第11話①女湯と双眼鏡
◇08月12日 21時台/天然温泉/唯、夏帆、なおみ、美樹
夕食を終えると、なおみ、美樹、唯、夏帆の四人は着替えとタオルをまとめ始めた。
健一がその様子に気づく。
『どこか行くのか?』
夏帆が答えるより早く、なおみが荷物を肩へ掛けた。
『温泉や。せっかく近くにあるんやし、久しぶりにゆっくり身体洗ってくるわ』
唯も着替えを抱えて立ち上がる。
美樹は男たちを順番に見た。
『言っておくけど――絶対についてこないでよ』
妙に念を押す言い方だった。
達也が呆れた顔をする。
『誰が行くかw』
『達也には特に言ってるの』
『信用なさすぎだろ』
『日頃の行い』
即答する美樹。
達也は何か言い返そうとしたが、なおみまでじっと見ていることに気づき、肩をすくめた。
『はいはい。行きませんよ』
『ほんまやな?』
『行かねぇって』
健一も苦笑する。
『暗いんだから気をつけて』
『うん。お兄ちゃんたちも変なことしないでね』
唯の言葉に、健一は眉を上げた。
『俺まで疑われてる?』
『達也さんと一緒にいるから』
『どういう意味だよ、それ』
『俺を何だと思ってるんだ』
達也の抗議を背に、四人は笑いながら山小屋を出た。
夜の山道は暗い。
フラッシュライトで足元を照らしながら、なおみは刀を、美樹は空気銃を持ち、四人は天然温泉へ向かった。
山小屋から離れるにつれ、人の話し声も焚火の音も遠ざかっていく。
聞こえるのは虫の声と、自分たちの足音だけ。
温泉へ着くと、なおみがまず周囲を確認した。
『誰もおらんな』
美樹もライトを使い、木々の間や茂みを照らす。
感染者の姿もない。
夏帆も念のため周囲を見回してから頷いた。
『大丈夫そうね』
四人はようやく荷物を下ろし、服を脱いで身体を丁寧に洗った。
いつでも交戦できるよう武器はすぐ手の届く場所へ置いた。
汗や土埃、山歩きや狩猟で身体についた汚れと臭いを温かい湯で流していくたび、気持ちまで軽くなっていくようだった。
唯がゆっくりと湯へ身体を沈める。
足から腰、肩まで温かな湯に浸かり、全身が包まれた瞬間、大きく息を吐いた。
『はぁぁ……生き返ります……』
身体中の力が抜けた。
唯は湯の縁へ背中を預け、そのまま目を閉じる。
夏帆も隣へ入る。
『やっぱり川の水浴びよりこっちだね』
『全然違います……』
朝、男たちは冷たい渓流で身体を洗っていた。
それに比べれば、今こうして温かな湯に浸かれることがどれほどありがたいか。
なおみも肩まで沈み、大きく息を吐く。
『あぁ~……これやこれ。身体の芯まで温まるわ』
美樹も湯へ入り、髪をまとめ直した。
『毎日入りたいくらい』
『贅沢言うたらあかんで』
『でも入りたいでしょ?』
『そら入りたい』
四人の間に笑いが起こる。
湯気が夜気の中へゆっくり溶けていった。
しばらく何も考えず湯に浸かっていたが、なおみが美樹の顔を見てふと笑った。
『美樹、朝よりずっといい顔してる』
『え?』
『朝めっちゃ暗かったやん』
美樹は少しだけ視線を落とした。
昨日のことを思い出したのだろう。
だが、朝とは違って表情は沈み込まなかった。
『……昨日みたいな失敗、もうしたくないから』
なおみは黙って続きを待つ。
美樹は湯の表面を指先でなぞった。
『今日、狩りしてる時もずっと周りを見るようにした。撃つ前も、撃った後も』
『うん』
『それにね、嵯峨にハンドサインが通じたの』
その瞬間、声が少し弾んだ。
『声を出さないで“待て”ってやったら、本当に止まったんだよ』
唯が顔を上げる。
『すごいですね』
『でしょ? 最初は私の顔と手を交互に見てたんだけど、何回かやったら手を見るようになって』
身振りまで交えて話し始める。
朝まで落ち込んでいた姿は、もうほとんど残っていない。
『キジを見つけた時も、嵯峨がちゃんと待ってくれたから落ち着いて狙えたの』
夏帆も微笑む。
『美樹ちゃんも嵯峨も、一緒に覚えてるんだね』
『うん。もっと色々できるようになりたい』
なおみが頷く。
『失敗した後に何するかの方が大事やからな』
