↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/78

第1話⑦待つしかない二人

◇08月05日 08時台/林道/健一、権蔵


朝から、健一と権蔵は再び街へ続く道を探していた。

昨日とは別の林道へ軽トラックを入れる。


舗装されていない細い道には、先日までの大雨で深い轍ができていた。タイヤが泥を跳ね上げ、車体が何度も大きく揺れる。

健一は助手席から先を睨むように見ていた。


少しでも街へ近づきたい。

少しでも病院へ近づきたい。

その思いとは逆に、道は進むほど険しくなっていった。


『……あれ』


健一が声を上げる。

権蔵もすぐにブレーキを踏んだ。

前方の林道がなくなっていた。

山側の斜面が大きく崩れ、大量の土砂と木が道路を埋め尽くしている。


軽トラックで越えられる量ではない。

二人は車を降りた。

健一は崩落箇所まで歩き、向こう側を覗き込んだ。


挿絵(By みてみん)


『迂回できませんか』


『この斜面じゃ無理じゃな』


『じゃあ……歩いて行けば』


『健一』


『車が通れないだけなら、歩いて向こうに出て――』


地面が揺れた。

小さな余震だった。


だが、その直後。

斜面の上から石が転がり落ちてくる。

二人は反射的に後ろへ下がった。


石は土砂の上を跳ね、道の端から下へ消えた。

権蔵が崩れた斜面を見上げる。


『見ただろ』


健一は黙る。


『今も山は安定しとらん。歩いたところで、この先の道が残っとる保証もない』


『でも、このまま戻ってたら……』


『途中でまた崩れたらどうする』


『……』


『前にも後ろにも進めん場所に閉じ込められるかもしれんぞ』


健一は崩落した林道の向こうを見た。

あの先に街がある。

唯がいる病院がある。


距離だけなら、昨日より確実に近づいている。

それなのに進めない。


『行けるところまででも――』


『お前が死んだら、唯ちゃんは誰が助けるんじゃ』


昨日と同じ言葉だった。

健一の口が止まる。


権蔵は怒鳴りもしない。

ただ静かに言った。


『助けたいなら、生きて辿り着け』


健一は拳を握った。

悔しい。

焦る。


今この瞬間にも、唯に何か起きているかもしれない。

それでも、目の前の崩落が消えるわけではなかった。


『……分かりました』


二人は軽トラックへ戻った。

権蔵がゆっくりと車を切り返す。

健一は窓の外へ流れていく崩落箇所を、見えなくなるまで見続けていた。





◇08月05日 15時台/山中の道路/健一、権蔵


別の道を探して山中を走っていた時だった。

ガタンッ。

突然、車体が傾いた。


『なんじゃ?』


権蔵がすぐに車を停める。

二人で降りて確認すると、後輪の一つが潰れていた。

鋭く尖った石がタイヤへ食い込んでいる。


『……こんな時に』


また時間を取られる。

一分でも惜しいのに。


『スペアに換えるぞ』


権蔵は淡々と言った。

軽トラックから工具とスペアタイヤを降ろす。


健一もすぐに手伝った。

ジャッキをかける。

だが、焦りから手元が乱れた。

工具がうまく噛み合わない。


『くそっ……』


『焦るな』


『でも――』


『急いで失敗したら余計に時間がかかるぞ』


権蔵の声に、健一の動きが止まる。


『唯が待ってるかもしれないんです』


『分かっとる』


権蔵はナットへ工具をかけた。


『だからこそ、確実にやれ』


健一は歯を食いしばる。


『確実に一つずつやる。それが一番早い』


健一は息を吐いて工具を握り直し、今度こそ焦らず、ナットを外して潰れたタイヤを取り外し、スペアタイヤを取り付けていった。

一つずつ確実に確認する。

作業を終えると、権蔵がタイヤを確かめた。


『よし』


健一も立ち上がる。

汗を袖で拭い、すぐに助手席へ乗り込んだ。


軽トラックは再び走り出した。

まだ諦めるつもりはなかった。

二人は通れそうな道を探し続けた。


挿絵(By みてみん)





