第6話③斧が好き
◇08月09日 09時台/神社周辺の山道/健一、唯、夏帆
神社で集合場所を確認すると、五人は再び二組に分かれて周辺の探索を始めた。
山道を歩きながら、健一は分岐する道を地図へ書き込んでいく。
『ここを下れば川に出るな』
夏帆が道脇の斜面を指した。
『もし感染者に追われた時、この斜面は使える?』
『降りるだけならいけそうだけど……雨の後は危ないかも』
健一は斜面の角度を確かめた。
土が濡れれば滑りやすい。
逃げ道になる場所と、逆に追い詰められる場所。
ただ歩くだけではなく、何か起きた時にどう動くかを考えながら地形を見ていく。
唯も周囲を見ながら歩いていた。
山小屋へ戻る方向。
さっき確認した神社。
川の位置。
自分でも覚えようと、何度も振り返る。
だが――。
『はぁ……はぁ……』
少しずつ呼吸が荒くなっていた。
歩く速度も落ちていく。
前を歩いていた健一がすぐに気づいた。
振り返る。
唯との距離が少し開いていた。
『唯、大丈夫か?』
『うん』
そう答えたものの、息が切れている。
健一は足を止めた。
『少し休もう』
『え? 大丈夫だよ』
唯は笑ってみせた。
『これくらい平気』
そのまま歩こうとする。
だが健一は動かなかった。
『無理しなくていいって』
『無理してないよ』
『息切れてるだろ』
『ちょっとだけだから』
唯は皆を見る。
自分のせいで探索を止めたくなかった。
昨日も身体が重くて、夏帆と山小屋に残った。
今日こそは皆と一緒に動きたかった。
『まだ歩けるよ』
『今日は周りの道を覚えるだけだろ。急ぐ必要ないんだから休もう』
健一の声に責めるような響きはない。
純粋に心配しているだけだ。
それが分かるからこそ、唯は何も言えなくなる。
自分を気にしてくれている。
それでも――。
また自分だけが守られているような気がした。
唯の表情がわずかに曇る。
その時、夏帆が腰へ手を当てた。
『あー、私もちょうど休みたかった』
健一が見る。
『夏帆も?』
『うん。朝から結構歩いたし』
夏帆は近くの岩へ腰を下ろした。
『三人で休憩しようよ』
唯が夏帆を見る。
夏帆は何でもないことのように笑った。
『唯ちゃんだけ休むわけじゃないから。ね?』
『……はい』
唯もようやく腰を下ろした。
健一は地図を広げる。
『ちょうどいいから、今いる場所も確認しよう』
達也となおみは別方向を探索している。
無線はつながっている。
健一は現在地へ指を置いた。
『山小屋がここ』
唯が地図を見る。
『神社がこっち?』
『そう。今いるのは、その間より少し北側』
唯は周囲へ視線を移した。
地図だけではなく、実際の景色と重ねる。
『じゃあ、あっちに進めば神社?』
『大体そうだな』
『山小屋は……』
唯は少し考え、反対方向を指した。
『こっち?』
『正解』
唯の表情が少し明るくなった。
休んでいる間も、ただ待っているだけではない。
自分で帰り道を覚える。
それなら今の自分にもできる。
唯は木の形や斜面、道の分岐を順番に目で追った。
《ここを覚えておこう》
もし一人になってしまっても。
無線が使えなくなっても。
少しでも自分で動けるように。
夏帆はそんな唯を見て、何も言わず微笑んだ。
しばらく休憩したあと、三人は再び探索を始めた。
唯の歩調に合わせ、今度は少しゆっくり進む。
その途中。
夏帆がふと健一の手元を見た。
薪割り斧。
街へ行く時も。
山を歩く時も。
感染者と戦う時も。
健一はいつも同じ斧を持っている。
夏帆は無線へ向かって言った。
『健一っていつも斧持ってるわね。好きなの?』
少し離れた場所を歩いていた達也となおみにも、その声が届いた。
健一は待ってましたと言わんばかりに斧を見る。
『斧は良いぞ』
『斧は石器時代から使われててな。初めはみんなの良く知る通り、石だったんだ』
『青銅製の斧が出現し、さらに鉄製の斧が出てくると木を切る速度が格段に速くなった』
『人間にとって斧とは長い付き合いがあってだな』
唯が小さく息を吐く。
『お兄ちゃん……?』
『長い歴史があるからこそ、人の手によくなじむように計算つくされたフォルムをしている』
『あと斧のヘッドの下にパラコードを巻くことがあるんだ』
夏帆が何となく聞いてしまう。
『なんで?』
『狙いを外して柄を木にぶつけた時、柄に直接衝撃が加わって傷むのを防ぐためだな。だが俺は巻かない』
『血が染み込むと雑菌が繁殖してしまうだろ? でも普通に使うなら巻いた方がいいぞ』
唯が兄を睨む。
『ねぇ、お兄ちゃん!』
健一はまだ止まらない。
『斧は重いと思う人も多いと思うが、実はそうじゃないんだ』
『斧は2kgから3kg、重量級と言われてる物が5kgくらい。実は軽そうに見えるバールでも2kgから3kgで同じ重さなんだよ。軽量化バールもあるが、やはり戦うという意味では斧の方が取り回しが良い』
達也の声が無線から飛んでくる。
『俺のバールまで巻き込むなよ』
『いや、比較として分かりやすいだろ』
『健一……』
夏帆は少し呆れ始めていた。
それでも健一は目を輝かせる。
『それに、イソップ寓話の「金の斧、銀の斧」では――』
『ねぇ!! お兄ちゃんってばっ!!!!!!』
唯の声が山道に響いた。
健一がようやく口を閉じた。
『……何?』
唯はじっと兄を見る。
『聞いたのは、好きなの? だけだよ』
数秒の沈黙。
無線から達也の笑い声が爆発した。
『斧に対する愛が溢れすぎだろ!』
『……すまんすまん』
健一が頭を掻く。
なおみの声も続いた。
『健一、意外とおもろいとこあるやん』
『いや、真面目に説明してただけなんですけど』
『それが余計おもろいねん』
夏帆も笑い始める。
唯は呆れた顔をしていたが、やがて我慢できずに笑った。
『もう……お兄ちゃん、本当に斧好きなんだね』
健一は手元の斧を見る。
少し考えてから。
『……まあ、好きだな』
また無線の向こうから笑い声が聞こえた。
静かな山の中に、五人の声がしばらく響いていた。
昼前には探索を切り上げ、五人は山小屋へ戻った。
■唯のサバイバルメモ
・今日のテーマ:パラコード
皆さんこんにちは。唯です!
今回のお題は『パラコード』についてです。
お兄ちゃんが話していた、斧の柄に巻くことがある紐ですね。
斧のヘッドの下あたりに巻いて、狙いを外して柄を木にぶつけてしまった時に、柄へ直接衝撃が加わって傷むのを防ぐために使います。
でもお兄ちゃんは、血が染み込むと雑菌が繁殖するからって、自分の斧には巻いてません。
『パラコード』は『パラシュートコード』の略です。
もともとはパラシュートに使われていた、とても丈夫な紐なんですね。
よく知られている『550パラコード』は、規格上550ポンド、約250キロの最低破断強度があります。
外側の編み紐の中に、さらに何本もの芯が入っている構造になっています。
しかも緊急時には、ほどいて荷物を縛ったり、道具を固定したり、簡単な補修に使ったりできます。
ただし、丈夫だからといって人の命を預ける登山用ロープの代わりにはできないので注意です。
今日はいっぱい歩いて疲れちゃったのでここまで。
またね。




