第12話①痛みを捨てたもの
◇08月14日 07時台/山小屋/唯、夏帆
昨夜、山の向こうに見えていた街の明かりが一斉に消えた。
朝になっても、その光景が唯と夏帆の頭から離れなかった。
夏帆は街の方角を見つめ、表情を曇らせた。
『停電……したのかな』
『全部?』
唯も街を見た。
一部の地域だけではない。
ここから確認できる範囲には、人工的な明かりがまったく残っていなかった。
そして今、その街には健一たちがいる。
『お兄ちゃんたち、大丈夫かな……』
不安がそのまま声に出た。
昨日の朝、健一たち五人は特殊無線の発信元を確かめるため街へ向かい、そのまま一晩泊まっている。
予定では今日帰ってくるはずだが、街全体が停電したとなれば、何か予想外のことが起きたのではないかと思ってしまう。
夏帆も同じ不安を抱えていたが、唯をさらに心配させるわけにはいかなかった。
『健一たちなら大丈夫だよ。今日は帰ってくるんだから』
『……うん』
返事をしながらも、唯の視線は街から離れなかった。
夏帆も無理に明るく振る舞うのはやめた。
ここから街の状況を確かめる方法はなく、今すぐ二人だけで向かうこともできない。
健一たちが無事に戻ると信じて待つしかなかった。
『とりあえず、朝のことやろうか』
『はい』
二人はようやく街へ背を向けた。
心配しているだけでは何も変わらない。
水や食事の準備、山小屋の片づけ、嵯峨の世話。
健一たちが帰ってきた時に困らないよう、いつもの朝を始めることにした。
◇08月14日 07時台/市街地の民家/健一、権蔵、達也、なおみ、美樹
街では、達也が民家の二階からドローンを飛ばしていた。
昨夜の停電で街は完全に暗闇へ沈んだが、朝になれば周囲を見渡すことはできる。
いきなり外へ出る前に、まず上空から安全を確認するためだった。
達也は送られてくる映像を見ながら、家の周囲をゆっくり旋回させた。
『……いたな』
画面を覗き込んでいた健一が尋ねる。
『何体?』
『罠に三体。ほかに動いてる奴は……今のところ見えねぇ』
昨日、権蔵たちが家の死角を補うために設置した罠だった。
三体とも足首をワイヤーに拘束され、その場から離れられずにいる。
周囲の道路や隣家の陰にも別の感染者がいないことを確認すると、権蔵は剣ナタを手にした。
『わしらで処理してくる。達也と美樹はここに残って、上から見とってくれ』
『分かった』
美樹は空気銃を持って窓際へ移動し、達也は引き続きドローンを操作する。
外へ出たのは権蔵、健一、なおみの三人だった。
朝の街には、昨夜まで聞こえていた機械の音がない。
停電によって残っていた設備まで止まり、遠くから感染者の呻き声がかすかに聞こえるだけだった。
罠の一つへ近づくと、感染者が地面を這いながら三人へ手を伸ばした。
ワイヤーは足首にしっかり掛かっており、どれだけ身体を引いても距離を詰められない。
権蔵は感染者の前に立ち、剣ナタを握り直した。
『……すまない』
短く呟いてから、確実に仕留める。
二体目も同じだった。健一となおみは周囲を警戒していたが、別の感染者が近づく様子はない。
『ちゃんと掛かってますね』
健一が罠を見る。
『走って来る奴にも使えそうじゃな』
昨日はまだ試作したばかりだったが、少なくとも一晩のうちに三体を止めている。
死角へ近づく感染者を足止めするという目的は果たしていた。
残る一体も同じように処理できる。
そう思った時だった。
三体目の感染者が急に激しく暴れ始めた。
それまで地面でもがいていた身体を起こし、権蔵へ向かって全身を引く。
ワイヤーが張り詰め、足首へ深く食い込んだ。
なおみが眉をひそめる。
『なんや、こいつ……』
感染者は止まらなかった。
皮膚が裂けても、肉へワイヤーが食い込んでも、痛みから逃れようとする様子がない。
ただ権蔵へ届こうとして、何度も身体を前へ投げ出す。
健一も異常に気づいた。
『権蔵さん、そいつ――』
感染者がさらに強く身体を引いた。
ワイヤーは外れない。
それでも感染者は止まらず、全身を使って権蔵へ向かおうとする。
次の瞬間だった。
足首の肉が裂け、ワイヤーに拘束された足首から先だけがその場に残った。
『なっ――』
感染者は拘束から抜けた勢いのまま前へ倒れ込み、そのまま権蔵へ掴みかかった。
『ぐっ!』
不意を突かれた権蔵が地面へ押し倒され、剣ナタが手から離れる。
感染者は権蔵の上から顔へ食らいつこうとし、権蔵は片腕で首元を押し返して距離を保った。
千切れた足の断端から大量の血を流しているにもかかわらず、感染者は自分の傷を気にする様子すらない。
健一は薪割り斧を振り下ろせる位置ではないと判断し、横から駆け込んで感染者の脇腹を蹴った。
身体が権蔵からずれたところへ、なおみが踏み込む。
刀が頭部を捉え、感染者はようやく動きを止めた。
健一はすぐ権蔵へ手を伸ばした。
『大丈夫ですか!?』
『ああ……噛まれとらん』
権蔵は起き上がると、まず自分の身体より罠の方を見た。
ワイヤーは切れていなかった。
そこには足首から先が残り、少し離れた場所には骨まで露出した感染者が倒れている。
権蔵は息を整えながら、その二つを見比べた。
『……ワイヤーが切れたんじゃない。自分の足を引きちぎったのか』
健一も言葉を失った。
普通の人間なら、あれほど深くワイヤーが食い込んだ時点で痛みに耐えられず、まともに力を掛け続けることなどできない。
なおみは倒れた感染者の足を見る。
『あんな状態でも、全然止まらんかった……』
権蔵が低い声で言った。
『感染者は痛みに鈍感になるのかもしれんのぅ』
健一となおみも頷いた。
罠そのものは機能した。
だが、感染者が自分の身体を壊すことさえ構わず動くなら、拘束しただけで安全だと思うことはできない。
三人は周囲をもう一度確認してから、民家へ戻った。
処理が終わると、美樹は二階の窓から街を見渡した。
ドローンで周辺に大きな危険がないことは確認できている。
空気銃で狙える距離に一体の感染者を見つけると、すぐには撃たず、その周囲と射線の先を確かめた。
人影はない。
仲間も射線上にはいない。
美樹はスコープを覗き、頭部へ狙いを合わせて引き金を引いた。
小さな発射音とともに感染者が倒れる。
別の一体を見つけると、今度も周囲を確認してから狙った。
弾がわずかに逸れて仕留めきれなかったが、以前のように焦って撃ち直すことはせず、感染者の動きを追って呼吸を整え、次の一発で倒した。
昨日から何度も繰り返してきた狙撃に、少しずつ余裕が生まれていた。
その間に健一たちは荷物をまとめ、民家を出る準備を進める。
やがて窓から見える範囲に動く感染者の姿がほとんどなくなると、美樹も空気銃を下ろした。
民家の中へ、妙な静けさが戻る。
達也はドローンを回収して電源を切った。
『……静かすぎるな』
誰も否定しなかった。
昨日までは遠くで何かしらの機械音がしていた。
街灯や設備が動き、かすかながら人間の街だった頃の音が残っていた。
今は、それすらない。
窓の外から聞こえてくるのは、遠くをさまよう感染者の呻き声だけだった。
電気が消えたことで、街そのものがさらに死へ近づいたように感じられた。