◇08月05日 15時台/病院・非常用倉庫/唯、夏帆


非常用倉庫の中は薄暗かった。

唯と夏帆がここへ逃げ込んでから、ほぼ二日が経っている。


病院内の様子はほとんど分からない。

時折、廊下を歩く足音。

低い呻き声。

何かを引きずるような音。


夏帆は扉へ耳を当てた。

廊下の奥から聞こえる足音は、昨日より増えていた。

扉のすぐ近くからも、何かを引きずるような音がする。


『……まだいる』


夏帆は小さく呟いた。


『昨日より増えてない……?』


唯の言葉に、夏帆は答えなかった。

海外で感染が広がった時、ニュースでは発症した人間が他人を襲うようになるまで、もっと時間がかかっていたはずだった。


だが、この病院では違う。


《早すぎる……》


夏帆は手元のハサミを見る。

一度は唯を連れて外へ出ることも考えた。

しかしこれ一本で唯を守りながら廊下を突破するのは危険すぎた。


『もう少し待とう。扉の前から離れたら、その時に出る』


『うん……』


夏帆は再び扉へ耳を当てた。


コツ……。


コツ……。


誰かが歩いている。

夏帆は声を出さず、唯と目を合わせた。


その時。

ぐらり。

床が揺れた。


『っ……!』


余震。

棚に置かれていたヘルメットが落ちた。


ガタンッ!


静かな倉庫内に、大きな音が響く。

二人の身体が固まった。

廊下の足音が止まる。

数秒の沈黙。

そのあと。


ズ……。


ズ……。


何かが近づいてくる。

唯が口元を押さえた。


ドン。


扉が叩かれた。

唯の肩が跳ねる。


ドン。


今度は強い。

入口を塞いでいる棚が微かに震えた。


『夏帆さん……』


『大丈夫』


夏帆は小声で答えた。

自分に言い聞かせる意味もあった。


ドンッ。


棚が動く。

ほんのわずかだった。

それでも確かにずれた。


夏帆はハサミを強く握り締める。

刃物と呼ぶには頼りない。

荷ほどきに使うだけの小さなハサミ。


挿絵(By みてみん)


『最悪の時は……これで何とかするしかないわね』


唯が夏帆の手元を見る。


ドンッ。


もし棚が押し退けられたら。

もし扉が開いたら。


その時は、自分達を守らなければならない。

だが、しばらくすると扉を叩く間隔が長くなった。


ドン。


沈黙。

さらに長い沈黙。


やがて、足音が少しずつ遠ざかっていった。

二人ともすぐには動かなかった。


完全に聞こえなくなるまで待つ。


夏帆がようやく息を吐いた。

唯も身体の力を抜く。


しばらくして、唯が口を開いた。


『……夏帆さん』


『なに?』


『お兄ちゃん、来るかな』


小さな声だった。

夏帆は唯を見る。


『約束したんでしょ?』


『何があっても迎えに行くって』


『なら、来るわよ』


唯は俯いた。


『来てほしいけど……』


言葉が止まる。


『でも、来てほしくない』


夏帆は黙って続きを待った。


『だって……外にあんな人たちがいるんだよ』


唯は扉を見る。


『お兄ちゃんが来たら、襲われるかもしれない』


声が震えた。


『私のところに来ようとして……お兄ちゃんまで何かあったら嫌だ』


夏帆はしばらく唯を見つめていた。

それから、少しだけ笑う。


『健一は来るわよ』


『……なんで分かるの?』


『昔からそうだから』


唯が顔を上げる。


『あいつ、変なところで強情でしょ』


唯の口元がわずかに緩んだ。


『夏帆さん、それ病室でも言ってた』


『だって本当だもの』


『お兄ちゃん怒るよ』


『また言ってやるわよ』


唯が小さく笑った。

ほんの一瞬。


外に感染者がいることも、病院がどうなっているのか分からないことも忘れたような笑いだった。

夏帆もつられて笑う。


『たぶん今頃、必死になってここまで来る道を探してるわよ』


唯は黙って夏帆を見る。


『健一なら、そうする』


唯はゆっくり頷いた。


『……うん』


唯はスマートフォンを手に取った。

画面をつけ、通知を確かめる。


健一からの連絡はない。

しばらく画面を見つめてから、唯はスマートフォンを握ったまま窓の外へ目を向けた。

病院の外を、一人の感染者がゆっくり歩いていた。


充血した目。

ふらつく身体。

どこへ向かっているのかも分からないまま、ただ歩いている。


唯と夏帆は外へ出なかった。

扉の前から感染者が離れる機会を待つ。

二人は再び、静かな倉庫の中で息を潜めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。