第7話④天然温泉
◇08月10日 09時台/山小屋/唯、夏帆、なおみ、美樹
それぞれ作業を続けていると、女性陣がいつの間にか山小屋の隅へ集まっていた。
唯。
夏帆。
なおみ。
美樹。
四人で何やら小声で話している。
『ほんまにあるん?』
『地図には載ってるよ』
『じゃあ行こ行こ』
『ちょっと待って、男の人たちには……』
声を潜めながら顔を寄せ合う。
健一は罠の材料を手にしたまま、不思議そうにそちらを見た。
《何してるんだ?》
やがて四人はそれぞれ荷物をまとめ始めた。
着替え。
洗濯物。
石鹸。
タオル。
どう見ても、山の探索へ行く準備とは少し違う。
なおみがジムニーのところへ向かう。
夏帆も続いた。
『健一、少しジムニーを借りるわね』
『いいけど……どこ行くんだ?』
四人の動きが一瞬止まった。
顔を見合わせる。
『…………』
健一が首を傾げる。
『何?』
『別に』
夏帆が答えた。
『ちょっと出掛けてくるだけ』
『だから、どこに?』
なおみが助手席のドアを開ける。
『細かいこと気にしたらあかんで』
『いや、車貸すんだから場所くらい――』
『ほな、借りるでー』
『おい』
美樹も何となく楽しそうに後部座席へ乗り込む。
唯だけが少し申し訳なさそうに健一を見た。
『お兄ちゃん……行ってきます』
『唯まで何なんだよ』
『……秘密』
そう言って、唯も車へ乗る。
ドアが閉まった。
エンジンがかかる。
達也が山小屋の前からその様子を見ていた。
『なんか怪しくね?』
『だよな』
権蔵は気にする様子もなく、罠の材料を整理している。
ジムニーが山道を走り出した。
男たちは事情が分からないまま、その後ろ姿を見送った。
◇08月10日 10時台/川沿いの天然温泉/唯、夏帆、なおみ、美樹
『あった!』
なおみの声が車内に響いた。
川沿いの道。
少し先に、地図に記されていた場所が見える。
『こっちやで。ここや! 地図に書いてあったんやで。天然温泉!』
ジムニーを停め、四人は荷物を持って川へ向かった。
まずは溜まっていた衣類を洗う。
川の水へ浸し、石鹸を使って汚れを落としていく。
パンデミックが始まってから、まともに洗濯できる機会も限られていた。
洗った衣類を乾かせる場所へ広げる。
『これで乾くまで時間あるな』
四人は周囲に人影や感染者がいないことを確認し、なおみの刀と夏帆の剣ナタをすぐ手の届く場所へ置いた。
なおみが手を腰へ当てる。
その視線の先。
湯気の上がる天然温泉。
四人の表情が揃って緩んだ。
温かい湯へ身体を沈めた瞬間。
『はぁぁぁぁ……』
誰からともなく息が漏れた。
唯は肩まで浸かり、目を閉じた。
『気持ちいい……』
病院。
感染者。
山小屋。
逃げることと、生きることばかり考えていた日々。
身体を湯に浸しているだけなのに、全身から力が抜けていく。
夏帆も髪をまとめながら、気持ちよさそうに息を吐いた。
『久しぶりにちゃんとお風呂入った気がする』
『分かる』
美樹も頷く。
なおみは湯の中で大きく伸びをした。
『生き返るわぁ』
四人は知り合って、まだ二日ほどしか経っていない。
同じ山小屋で寝て。
同じ食卓を囲み。
一緒に動いてはいる。
それでも、ゆっくり話す機会はほとんどなかった。
唯は湯の中で何気なくなおみを見た。
そして視線が止まる。
腰の辺り。
薔薇と蝶のタトゥーが入っていた。
鮮やかな図柄。
気になって、つい何度も見てしまう。
なおみが気づいた。
『さっきから何見とるん?』
『えっ!?』
唯は慌てて目を逸らす。
『ご、ごめんなさい!』
『別に怒っとらんよ』
なおみが笑う。
唯は少し迷ってから、もう一度タトゥーを見る。
『その……綺麗だなって思って……。薔薇と、蝶ですよね?』
『せやで。若い頃に入れたんよ』
なおみは隠す様子もなかった。
『痛くなかったですか?』
『そら痛かったで』
『やっぱり……』
『旦那は最初はびっくりしとったけどな。そのうち何も言わんようになったわ』
唯がなおみを見る。
『結婚してたんですね』
『してたで』
なおみは変わらない調子で答えた。
『もう死んでもうたけどな』
あまりにも自然に言われ、唯は一瞬、意味を理解できなかった。
『……感染者に?』
『ちゃうちゃう。もっと前や』
なおみは湯を手ですくいながら言う。
『自殺やねん』
唯の表情が固まった。
夏帆と美樹も、黙ってなおみを見る。
なおみだけが、重苦しい雰囲気にしないようにするかのように、少し笑っていた。
『職場の人間関係でな。結構追い詰められとったみたいで』
『…………』
『うちにな、言うたことあったんよ。死にたいみたいなこと』
唯は何も言えない。
なおみの笑顔が、ほんの少しだけ弱くなる。
『でもうち、“何言ってんの? これから子供作って家建てて、まだまだやることあるやん?”って。そんなん言うて流してもうた』
『……子供……』
なおみは一度だけ視線を落とした。
自分の腹へ。
『一回おったんよ』
短い沈黙。
『生まれてこんかったけどな。流産してん』
唯は息を呑んだ。
タトゥーが綺麗だと思った。
ただそれだけで話しかけた。
そこから、なおみの一番辛い記憶まで聞いてしまった。
『……ご、ごめんなさい』
唯は俯いた。
『私、そんなこと知らなくて……。変なこと聞いちゃって……』
『ええのええの』
なおみはすぐに笑った。
『唯ちゃんが謝ることちゃうやろ。うちが勝手に喋ったんやから』
『でも……』
『それにな』
なおみは湯の向こうへ視線を向けた。
『別に忘れたいわけやないんよ』
唯が顔を上げる。
『流産してから思ったんや。命って、当たり前に生まれてくるもんちゃうんやなって』
なおみの声から笑いが少し消えた。
『せやから感染者殺す時も、なんも感じてへんわけちゃうで』
美樹も静かに聞いていた。
『でも今は、自分が生きるか、仲間が生きるかって時やろ?』
なおみは唯を見る。
『必要なら割り切らなあかんと思っとる』
唯は黙って頷いた。
なおみは再び、いつもの明るい表情へ戻る。
『せやから唯ちゃんも、何でもすぐ謝らんでええよ』
『……私、そんなに謝ってますか?』
『謝っとる謝っとる。さっきから何回謝ったと思っとんねん』
唯は困ったように笑った。
『……ごめんなさい』
『ほらまた言うた!』
『あっ……』
夏帆が吹き出した。
美樹も笑う。
唯も自分で気づいて、恥ずかしそうに笑った。
重くなりかけていた空気が、温泉の湯気の中で少しだけ和らいだ。




