第5話②まだ、喋っていた
◇08月08日 13時台/マンション屋上/健一、権蔵、達也、なおみ、美樹
ドローンが街の上空を飛んでいた。
達也は貯水タンクの日陰に座り、手元のモニターを見つめている。
健一たちも周囲へ集まっていた。
画面に映るのは、放置された車。
事故車。
道路を歩く感染者。
達也は高度を調整しながら、使えそうな車を探していく。
『この辺は駄目だな……』
画面の中を、一体の感染者が横切った。
歩いている。
だが少し離れたところにいた別の感染者は違った。
何かに反応した瞬間、数メートルほど一気に駆ける。
健一が眉を寄せた。
『……また速い奴だ』
なおみもモニターを覗き込む。
『昨日もおったけど、結構増えとらへん?』
『俺もそう思ってた』
健一は病院を思い出した。
最初に遭遇した感染者たちは、もっと動きが鈍かった。
もちろん短い距離なら速く動くことがあるとは夏帆から聞いていた。
だが今、街を歩いている感染者の中には、それより明らかに動きのいい個体が混じっている。
『海外の情報だと、もっと時間がかかるはずだったよな』
『山小屋にいる看護師の仲間も、今回のウイルスは症状の進行が早いかもしれないって言ってたな』
権蔵は街を見下ろした。
『なら、これからもっと厄介になるかもしれんな』
誰も答えなかった。
今ですら、感染者との接近戦は危険だった。
それがさらに速くなれば、今までと同じ戦い方が通用するとは限らない。
達也は使えそうな車の位置を確認すると、ドローンを屋上へ戻した。
『使えそうな車、何台かある』
『動くかどうかは行ってみないと分からんか』
『そういうこと』
ひとまず休憩することになった。
達也が屋上倉庫から持ち出していた保存食を配る。
五人は貯水タンクの日陰の中で、簡単な食事を始めた。
健一は短波放送にも対応している防災ラジオを取り出した。
そして電源を入れた。
ザーッ……。
雑音。
周波数を変える。
ザー……ザザッ……。
通常の放送らしい声はほとんど入らない。
達也が保存食を食べながら言った。
『地震で放送局もやられてんのかな』
『それもあるかもしれないですね』
健一がダイヤルを回す。
雑音。
雑音。
一瞬だけ何かの音声が混じった。
健一の手が止まる。
『……今、何か聞こえた』
全員がラジオを見る。
健一は慎重に周波数を合わせた。
ザザザッ――。
『……こちら、護衛艦……いず……』
かすかな男の声。
『護衛艦?』
権蔵も耳を澄ませた。
再び雑音が強くなる。
『……受信した者は……指定周波数で……応答願う……』
そこで音声が途切れた。
ザーッ……。
何度調整しても、同じ声は戻ってこない。
なおみが首を傾げる。
『なんやったん、今の』
『分からない』
健一はラジオを見つめた。
普通のラジオ番組ではなかった。
誰かに向けて通信しているような内容だったが、断片的すぎて意味までは分からない。
達也が言う。
『護衛艦って言ってたよな?』
『たぶん』
『せやけど、普通の防災ラジオでこんなん聞こえるもんなん?』
『分かりません。一般向けに流してるのかもしれないし……』
権蔵がラジオを見る。
『本物かどうかも分からん。今は聞こえたことだけ覚えとけばええ』
健一はしばらく周波数を探した。
何も入らない。
やがてラジオを下ろす。
『とにかく……今はどうしようもないですね』
健一は防災ラジオをバッグへ戻した。
休憩を終える頃には、屋上の暑さがさらに厳しくなっていた。
日陰にいても汗が止まらない。
達也が空を見上げる。
『ここ、長居する場所じゃねえな』
『同感やわ……』
なおみが額の汗を拭う。
健一も立ち上がった。
『さっき見つけた車を取りに行きましょう』
権蔵は朝からの戦闘と徒歩移動に加え、この暑さでかなり消耗していた。
美樹も救出されてからほとんど休めておらず、立ち上がるとわずかにふらついた。
『わしは美樹ちゃんとここに残る。少し休ませてもらうわい』
全員で行く必要はなかった。
達也がドローンで周囲を確認したところ、目的の車までの道に感染者はいない。
権蔵と美樹を休ませ、健一、達也、なおみの三人で車を確保しに向かうことになった。
