第6話⑥託された嵯峨
◇08月09日 20時台/山小屋/健一、唯、夏帆、権蔵、達也、なおみ、美樹
山小屋の中央に、大きな鍋が置かれていた。
蓋の隙間から白い湯気が立ち上り、出汁の香りが室内いっぱいに広がっている。
権蔵が蓋を開けた。
ぐつぐつと煮立つ汁の中に、野菜と一緒にキジ肉が浮かんでいる。
美樹は鍋を見つめた。
数時間前。
自分が空気銃で撃ったキジだった。
羽をむしった。
産毛を焼いた。
権蔵が解体するところを見た。
肉へ変わっていく過程も、全部見ていた。
達也が隣から鍋を覗き込む。
『美樹凄いじゃん! 一日で獲物を仕留めるなんて、さすが!』
美樹は少し胸を張った。
『でしょ? もっと褒めてもいいよ』
『調子乗るの早っ』
『えー。いいじゃん、初日だよ?』
達也が呆れた顔をする。
そのやり取りを見ながら、健一が笑った。
権蔵は鍋を混ぜながら言う。
『撃っただけで終わりなら楽なんじゃがな』
美樹の表情が少し変わる。
『でも……撃った後の方が大変だった』
達也が見る。
『そうなの?』
『うん。腸抜いて、羽むしって、産毛焼いて……そこから解体』
指折り数えながら言った美樹は、最後に大きく息を吐く。
『撃ったら終わりだと思ってた』
権蔵が鼻で笑った。
『獲物を持って帰れば勝手に鍋になるわけじゃないからの』
『今日それ、すごく分かった』
『今度は最初から最後まで一人でやってもらうぞ』
美樹の顔が固まる。
『……もうちょっと権蔵さんと一緒がいいかな』
『急に弱気になったな』
達也が笑う。
『うるさい』
権蔵が鍋を確認する。
『そろそろええじゃろ』
全員の器へ鍋が取り分けられた。
七人で食卓を囲む。
美樹は箸を持ったまま、自分の器を見つめていた。
汁の中に、一切れのキジ肉がある。
箸でつまむ。
持ち上げる。
『……これ、私が撃ったやつなんだよね』
さっきまでの得意げな表情はなかった。
誰も急かさない。
美樹はしばらくキジ肉を見つめたあと、意を決して口へ運んだ。
噛む。
『…………』
もう一度噛む。
『……ん!』
顔が明るくなった。
達也が身を乗り出す。
『どう?』
『美味しい! 鶏肉より歯ごたえある!』
権蔵が自分の器から肉を取りながら言う。
『野生のキジじゃからな。鶏みたいに柔らかくはないが、噛めば味が出るじゃろ』
美樹はさらに噛む。
『うん。なんか味が濃い』
達也も一切れ口へ入れる。
『あー、確かに。鶏肉とは全然違うな』
なおみが汁を飲む。
『ええ出汁も出とるな』
『骨も使っとるからの』
権蔵が答える。
唯も自分の器を見つめ、それから美樹へ顔を向けた。
『美樹さんが捕まえてくれたんだよね?』
『うん』
美樹は少し照れくさそうに笑う。
『……まあ、ほとんど権蔵さんに教えてもらったんだけどね』
『撃ったのは美樹じゃ』
権蔵が言った。
『今日は美樹のおかげで肉が食えたんじゃぞ』
美樹は一瞬黙った。
それから、少し嬉しそうに自分の器を見る。
『……さっきはちょっと可哀想って思ったけど』
箸でキジ肉を持ち上げる。
草むらの中で、自分を見ていたキジの目が頭に浮かんだ。
二発目を撃つ前。
『ごめんね』と口にした。
その命が今、自分たちの食卓にある。
『ちゃんと食べるって、こういうことなんだね』
権蔵が静かに頷く。
『そうじゃな』
美樹はキジ肉をもう一度、口へ運んだ。
ゆっくり噛む。
『……美味しい』
権蔵も何も言わず、鍋へ箸を伸ばした。
温かい湯気の中、七人はキジ鍋を囲み続けた。
◇08月09日 20時台/山小屋/健一、唯、夏帆、権蔵、達也、なおみ、美樹
『ワンッ! ワンッ!』
突然、外から犬の鳴き声が聞こえた。
全員の動きが止まる。
『……犬?』
もう一度。
『ワンッ! ワンッ!』
確かに犬だった。
権蔵がすぐに立ち上がる。
『この声……』
『知ってるんですか?』
健一も立ち上がった。
権蔵は答えず、山小屋の扉へ向かう。
他の皆も後に続いた。
扉を開ける。
暗い外。
山小屋の明かりが地面を照らす。
そこに一匹の犬が立っていた。
黄金色の毛をした、まだ若いゴールデンレトリバーだった。
『ワンッ!』
権蔵が目を見開く。
『山中さんの嵯峨じゃないか?』
犬が権蔵へ近づいてくる。
『嵯峨……?』
唯もそっと近づいた。
首輪がついている。
その首輪には、折り畳まれた紙が巻きつけられていた。
権蔵の表情が変わる。
『手紙……』
しゃがみ込み、首輪から紙を外す。
嵯峨は大人しくしていた。
健一たちが権蔵の周囲へ集まる。
権蔵は折り畳まれた紙を開いた。
文字を目で追う。
『…………』
誰も声を出さなかった。
権蔵が低い声で読み始めた。
『山中じゃが、わしも感染してしもうた。もう長くない』
その一文で、空気が変わった。
権蔵の手がわずかに動く。
読み進める。
『前に話しておった特殊赤血球というやつなら、権蔵さんは感染せんのじゃろ?』
健一が黙って手紙を見る。
『わし愛用の空気銃と弾もある。必要な物があったら好きに使ってくれ。嵯峨をよろしく頼む』
権蔵の声が少し掠れた。
嵯峨は何も知らないように、権蔵の足元に座っている。
手紙には、まだ続きがあった。
権蔵は一度息を吸う。
そして読む。
『病院に検査入院していた息子の幸久はもう感染して助からないと思う』
権蔵の視線が止まった。
しばらくして、続きを口にする。
『もしどこかで見かけたら……楽にしてやってくれ……』
誰も言葉を挟めなかった。
夜の山に、虫の声が響いている。
嵯峨が権蔵を見上げた。
権蔵は手紙を持ったまま、その場に立ち尽くしていた。
目元から、一筋の涙が流れた。
健一が初めて見る権蔵の涙だった。
『……山中さん』
掠れた声が漏れる。
権蔵は手紙を丁寧に畳んだ。
『ちょっと山中さんの家を見てくる』
健一がすぐに反応した。
『権蔵さん――』
権蔵は静かに山の暗闇を見つめていた。




