第11話⑤誰かがいた家
◇08月13日 13時台/市街地の道路/健一、権蔵、達也、なおみ、美樹
路上へ倒れた般若の刺青男は、腹を押さえながら何とか身体を起こそうとしていた。
指の隙間から血が滲んでいる。
少し離れた物陰では、三つの人影がその様子を窺っていた。
『……撃たれてる』
一人が小さく呟く。
周囲にはまだ感染者の姿がなく、血だらけの男を助けるなら今しかないように見えた。
三人のうち一人が物陰から出ようとした、その時だった。
『待って』
別の一人が止める。
道路の向こうから、空気銃を持った美樹を先頭に、健一、権蔵、達也が走ってきていた。
武器を持った四人が倒れた男へ真っ直ぐ向かってくるのを見て、三人は再び身を隠した。
『……仲間じゃないのか?』
『分からない』
誰も姿を見せず、息を潜めて様子を見る。
般若の刺青男も追ってくる四人に気づき、顔色を変えた。
逃げようと身体を起こすが、腹部の痛みに耐えきれず再び膝をつく。
四人との距離が縮まっていく。
男は手にしていたナイフを見た。
カランッ。
ナイフを道路へ投げ捨て、両手を上げる。
『待て! 待ってくれ!』
美樹は空気銃を向けたまま近づいていく。
健一も薪割り斧を握り、ナイフから目を離さない。
般若の刺青男はその場へ土下座し、額を地面へ擦りつけた。
『助けてくれ!』
声は震えていた。
ついさっきまで女性の首へナイフを当てていた男とは思えないほど、何度も頭を下げ、涙まで流している。
『助けてくれ! 助けてくれ! もうしない! 頼む! 死にたくない!』
健一は何も言えなかった。
床で死んでいた父親。
首を切られた女性。
その光景が頭から離れない。
達也も険しい顔で男を見ている。
権蔵は散弾銃を構えたまま、周囲にも注意を向けていた。
騒ぎを聞きつけた感染者が、いつ寄ってきてもおかしくない。
『助けてくれよぉ……!』
般若の刺青男は泣きながら地面へ額を押しつける。
『何でもする! 頼むから!』
美樹の呼吸が荒くなり、空気銃の銃口が僅かに震えた。
脳裏に浮かぶのは、泣いていた女性と引き裂かれた服、殴り殺された父親。
そして、自分たちの目の前で女性の首を切った男の姿だった。
『……助けて?』
美樹の声が低くなる。
男が顔を上げる。
『そうだ! 頼む! 俺が悪かった!』
美樹は答えなかった。
空気銃を肩に掛け、そのまま権蔵へ歩み寄る。
『権蔵さん』
権蔵が散弾銃の銃口を下げた、その瞬間だった。
美樹が銃へ手を伸ばす。
『美樹?』
権蔵の反応が一瞬遅れた。
美樹はその隙に散弾銃を強引に奪い取った。
そのまま銃口を般若の刺青男へ向ける。
男の表情が凍りつく。
『ま、待て……』
『美樹!』
健一の声が飛ぶ。
だが美樹の指は、すでに引き金へ掛かっていた。
『待ってくれ! 助けて――』
散弾銃が轟き、般若の刺青男の頭部が吹き飛んだ。
身体がその場へ崩れ落ちる。
一瞬、街から音が消えたように感じた。
健一も達也も権蔵も、誰も言葉を出せなかった。
美樹は散弾銃を構えたまま立っている。
呼吸は速く、肩が大きく上下していた。
やがてゆっくり銃口を下げる。両手は震えていた。
怒りなのか。恐怖なのか。
美樹自身にも分かっていないような顔だった。
健一は美樹を見る。
何か言おうとしたが、やめた。
今ここで問い詰めるべきではない。
銃声は、周囲の感染者を呼び寄せる。
『……戻ろう』
健一が言った。
『感染者が来る前に、ここを離れないと』
権蔵も周囲を見る。
『そうじゃな』
散弾銃を美樹から受け取る。
美樹は抵抗しなかった。
四人は倒れた男をそのままにし、家へ戻った。
物陰の三人は――。
最後まで姿を見せなかった。
家へ戻ると、なおみが女性のそばへ膝をついていた。
首元に当てられた布は、血で赤く染まっている。
『なおみさん』
健一が声を掛けると、なおみは顔を上げ、ゆっくり首を左右に振った。
それだけで分かった。
女性はもう動かない。
健一は唇を噛んだ。
父親も。
娘も。
助けられなかった。
達也は何も言わず視線を逸らす。
美樹は入口に立ったまま、女性を見ることができなかった。
権蔵が静かに言った。
『ここに長居はできん』
誰も反対しなかった。
残されていた食料や使える物資から、持ち出せる分だけを急いでバンへ運ぶ。
やがて遠くから感染者の呻き声が聞こえ始めた。
『来るぞ』
なおみが外を見る。
健一たちは最後の荷物を積み込み、その家を離れた。
しばらくして、物陰に隠れていた三人が家の前へ姿を現した。
健一たちの車両がもう見えないことを確認し、周囲を警戒しながら恐る恐る中へ入る。
最初に目へ入ったのは、衣服を引き裂かれたまま首から血を流して死んでいる女性だった。
その隣には、顔面を何度も殴られた男性が倒れている。
さらに外には、頭部を吹き飛ばされたもう一人の男。
誰もすぐには口を開かなかった。
ここで何が起きたのか、三人には分からない。
分かるのは、つい先ほどまで武器を持った五人がここにいて、その後にこの惨状が残されていたということだけだった。
『……物資を奪って、男は殴り殺したのか?』
一人が呟く。
別の一人が女性を見る。
『この女……服が……』
『あいつらがやったのか……?』
沈黙。
最後の一人が首を横に振った。
『分からない』
家の外へ目を向けると、先ほどの銃声に引き寄せられた感染者が、遠くの道路へ一体、また一体と姿を見せ始めていた。
『でも、関わらない方がいい。かなり危険な連中かもしれない』
三人は室内を簡単に確認しただけで、すぐに家を出た。
遠くから聞こえる呻き声は、少しずつ増えていた。




