのか。
何一つ分からない。
権蔵は収納してあった散弾銃を取り出した。
山小屋へ持ち込んだのは、害獣駆除のためだった。
だが、理由もなく街へ持ち出せるものではない。
権蔵はしばらく散弾銃を見つめた。
やがて、残っていた6発のスラッグ弾とともに軽トラックの荷台へ積み込んだ。
健一には何も言わなかった。
念のため。
ただ、それだけだった。
◇08月06日 08時台/山小屋/健一、権蔵
出発の準備を終えた健一へ、権蔵が二つの道具を差し出した。
『持っとけ』
『これ……』
薪割り用の斧。
そして剣ナタだった。
健一は受け取る。
『何かあった時のためじゃ』
昨夜聞いたラジオの内容を思い出す。
感染者。
暴動。
健一は斧の柄を握った。
今まで山で使う道具だった物が、今日は違って見える。
『……分かりました』
剣ナタも受け取り、準備を整える。
二人は軽トラックへ乗り込んだ。
向かうのは、あの橋だった。
◇08月06日 08時台/橋/健一、権蔵
川の音が近づく。
健一は助手席から前方を見つめていた。
昨日まで水に沈んでいた橋が見える。
思わず身を乗り出した。
水位が下がっている。
橋の路面が出ていた。
多少の泥や漂流物は残っているが、水はもう橋を覆っていない。
『……渡れる』
声が漏れた。
権蔵も車を停め、橋の状態を確かめる。
『これで唯のところに行けますね』
ようやく道が開いた。
三日間、どの道を試しても街へ近づけなかった。
その先に、今は街がある。
病院がある。
権蔵はすぐには返事をしなかった。
橋の向こうを見据える。
『街の様子は分からん』
健一も表情を引き締めた。
『はい』
『渡れたからといって、気を抜くなよ』
『分かってます』
権蔵が軽トラックを進める。
タイヤがゆっくりと橋へ乗った。
濁った川が橋の下を勢いよく流れている。
軽トラックは慎重に橋を渡り切った。
街へ続く道が伸びていた。
今度こそ。
健一は膝の上で拳を握った。




