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感染拡大の原点。

◇16:00


市立病院へ、救急車が滑り込んだ。

歩いていた男性を避けるように救急車が大きく進路を変える。

その直後、後続の緊急車両も救急車に続いて搬入口へ停車した。

タイヤが濡れたアスファルトを軋ませ、慌ただしく後部ドアが開く。


『重傷者二名! 軽傷者六名!』


救急隊員の声が響く。


『交通事故です! 全員外国籍と思われます!』


看護師の瑠川泉はストレッチャーへ駆け寄った。

額から大量の血を流した男性が苦しそうに呼吸を繰り返している。


『止血します!』


泉は迷うことなくガーゼを押し当てた。

その瞬間、違和感を覚える。


――熱い。


異常なほど体温が高い。

ガーゼ越しでも分かるほどの熱だった。

患者は荒い呼吸を繰り返し、白目が赤く充血している。


『……この症状って』


泉の脳裏に、毎日のように報道されていた海外ニュースが浮かんだ。


FMウイルス。


高熱。


充血。


激しい咳。


『まさか……』


軽傷だった六人も車から降ろされる。

全員が同じように咳をしていた。


『ゴホッ……ゴホッ……』


泉は恐る恐る話しかける。


『どこが痛みますか? 名前は分かりますか?』


返ってきたのは聞き取れない言葉だった。


『#%Ж△@! ※◇$&@%――ッ!!』


誰も意味が分からない。

付き添っていた救急隊員も困ったように首を振る。


『言葉が全く通じません』


その様子を見ていた周囲の患者たちがざわつき始めた。


『外国人じゃないか?』


『ニュースでやってた病気じゃ……』


『密入国者か?』


誰かが不安そうにつぶやく。

別の男が患者たちを指差した。


『あいつら、目がおかしいぞ』


ざわめきは一気に広がっていく。

そして。


『FMウイルスの感染者だぁーーーー!!』


一人の叫びが病院中へ響いた。

その瞬間だった。


『逃げろ!!』


『外へ!!』


待合室にいた人々が一斉に出口へ殺到する。


悲鳴。


怒号。


子供の泣き声。


押し合いへし合いになった人々は出口で折り重なった。

だが病院の正面には、救助のための車両が何台も横付けされている。


出口は塞がれていた。


『どけよ!!』


『押すな!!』


『子供がいるのよ!!』


誰かが転ぶ。

さらに人が倒れ込む。

怒鳴り声が殴り合いへ変わるまで、時間はかからなかった。

泉は呆然と立ち尽くす。


『どうして……』


さっきまで命を助けようとしていた人たちが、今度は互いに傷つけ合っている。

その時だった。


『隔離しろ!!』


医師Aが大声を上げた。


『あの八人をすぐ別室へ移すんだ!!』


医師や看護師たちが動き始める。


しかし。

誰も気づいていなかった。

重傷だった二人の指先が、ゆっくり動いたことに。

血だらけの男が上半身を起こす。


『……ァ』


医師Aが近づく。


『大丈夫ですか?』


男はゆっくり顔を上げた。

真っ赤な瞳。

次の瞬間。


ガブッ!!


『あああああっ!!』


医師Aの首筋へ噛みついた。

鮮血が飛び散る。

病院中が凍りついた。


『きゃああああ!!』


『人を噛んだ!!』


『逃げろ!!』


残る六人も、まるで血の臭いへ引き寄せられるように動き出す。

さっきまで苦しそうだった表情は消え失せていた。

一人が女性へ飛びかかった。


もう一人が倒れていた男性へ噛みつく。

病院は、一瞬で地獄へ変わった。


泉は凍りついたまま動けない。

目の前で人が人を食べている。

現実とは思えなかった。


『逃げて!!』


誰かの叫びで我に返る。

泉は走った。

しかし背後から腕を掴まれる。


『っ!!』


振り向くと、感染者がいた。

牙のように開いた口が、泉の腕へ食らいつく。


『あぁっ!!』


間一髪で腕を引き、感染者を突き飛ばす。


ビリッ――。


白衣の袖が鋭い歯に引き裂かれた。

泉は転ぶように廊下へ飛び出す。

心臓が激しく脈打つ。

もう一階は自分一人で、どうにかできる状況ではなかった。


――逃げなきゃ。


そう思い、職員用の出入り口へ向かって必死に走る。


その時だった。

山中さんの笑顔が脳裏をよぎる。

幼い頃から家族ぐるみの付き合いがあった。


山中さんの父親は猟師で、仕留めた鹿や猪の肉を分けてもらい、一緒に食卓を囲んだこともある。

幼い頃、一緒に山を歩いた日のことを思い出す。

頭を優しく撫でながら笑ってくれた。


『泉ちゃん、大きくなったな』


『泉ちゃんは優しい子だから、きっと立派な看護師さんになる』


その笑顔が浮かぶ。

泉はぎゅっと拳を握り締めた。


『私が……今できることをしなきゃ!』


泉は踵を返し、階段を駆け上がる。

四階。

そこには山中さんが入院している病室がある。

病室の扉を一つずつ開けながら叫んだ。


『扉を閉めてください!!』


『助けが来るまで絶対に外へ出ないでください!!』


患者たちは戸惑いながらも扉を閉めていく。

泉は安堵した。


だが。

彼女は気づいていなかった。

口と手を真っ赤にした感染者がのろのろと彼女の声を頼りに階段を上ってきていたことを。


『ハァ……ハァ……』


背後から足音が聞こえる。


ヒタ……


ヒタ……


泉は振り返った。


『!!』


感染者がすぐそこまで来ていた。

泉は反射的に近くの防火扉を閉める。


ガァン!!


重い扉が閉まり、感染者は向こう側へ取り残された。


『はぁ……』


助かった。

そう思った。

しかし次の瞬間。


泉の顔から血の気が引く。


『……あ』


防火扉の向こう側。

そこには。

さっき自分が避難を呼びかけた患者たちの病室が並んでいた。


『そんな……』


感染者が病室の方へ歩いていく。


『やめて……』


バンッ!!


病室の扉が叩かれる。

患者の悲鳴。


『いやあああ!!』


『来ないで!!』


泉は扉へ駆け寄った。

だが、防火扉を開ければ感染者がこちらへ来る。

閉めたままなら患者たちは助からない。


『ごめんなさい……』


涙があふれる。


『ごめんなさい……』


泉は近くの病室へ逃げ込んだ。

鍵をかける。

壁にもたれ、その場へ崩れ落ちた。


地震、救急対応。、そして目の前で起きた地獄。


限界だった。


廊下では感染者が扉を叩く音が、いつまでも鳴り続けていた。


バンッ。バンッ。バンッ――。


◇午後四時。【歩いていた男性を避けるように救急車が大きく進路を変える。】この男性がオムニバスに出てくる正義マンです。


山中さんとその父親→そのうちまた名前だけ出てきます。

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