第5話①逃げ込んだ屋上
◇08月08日 11時台/マンション付近の道路/健一、権蔵、達也、なおみ、美樹
『行くぞ!』
権蔵の声に、五人は軽トラックを離れた。
持ち出せたのは最低限だけだった。
食料。
防災ラジオ。
必要な物を詰め込んだバッグ。
健一は薬の入ったバッグを肩へ掛け、薪割り斧を握って走る。
背後から感染者の呻き声が近づいていた。
振り返る。
何体もの感染者が、動かなくなった軽トラックの周囲へ集まり始めている。
『くそ……せっかく集めた物資が……!』
健一が吐き捨てる。
『今は諦めろ!』
権蔵が叫んだ。
分かっている。
命まで置いていくわけにはいかない。
健一は前方を見る。
商店街を抜けた先に、六階建てのマンションがあった。
『あそこに避難しよう!』
健一が指さす。
『上からなら周りも見える!』
なおみが息を切らしながら答える。
『もうどこでもええ! はよ行こ!』
五人はマンションへ向かって走った。
幸い、この一帯にいる感染者はそれほど多くない。
だが皆、すでに疲れていた。
商店街での戦闘。
美樹の救出。
軽トラックでの逃走。
そして今度は徒歩。
一体の感染者が路地から姿を現した。
健一たちを見ると、ふらつきながら進路を変える。
『前、一体!』
『止まるな! わしがやる!』
権蔵が先頭へ出た。
伸びてきた腕の外へ身体をずらし、そのまま首筋へ剣ナタを入れる。
感染者が崩れた脇を、五人は止まらず駆け抜けた。
マンションの入口が近づく。
入口の手前には、さらに二体。
『もう勘弁してほしいわ!』
なおみが一体を引きつける間に、健一はもう一体へ踏み込んだ。
頭部へ入れた斧は浅く、感染者は倒れない。
なお迫ってくる身体を蹴り返して間を作り、体勢が崩れたところへ二撃目を入れる。
今度は深く食い込み、感染者が倒れた。
『健一!』
『大丈夫です!』
斧を抜く。
なおみ側では権蔵が援護に入り、もう一体も倒していた。
『入るぞ!』
五人はマンション内へ駆け込んだ。
エントランスは薄暗かった。
電気は落ちている。
床には地震で落ちた天井材や郵便物が散乱していた。
健一は息を整えながら周囲を見る。
達也は少し考えて話す。
『屋上まで行けばドローンで周辺の偵察がやりやすいな』
なおみが奥を見る。
『階段は使えそうやな』
『屋上の点検口は鍵がかかってるはずです。管理室に共用部の鍵があるかもしれない』
健一は管理室の横へ向かった。
壁際に共用部の水道メーターのボックスが見えた。
マンション管理の仕事をしていた健一には、見覚えのある造りだった。
扉を開け中を確認する。
『……あった』
小さなキーボックスが水道メーターの奥の方に見えた。
健一が蓋へ手をかける。
当然、開かない。
『達也さん、バール貸してください』
『これ?』
『はい』
受け取ったバールを隙間へ差し込む。
力をかける。
金属が軋んだ。
『んっ……!』
ガキッ。
キーボックスがこじ開けられる。
中に鍵が一本入っていた。
健一はそれを持ち、管理室の扉へ差し込む。
──カチャッ
開いた。
狭い管理室へ入ると、棚や机が置かれ、壁にはマンション内の鍵をまとめたキーボックスがあった。
キーボックスの前まで歩き、開いて中を確認する。
中には様々な鍵が並んでいる。
貯水槽の鍵、電気ボックスの鍵、共用部ゴミ捨て場の鍵などが並んでいた。
そして――。
《屋上点検口》と書かれた鍵を見つける。
健一がその鍵を抜き取った。
近くには脚立も置かれていた。
『これも持っていきましょう』
健一が脚立を担ぐ。
『急ぐぞ。すぐに集まってくるかもしれん』
五人は非常階段を上り始めた。
一階。
二階。
三階。
誰も口を利かない。
話す余裕がなかった。
六階へ着く頃には、健一の脚は再び重くなっていた。
最上階の廊下。
天井に屋上点検口が見える。
権蔵が脚立を立てた。
健一が上り、鍵を差し込む。
カチリッ。
点検口の蓋を押し上げる。
眩しい光が差し込んだ。
『開きました』
一人ずつ屋上へ上がっていく。
最後に健一が脚立を引き上げ、点検口を閉めた。
◇08月08日 12時台/マンション屋上/健一、権蔵、達也、なおみ、美樹
『あっつ……』
屋上へ出た途端、達也が顔をしかめた。
真夏の直射日光。
灰色の防水シートから照り返す熱。
屋上には逃げ場がほとんどない。
風はある。
だが、それ以上に暑かった。
健一も額の汗を拭う。
長袖の服の中は汗で濡れていた。
『水……』
美樹が小さく呟く。
権蔵が屋上にある貯水タンクを見る。
五人で近づいた。
バルブを確認する。
『出るか?』
健一が蛇口をひねる。
勢いよく水が流れ出した。
最初は温水に近いほどぬるかったが、流しているうちに少しずつ温度が下がっていった。
『うわっ!』
思わず声が出る。
健一は迷わず頭を下へ入れた。
『っはぁ……! 生き返る……』
頭から水を浴びる。
顔。
首。
髪。
熱を持っていた身体から、一気に火照りが引いていく。
達也も続いた。
『俺も!』
『ちょ、順番やで!』
なおみが押しのける。
美樹まで笑いながら水を浴びた。
権蔵だけは少し呆れた顔をしていたが、最後には自分も頭を濡らした。
しばらくして、五人は屋上の縁から街を見下ろした。
高い場所から見る街は、地上とはまた違って見えた。
崩れた屋根。
放置された車。
黒く焼けた建物。
ところどころで道路を歩く感染者。
遠くには煙も上がっている。
健一は無言でその景色を見ていた。
自分が知っていた街。
同じ場所のはずなのに、もう別の街に見える。
視線を遠くへ移していく。
その時。
『……あそこ、誰かいないか?』
達也が健一の指した方を見る。
『どこ?』
『あのマンションの屋上』
少し離れた建物。
その屋上に、小さな人影が立っていた。
健一は目を細める。
確かに人の形をしている。
じっとこちらを見ているようにも見えた。
『……人だよな?』
達也も目を凝らす。
だが次の瞬間。
人影は屋上にある設備の陰へ消えた。
『いなくなった』
『感染者じゃねえの?』
健一はしばらくその場所を見つめた。
もう姿は見えない。
『……分からない』
気にはなったが、今は山小屋へ戻るための移動手段を確保することが先だった。
五人は貯水タンクの作る日陰へ移動した。
ようやく直射日光から逃れられる。
達也はバッグからドローンを取り出した。
『とりあえず、帰る足を探さないとな』
軽トラックは動かない。
山小屋までは遠い。
五人で歩いて戻るのは現実的ではなかった。
達也がドローンの準備をする。
その途中で、ポケットからタバコの箱を取り出した。
中には一本だけ残っていた。
最後の一本に火をつける。
ゆっくり煙を吸い込み、吐き出した。
『……最後か』
健一が見る。
達也は短くなっていくタバコを眺めた。
『また探さないとな』
『こんな状況でも吸うんだな』
『こんな状況だから吸うんだよ』
達也はそう言って、もう一度煙を吐いた。
やがて最後まで吸い終えると、ドローンを持ち上げる。
プロペラが回転を始めた。
機体が屋上から浮かび上がる。
五人の視線の先で、ドローンは荒廃した街へ飛び出していった。




