第1話⑥塞がれた道
◇08月04日 05時台/山中の車内/健一
ほとんど眠れなかった。
夜の間も何度か余震があり、そのたびに健一は目を覚ました。
車体がわずかに揺れるだけでも、昨日の激震が蘇る。
空が白み始めると、健一はシートを起こした。
身体中が重い。
前日は山の中を九時間近く歩き続けた。
それでも、ここに留まっているわけにはいかなかった。
『……行くか』
エンジンをかける。
昨日は暗くて見えなかった道路の被害が、朝の光の中で姿を現していた。
路面には大小の石が散乱している。
場所によっては山肌が崩れ、道路へ土砂が流れ込んでいた。
健一は速度を落とし、通れる場所を選びながらジムニーを進めた。
頭にあるのは唯のことだった。
病院は無事なのか。
唯は怪我をしていないか。
電話は相変わらずつながらない。
今すぐにでも病院へ向かいたかった。
だが、その前に権蔵の山小屋がある。
昨日の地震で、権蔵が怪我をしている可能性もあった。
もし負傷しているなら、そのまま病院へ連れていけばいい。
健一は山小屋へ向かって車を走らせた。
◇08月04日 06時台/山中の道路/健一
先へ進むほど、道路の状態は悪くなった。
大きく崩れた斜面や倒木、落石に道を塞がれ、ジムニーでもそのまま通れない場所があった。
健一は何度も車を降りた。
動かせる枝や石をどけ、通れそうな隙間を探す。
その最中にも、地面が小さく揺れた。
木々の間からぱらぱらと土が落ちる。
健一は動きを止め、斜面を見上げた。
しばらく待つ。
大きな崩落は起きなかった。
『頼むから……もう勘弁してくれよ』
誰に言うでもなく呟き、再び車へ戻った。
一刻も早く街へ戻りたい。
だが、焦って事故を起こせば終わりだ。
進める場所を一つずつ確かめながら、ジムニーを前へ進めた。
◇08月04日 07時台/山小屋前/健一、権蔵
山小屋が見えた時、健一は大きく息を吐いた。
建物は残っている。
完全に崩れてはいない。
ジムニーを停め、急いで降りた。
『権蔵さん!』
声を上げる。
小屋の中から物音がした。
やがて扉が開き、権蔵が姿を現した。
『おう。健一か』
『無事だったんですね』
『見ての通りじゃ』
健一の肩から力が抜けた。
『怪我は?』
『ない。小屋の中が少し散らかったくらいじゃ』
中へ入る。
床の隅には割れた食器がまとめられていた。
棚の中身や小物が床に散らばり、いくつかの家具は壁からずれている。
どうやら権蔵は、地震で散らかった小屋を片付けている途中だったらしい。
『結構散らかったんですね』
『まあな。割れたもんと危ないもんから片付けとるところじゃ』
もっともだった。
健一はスマートフォンを取り出した。
画面を確認する。
相変わらず圏外のままだ。
『権蔵さん、街がどうなってるか分かります?』
『分からん』
権蔵も首を振った。
『電話も駄目じゃ。昨日から情報がほとんど入っとらん』
『病院もですかね……』
健一はスマートフォンを強く握った。
『妹さんか』
『はい』
『まず街へ出てみるしかないの』
健一は頷いた。
◇08月04日 08時台/山小屋/健一、権蔵
『わしの軽トラで行こう。四駆じゃし、荷台にはスコップやノコギリもある。猟で使うウインチも積んどるから、多少の倒木や落石なら何とかできるじゃろ』
『片づけは良いんですか?』
『後でええ。危ないもんはもう片付けた。それに、街の自分の家がどうなっとるかも見ておきたいからの』
『そうですね。この揺れじゃ、そっちも心配ですね』
『ああ。ついでに街の様子も見ておこう』
権蔵の提案で、二人は山小屋を出た。
健一のジムニーではなく、権蔵の軽トラックを使うことになった。
権蔵はこの辺りの林道を知り尽くしている。
普段から山へ入るときに使っている軽トラックなら、荒れた道でも勝手が分かるという。
権蔵が乗り慣れた運転席へ座り、健一も助手席へ乗り込む。
目指すのは街。
そして病院だった。
