第11話②嵯峨の訓練
◇08月12日 23時台/山小屋/健一、唯、夏帆、権蔵、達也、なおみ、美樹
天然温泉から女性陣が戻ってくる頃には、山小屋の夜もすっかり深まっていた。
四人とも髪はまだ少し湿っている。
温かな湯に浸かってきたせいか、出掛ける前より表情も柔らかかった。
一方、山小屋の中では健一たちが机の上へ道具を並べていた。
明日は街へ出る。
しかも目的は物資回収だけではない。
昨夜から二度にわたって受信した、特殊無線の声。
山に囲まれたこの場所よりも街の方が電波を拾いやすいのではないか。
それを確かめるための遠征だった。
健一は特殊無線機を手に取る。
『これは絶対忘れられないな』
達也が答える。
『これ忘れたら、ただの物資回収になるからな』
『お前は双眼鏡を忘れてもいいぞ』
『まだ言うか』
天然温泉から戻った美樹が、その会話を聞いて眉をひそめる。
『双眼鏡?』
達也の顔が一瞬固まった。
健一は平然と答えた。
『こいつ、さっき双眼鏡持って夜のドライブに行こうとしてた』
『…………』
美樹の目が細くなる。
達也が慌てて両手を上げる。
『違う違う。バードウォッチング』
『夜に?』
『夜行性の鳥をな』
『へぇー』
美樹の声には一切信用がなかった。
達也はそれ以上説明するのを諦めた。
権蔵はそんなやり取りを無視して、明日持ち出す物を確認している。
街へ行けば、何が起きるか分からない。
権蔵は武器や弾薬、照明、無線など、明日持ち出す装備を頭の中で整理していく。
『細かい積み込みは朝でええ。今日はもう寝るぞ』
『ですね』
健一も頷いた。
装備の最終確認を済ませると、灯りが落とされた。
七人と一匹。
それぞれが寝床へ入り、山小屋は少しずつ静かになっていった。
◇08月13日 01時台/山小屋前/達也、嵯峨
夜中。
達也は一人、山小屋の外へ出ていた。
手にはタバコ。
火をつける。
赤い先端が、暗闇の中で小さく光った。
すぅ、と煙を吸い込み、ゆっくり吐く。
白い煙は夜気へ溶け、すぐに見えなくなった。
少し離れた場所には嵯峨が伏せていた。
眠っているのかと思えば、時折耳だけが動く。
達也はベンチへ腰を下ろした。
『お前も起きてんのか』
嵯峨は顔だけ上げた。
返事の代わりに、また静かに伏せる。
達也は小さく笑った。
『愛想ねぇな』
タバコを指に挟み、山小屋を見る。
中では健一、唯、夏帆、権蔵、美樹、なおみが眠っている。
ほんの少し前まで、自分がこんな場所で誰かと一緒に暮らしているとは思ってもいなかった。
パンデミックが始まった頃、達也はドローンから街を見ていた。
逃げる人間。それを追う感染者。放置された車。そして、人が死んでいく光景。
自分もいつまで生きられるか分からなかった。
達也は煙を吐く。
『最初は数日生き残れりゃ上出来だと思ってたけどな』
嵯峨の耳が動いた。
『それが今じゃ、山ん中で猪獲って、魚釣って、罠まで作ってんだから分かんねぇもんだ』
自分でも少し可笑しくなる。
笑ったあと。
達也の視線が落ちた。
街では何人もの死を見た。
助けられなかった人間もいる。
感染者になった人間を、自分の手で倒したこともある。
だが同じ時間の中で、美樹と出会い、健一たちと出会い、権蔵やなおみとも一緒に行動するようになった。
気づけば――。
一人で死なないことだけ考えていた頃とは違っている。
誰かが怪我をすれば気になる。
危険な場所へ行けば、生きて戻ってほしいと思う。
美樹が感染者に襲われれば、身体が勝手に動いた。
達也は短くなったタバコを見る。
明日はまた街へ行く。
走る感染者まで現れ始めている場所へ。
何が待っているかは分からない。
それでも。
『……明日も全員で帰ってこねぇとな』
小さく呟く。
タバコの火を確実に消した。
立ち上がる。
『ほら、お前も寝ろよ』
再び山小屋の夜が静寂へ戻った。
◇08月13日 06時台/山小屋周辺/美樹、嵯峨
朝。
美樹はいつものように早く起きると、『猟犬のしつけ方』を軽く読み返してから射撃練習を始めた。
昨日から意識しているのは、撃った後に周囲を確認することだった。
何発か繰り返すうち、その動作も少しずつ身体に馴染んでいく。
射撃を切り上げると、今度は嵯峨を呼び、『待て』と『進め』のハンドサインを確認した。
昨日より迷う時間は短くなり、美樹の手だけを見て動ける回数も増えている。
成功するたびに頭を撫で、新しい合図のページを開きかけたところで、美樹は手を止めた。
『今日はまだいいか』
嵯峨を見る。
『まず、この二つを完璧にしよう』
嵯峨は美樹の足元へ座った。
美樹は満足そうにその頭を撫でた。




