第6話④二発目
◇08月09日 13時台/山小屋/権蔵、美樹
昼食を終えると、権蔵はもう一度、空気銃を美樹の前へ置いた。
『出る前に確認じゃ』
『はい』
美樹は朝に教わったことを思い出しながら、慎重に銃を手に取る。
銃口を人へ向けない。
撃つと決めるまで、引き金に指を掛けない。
安全装置を確認する。
朝は一つずつ権蔵に言われながらやっていた。
今度は自分で確認する。
権蔵は横から見ているだけだった。
『……安全装置、よし』
美樹が小さく呟く。
『銃口もよし』
『声に出すのは悪くない。慣れるまではな』
『ちょっと恥ずかしいけど』
『間違えて人を撃つよりましじゃろ』
『それはそうですね……』
権蔵はペレット弾の入った容器と必要な道具を持った。
『今度は、実際の獲物を狙ってみる』
美樹の表情が変わる。
『……鳥を?』
『そうじゃ』
『朝に的は撃ったじゃろ。いつまでも動かん物ばかり撃っとっても仕方ない』
美樹は手にした空気銃を見る。
朝とは違う緊張が湧いてきた。
今度は、本当に生きているものへ向ける。
権蔵はそんな美樹を急かさなかった。
『撃てそうになければ、今日は撃たんでもええ』
美樹は少し考えた。
そして首を横に振る。
『行きます』
『なら行くぞ』
二人は山小屋を出た。
◇08月09日 14時台/渓流沿い/権蔵、美樹
渓流沿いを、二人はゆっくり歩いていた。
水の流れる音。
木々の間を抜ける風。
時折聞こえる鳥の鳴き声。
街とはまるで別の世界だった。
美樹は空気銃を持ちながら、権蔵の後ろを歩く。
『鳥って、見つけたらすぐ撃つんですか?』
『そんな簡単にはいかん』
『ですよね』
『まず見つけるところからじゃ』
権蔵は歩きながら、木の枝や水辺へ視線を送っている。
美樹には何も見えない。
鳥の声は聞こえる。
だが、どこにいるのか分からない。
『権蔵さん、見えてるんですか?』
『今は見えとらん』
『あ、見えてないんだ』
『わしを何だと思っとる』
美樹が小さく笑う。
それでも権蔵は足を止めるたび、周囲を注意深く確認していた。
ただ歩いているように見えて、常に何かを探している。
美樹も真似して、枝の上や草むら、水辺へ順番に目を向けた。
朝に教わった距離も意識する。
あの木まで何m。
対岸まで何m。
《30……いや、もっとあるかな》
数字を考え始めると、今まで何となく見ていた景色が少し違って見えた。
◇08月09日 16時台/渓流沿い/権蔵、美樹
渓流へ近づいた時だった。
バサバサッ――!
突然、木々の間から鳥が飛び立った。
『わっ!』
美樹が反射的に空気銃を持ち上げかける。
だが、すぐに止めた。
銃口の先を確認する。
鳥はすでに遠ざかっていた。
権蔵はその様子を見て、小さく頷く。
『今のはシギじゃな』
『シギ?』
『英語で“snipe”と呼ぶんじゃ』
美樹が飛び去った鳥の方を見る。
『スナイプ……?』
『そうじゃ。もともとスナイパーという言葉は、あのシギが撃てるほどの熟練者という意味なんじゃ』
『へぇ……』
美樹はもう見えなくなった空を見つめた。
『そんなに難しいんですか?』
『難しい。飛び方が独特での。狙いをつけたと思ったら、すぐ向きを変える』
『じゃあ――』
美樹は少し笑う。
『いつか私があれを撃てたら、スナイパーって名乗ってもいい?』
権蔵が鼻で笑った。
『飛んでるシギを空気銃でか?それは無理な話じゃよ』
『厳しいなぁ』
少し歩いてから、美樹がまた口を開く。
『ところでシギって食べられるの?』
『もちろんじゃ。シギの仲間でもヤマシギなんかは、フランスじゃ狩猟で獲る鳥の中でも特に美味いと珍重されとる。食卓の女王とも呼ばれるくらいじゃな』
『食卓の女王』
美樹の目が少し輝いた。
『そんなに美味しいの?』
『わしも数えるほどしか食べたことはないが、非常にうまかったぞ』
『どんな味?』
『肉は柔らかいが、鶏肉とは全然違う。野鳥らしい濃い旨味と独特の香りがあってな。小さい鳥じゃが、味は濃い』
美樹は飛び去った方向をもう一度見る。
『へぇー……じゃあ余計に撃ってみたくなった!』
権蔵が呆れたように美樹を見る。
『食い意地でスナイパーを目指す奴は初めて見たわい』
『目的は何でもいいでしょ』
美樹は笑いながら権蔵の後を追った。
◇08月09日 17時台/使われなくなった田んぼ/権蔵、美樹
しばらく歩くと、視界が開けた。
使われなくなった田んぼが広がっている。
草が伸び、ところどころ土が見えていた。
権蔵が突然、片手を上げる。
美樹は足を止めた。
『……おる』
声が小さい。
美樹も権蔵の視線を追う。
最初は分からなかった。
だが、田んぼの中。
草の間を歩く一羽の鳥が見えた。
『あれ?』
『キジじゃ』
美樹の心臓が速くなる。
権蔵が囁く。
『距離を見ろ』
美樹はキジを見る。
朝から何度も距離を予想してきた。
周囲の物と比べる。
《これくらいなら……》
空気銃を構える。
スコープを覗く。
視界が狭くなる。
さっきまで小さく見えていたキジが、大きく映った。
呼吸が急に気になる。
銃が微かに揺れる。
『焦るな』
権蔵の声。
美樹は一度息を吐いた。
もう一度狙う。
キジが少し動いた。
照準を合わせ直す。
《今――》
指を引き金へ移す。
パンッ!
乾いた音。
キジの周囲に羽が舞った。
『当たった!』
美樹が声を上げる。
だがキジは倒れなかった。
バサバサと激しく羽ばたく。
飛ぼうとする。
しかし片方の羽がうまく動かない。
地面を走り始めた。
『えっ!?』
キジはそのまま草むらへ逃げ込んだ。
美樹は空気銃を下ろす。
『外した?』
『いや。羽の付け根辺りに当たったんじゃろ』
権蔵はキジが消えた草むらを見る。
『キジは飛ぶより走る方が得意な鳥じゃ。半矢になると、すぐ走って草むらへ逃げる習性がある』
『半矢……』
『仕留めきれてないということじゃ』
美樹の顔から、当てた喜びが消えた。
美樹は新しいペレットを装填し、もう一度六回ポンプする。
それから二人は、血痕を追って草むらへ向かった。
草の根元。
小さな赤い跡があった。
『血……』
血痕の続く先を見る。
5mほど離れた草の中に、キジがいた。
もう逃げなかった。
身体を低くし、こちらをじっと見ている。
美樹の足が止まる。
さっきスコープ越しに見た時とは違う。
近い。
生きていることが分かる。
呼吸している。
目もこちらを見ている。
『…………』
権蔵は何も言わなかった。
美樹が構える。
キジは動かなかった。
美樹はスコープを覗く。
『……ごめんね』
パンッ――。
キジの身体が倒れた。
今度は、もう動かなかった。
美樹はしばらく空気銃を構えたまま立っていた。
やがてゆっくり銃口を下げる。
初めて自分の手で殺した獲物を前にしても、嬉しいとも悲しいとも、すぐには言葉にできなかった。
ただ黙って、動かなくなったキジを見つめていた。




