第10話①失敗のあとに
◇08月11日 21時台/山小屋前/健一、唯、夏帆、権蔵、達也、なおみ、美樹
特殊無線機から流れるのは、再び途切れることのない雑音だけになっていた。
ザーッ――。
ジジッ。
焚火のそばの机を囲み、全員が無線機を見つめている。
つい先ほど聞こえた人の声。
生存。
岐阜。
高度感染。
センター。
そう聞こえた気はする。
だがノイズが酷すぎた。
健一は無線機へ身を寄せた。
『岐阜って言ってたよな?』
達也が腕を組む。
『俺もそう聞こえた。でも、その前後が全然分かんねぇ』
夏帆も考え込む。
『“高度感染センター”って聞こえた気もするけど……本当にそう言ってたのかしら』
『環……ってのも聞こえた気ぃするな』
なおみが言う。
唯も無線機をじっと見ていた。
人の声だった。
それだけは全員が聞いている。
だが、聞き取れた言葉を繋げても意味のある文章にはならない。
権蔵が低い声で言った。
『今聞こえた言葉だけで、相手の場所まで決めつけるのは危ないぞ』
『でも、誰かいるんですよね』
美樹が言う。
『ああ。それは間違いないと思う』
健一は無線機を操作した。
通信できる状態を確認し、マイクへ口を近づける。
『こちら生存者7名。聞こえていたら応答してください』
ザーッ――。
返ってくるのは雑音だけ。
健一は少し待つ。
『こちら生存者7名。聞こえていたら応答してください』
ジジッ。
ザーッ――。
誰の声も返らない。
もう一度。
『こちら生存者7名。聞こえていたら応答してください』
沈黙の代わりに、無機質なノイズが続いた。
達也が無線機を覗き込む。
『こっちの声、届いてないのかな……』
『可能性はあるじゃろうな』
権蔵が答える。
『聞こえた声も、かなり途切れとった。距離があるのか、地形のせいなのか、それすら分からん』
山小屋は山に囲まれている。
電波がどこから来たのかも分からない。
聞こえた地名らしき言葉が、本当に『岐阜』だったのかさえ確証はない。
それでも。
誰かがいる。
どこかで、生きている人間が無線を使っている。
その事実だけが、全員の胸に残った。
達也が焚き火の前へ座り直す。
『また喋るかもしれないよな』
健一は頷いた。
『しばらく電源は入れたままにしておこう』
権蔵も異論はなかった。
『そうじゃな。次に入った時、聞き逃さんようにな』
特殊無線機は机の上へ置かれたままになった。
ザーッ――。
小さな雑音が、山小屋の夜に流れ続ける。
誰もすぐにはその場を離れなかった。
また声が聞こえるのではないか。
そんな期待が、全員を無線機のそばへ引き留めていた。
◇08月11日 22時台/山小屋/健一、唯、夏帆、権蔵、達也、なおみ、美樹
それ以上は人の声を拾わなかった。バッテリーを無駄に消耗させるわけにもいかず、健一たちは特殊無線機の電源を落とした。
特殊無線機を山小屋の中に運び、全員が寝る準備を始める。
健一は横になる前に、もう一度だけ無線機へ目を向けた。
やがて山小屋の灯りが落とされる。
七人と嵯峨は、それぞれの場所で眠りについた。
◇08月12日 06時台/山小屋前/美樹
朝。
美樹は山小屋の外で、一冊の本を開いていた。
いつもの朝なら、気になったところを読み返したり、嵯峨の様子と見比べたりしながらページを進める。
だが今日は違った。
同じ場所を何度も読んでいる。
文字を目で追っているはずなのに、内容がほとんど頭へ入ってこない。
ページをめくる。
少しして、また戻る。
『…………』
昨日の光景が蘇る。
キャンプ地。
最初に撃った感染者。
目を狙ったはずのペレット弾が頬へ逸れた。
奇声。
こちらへ向いた顔。
そして――走った。
あれほど離れていた感染者が、一気に距離を詰めてきた。
自分が外した。
自分が見つかった。
そのせいで皆が戦うことになった。
健一は噛みつかれた。
なおみも肩を殴られた。
美樹の指がページの端を強くつまむ。
《私がちゃんと当ててたら……》
さらに建物の中。
正面の感染者は倒せた。
今度こそ命中した。
それで安心した。
倒した感染者ばかりを見て、横の暗い部屋への警戒が抜けた。
気づいた時には、もう目の前に感染者がいた。
達也が引っ張ってくれなければ。
今頃、自分がどうなっていたか分からない。
美樹は本から目を離した。
少し離れたところに、空気銃がある。
キジを仕留めた。
少しずつ射撃にも慣れてきた。
自分も役に立てるようになってきた。
そんなふうに思っていた。
それが恥ずかしかった。
狩りで動物を撃てることと、感染者を相手に生き残ることは同じではなかった。
美樹は本を閉じた。
空気銃を見る。
しばらく黙ったまま。
やがて、小さく呟いた。
『……もっとちゃんと出来るようにならないと』
昨日、何が足りなかったのか。
射撃だけではない。
狙う前。
撃った後。
周囲を見ること。
一つ倒したからといって安心しないこと。
美樹は膝の上に置いた本ではなく、自分の失敗を一つずつ思い返し始めた。
◇08月12日 08時台/山小屋/健一、唯、夏帆、権蔵、達也、なおみ、美樹
朝食の席でも、美樹はいつもより静かだった。
達也が何か話しても、返すのは短い言葉だけ。
唯が何度か美樹を見る。
だが、美樹はほとんど食事へ視線を落としていた。
権蔵も気づいている。
それでも何も言わなかった。
朝食が終わる。
美樹は自分から空気銃を持って外へ出た。
いつもの射撃位置へ向かう。
美樹は弾を込めてポンプし、安全を確認してから空気銃を構えた。
狙いを定め、引き金を引く。
パシュッ――。
弾は的へ命中した。
だが今日は、それで終わらなかった。
美樹は一度、空気銃を下ろした。
銃口を安全な方向へ向けたまま構えを解き、弾を込めて素早く正確にポンプする。
一呼吸置いて再び銃を持ち上げ、照準を合わせて引き金を引いた。
パシュッ――。
昨日までなら、十分に時間をかけてから一発を撃っていた。
今日は違う。
実戦では待ってくれない。
走ってくる感染者は、狙いが定まるまで止まっていてはくれない。
それでも焦って撃てば、昨日と同じことになる。
《速く。でも雑にしない》
美樹は撃つたびに銃を下ろし、周囲を確認してから再装填する。その一連の動作を何度も繰り返した。
権蔵は少し離れた場所から、その様子を黙って見ていた。
姿勢が悪ければ普段なら口を出す。
狙い方に癖があれば指摘する。
だが今は何も言わない。
美樹が自分で昨日の失敗を考え、自分から変えようとしている。
それが分かっていた。
美樹はまた空気銃を下ろした。
呼吸を整える。
額に浮いた汗を腕で拭う。
そして、もう一度構えた。