美樹は小さく笑った。
『なおみさん、たまに良いこと言うね』
『“たまに”はいらんやろ』
『あはは』
温泉にまた笑い声が広がった。
そして、その笑いが落ち着いた頃だった。
夏帆が隣の唯をちらりと見る。
口元が、少しずつ緩んでいく。
唯はすぐに気づいた。
『……夏帆さん』
『なに?』
『なんでこっち見て笑ってるんですか』
『別に?』
『絶対なんか考えてますよね』
夏帆はとうとう堪えきれなくなったように言った。
『ところで唯ちゃん。温泉といえば今朝の――』
唯が勢いよく振り向く。
『言わないでください!』
美樹が目を丸くする。
『なに? 何かあったの?』
『何もないです!』
即答だった。
なおみも興味を示す。
『なんやなんや。めっちゃ気になるやん』
『本当に何もないですから!』
唯の必死な様子とは対照的に、夏帆は楽しそうだった。
『白髪マン――』
『夏帆さん!!』
唯の声が夜の温泉へ響いた。
美樹となおみは揃って首を傾げる。
『白髪……?』
『マン?』
『何の話?』
『何でもないです!』
唯は耳まで真っ赤になり、そのまま逃げるように湯へ深く沈んでいく。
鼻の辺りまで湯に浸かり、夏帆を恨めしそうに見た。
夏帆は完全に笑っている。
なおみも事情は分からないまま、唯の反応につられて笑い始めた。
『なんや知らんけど、唯ちゃんめっちゃ分かりやすいな』
美樹も笑う。
『余計気になるんだけど』
『聞かないでください……』
湯気の向こう。
四人の笑い声が、しばらく夜の温泉に響いていた。
感染者も。
壊れた街も。
明日の心配も。
今だけは少し遠かった。
◇08月12日 22時台/山小屋前/健一、達也
同じ頃。
山小屋の前では、キャンピングカーのエンジンが掛かった。
ブォン――。
健一が怪訝な顔で外へ出る。
運転席には達也。
首から双眼鏡をぶら下げている。
『一人でどこに行くんだ?』
達也の動きが止まった。
『えっと……さんぽだよ……』
『車で?』
『そう、夜のドライブ!』
健一の視線が、達也の首元へ落ちる。
双眼鏡。
『双眼鏡を首にぶら下げてドライブに行くのか?』
『…………』
一瞬の沈黙。
達也が真顔になる。
『バードウォッチが趣味なんだ』
健一は空を見る。
すでに真っ暗だった。
もう一度、達也を見る。
『こんな暗くなってるのに?』
『夜行性の鳥が……』
『エンジンを切って今すぐ寝ろ』
『はぁー、けち臭いなぁw』
『妹の裸を覗こうとしてる奴を止めないのはおかしいだろw』
『覗くなんて一言も言ってないだろ!』
『双眼鏡まで用意して何言ってんだよ』
達也はぶつぶつ言いながらエンジンを切った。
急に静かになったキャンピングカーの中で、双眼鏡だけが妙に虚しく胸元へぶら下がっていた。
■唯のサバイバルメモ
・今日のテーマ:達也のバードウォッチング(のぞき行為)
皆さんこんにちは。唯です。
今回のお題は『達也のバードウォッチング』についてです。
※本人はバードウォッチングだと言い張っています。
実はこれ、意外と大切なテーマなんです。
サバイバルって聞くと、水や食料、武器、薬、安全に眠れる場所なんかを思い浮かべますよね。
でも、ずっと生きるためのことだけ考えているのも大変です。
毎日危険に怯えて、食料を探して、見張りをして、いつ襲われるか分からない生活を続けていたら、心まで疲れちゃいます。
だから、漫画を読む。
音楽を聴く。
みんなで話す。
ゲームをする。
タバコを吸う。
そんな『娯楽』や『気分転換』も、長く生きていくためには大切なんだって。
ストレスが溜まり続ければ、怒りっぽくなったり、集中できなくなったり、仲間同士で揉める原因にもなります。
生き残るためには、身体だけじゃなくて心も休ませないといけないんですね。
だから娯楽は大切です。
とっても大切です。
……。
でも。
双眼鏡で女湯を覗こうとするのは娯楽ではありません。
達也さん。
バードウォッチングに女性は含まれません。
では今日はここまで。
またね。