◇08月04日 09時台/橋の手前/健一、権蔵
橋の手前で、軽トラックが止まった。
『……これは』
健一はフロントガラスの向こうを見つめた。
川が増水している。
橋の上まで水がかぶり、濁った流れが勢いよく横切っていた。
権蔵が低く唸る。
『やっぱり駄目か』
『渡れませんか?』
『無理じゃな』
健一は身を乗り出すようにして橋を見る。
向こう側へ行ければ、街へ出られる。
病院にも近づける。
だが、水の中で何が起きているのか見えない。
路面が残っている保証すらない。
『この橋は元々、大雨ですぐ水に浸かるんじゃ』
権蔵が言った。
『昨日までの雨に、あの地震じゃ。こうなってもおかしくない』
『どれくらいで引きますか?』
『分からん。時間が経てば水は減るかもしれんがの』
待つ。
健一には、それが一番つらかった。
『別の道は?』
『あるにはある。一昨日言っとったキャンプ場の方から回る道じゃ。かなり遠回りになるがな』
健一はすぐに権蔵を見る。
『そっちへ行きましょう』
権蔵は少し考えたあと、軽トラックを切り返した。
◇08月04日 15時台/山間部の迂回路/健一、権蔵
迂回路は遠いうえに、地震の被害で何度も進路を変えなければならなかった。
そして今、二人の前には横転した大型ダンプカーがあった。
道路を完全に塞いでいる。
軽トラックが通れる隙間はない。
健一は車を降りた。
『……またか』
ダンプカーへ近づくと、運転席側は大きく潰れていた。
中には運転手がいたが、呼びかける必要もないほど状態は明らかだった。
健一は思わず目を逸らした。
『生きとらんか』
後ろから来た権蔵が言う。
『……はい』
二人で周囲を確認した。
道路脇へ抜けることもできない。
片側は斜面。
反対側は崖だった。
このダンプカーを動かす手段もない。
健一はスマートフォンを取り出した。
せめて警察へ事故を知らせようと、110番へ電話をかけようとするが圏外のままだった。
『駄目だ。警察に連絡できない……』
地震が起きてから、携帯電話はまともに使えないままだった。
『くそ……』
拳を握る。
今日一日走り回っているのに、病院には少しも近づけていない。
権蔵が道路の先を見ながら言った。
『ここも無理じゃな』
健一は返事をしなかった。
◇08月04日 21時台/山小屋/健一、権蔵
二人は山小屋へ戻っていた。
外はすでに暗くなっていた。
机の上には地図が広げられている。
健一はスマートフォンを手に取り、画面を確認した。
相変わらず圏外のままだ。
『……駄目か』
スマートフォンを机へ置く。
すぐに地図へ目を戻した。
『ここはどうですか』
別の道を指す。
『この林道から抜けられませんか?』
『地震の後じゃ。通れるかは分からんぞ』
『でも、試してみないと』
『今日はもう無理じゃ』
権蔵が言った。
健一は黙った。
『休め』
『でも――』
『明日また別の道を探せばええ。わしも一緒に行く』
健一は地図を見つめる。
『俺、唯と約束したんです』
権蔵は何も言わずに聞いていた。
『何があっても迎えに行くって』
病院で交わした約束。
ほんの二日前のことなのに、ずっと昔のように感じる。
『それなのに……まだ病院の近くにすら行けてない』
健一の声に焦りが滲んだ。
『もしかしたら、他にも道があるかもしれない。今からでも――』
『焦るな』
権蔵の低い声が遮った。
『途中でお前が死んだら、誰が妹さんを迎えに行くんじゃ』
『……』
『今日は休め。明日、また探す』
健一は言い返せなかった。
権蔵が寝袋を差し出す。
『使え』
『ありがとうございます』
受け取り、床へ広げる。
身体は疲れ切っていた。
横になれば、すぐ眠れるはずだった。
だが、目を閉じても唯の顔が浮かぶ。
病院は無事なのか。
唯は今、どこにいる。
何をしている。
怖がっていないか。
健一は寝袋の中で目を開けた。
暗い山小屋の天井を見つめる。
眠りは、なかなか訪れなかった。