◇08月08日 13時台/マンションの駐車場/健一、なおみ、達也
三人はマンションを出て、ドローンで見つけた車へ向かった。
権蔵と美樹はマンションに残っている。
街は不気味なほど静かだった。
遠くに感染者の姿はあるが、今のところこちらには気づいていない。
なおみが刀を手に、周囲を警戒する。
『どの車なん?』
達也が前を指した。
『あれ』
古い八人乗りの工事用バンが停まっていた。
外装は汚れているが、大きく壊れているようには見えない。
健一が車内を確認する。
『使えそうですね』
『エンジンかかればな』
達也は工具を取り出し、運転席側へ回った。
『開けるぞ』
なおみが周囲を見る。
『うちらは見張っとけばええんやな』
『頼む』
達也が作業を始める。
健一も薪割り斧を持ち、道路や駐車車両、建物の入口へ視線を巡らせた。
その時。
一台の車の陰から、男が出てきた。
『……』
男は普通に立っている。
服も大きく乱れていない。
歩き方も、これまで見てきた感染者とは違った。
だが。
目が赤い。
充血している。
男も健一に気づいた。
『……おい』
言葉。
健一の動きが止まる。
男がバンを見る。
『その車、あんたらのか?』
『……違います』
会話が成立している。
健一は斧を下ろさないまま答えた。
『放置されてたから、使えるか確認してるだけです』
『ふうん……』
男は健一を見る。
その視線が斧へ移る。
そしてまた健一の顔へ戻った。
『なんだよ』
『え?』
『さっきから、なんだよその目』
健一は男との距離を保った。
目の充血。
感染している可能性は高い。
だが目の前の男は喋っている。
意味のある言葉を使っている。
今まで斧で倒してきた感染者とは、明らかに違った。
『俺たちはすぐここを離れます』
刺激しないよう、健一は静かに言った。
『だから、あなたも――』
『俺を感染者扱いしてんのか!?』
突然、男が声を荒らげた。
健一が一歩下がる。
『落ち着いてください。俺は何も――』
『嘘つけ!』
男が詰め寄ってくる。
『さっきから何だよ、その目!』
『来ないでください』
『なんでだよ!』
『来るな!』
健一は警告した。
男は止まらない。
表情が激しく歪んでいた。
怒りだけが異様に膨れ上がっている。
『俺は感染者じゃねえ!』
『分かったから、そこで止まってください!』
『うるせえ!』
男が突然、拳を振った。
『っ!』
健一は咄嗟に身体を逸らした。
拳が顔の横を抜ける。
『何するんだ!』
男を突き飛ばす。
男が地面へ倒れた。
『健一!?』
離れた場所にいたなおみが振り向く。
倒れた男はすぐに起き上がった。
『ふざけんなぁ!』
叫びながら再び向かってくる。
『来るな!』
健一は後退する。
『止まれ!』
止まらない。
男が健一へ掴みかかった。
腕を振りほどこうとする。
顔が近い。
充血した目。
荒い息。
『離せ!』
男はさらに力を込めた。
健一の手には薪割り斧があった。
考えるより先に。
身体が動いた。
斧を振った。
鈍い音。
男の身体が止まった。
そのまま地面へ倒れる。
『…………』
健一は斧を握ったまま動けなかった。
男も動かない。
つい数秒前まで。
喋っていた。
怒鳴っていた。
自分に向かって言葉を投げていた。
『……俺……』
手が震える。
なおみが駆け寄ってきた。
『健一』
『……俺……人を……』
なおみも倒れた男を見た。
目は赤く充血している。
感染していた。
それは間違いない。
だが――。
『……まだ、喋ってたんだぞ……』
健一の声が震えた。
なおみは、すぐには何も言えなかった。
どこからが感染者なのか。
どこまでなら人間なのか。
目の前の男は、その境界を何も教えてくれなかった。
足音が近づく。
達也だった。
『何が――』
倒れている男。
血の付いた薪割り斧。
そして震えている健一。
達也は、それだけで何が起きたのか察した。
少しの沈黙のあと。
『……戻ろうぜ』
健一は返事をしなかった。
ただ、動かなくなった男を見つめ続けた。
やがて、なおみと達也に続いてゆっくりとバンの方へ戻っていった。




