第2話④守られるだけじゃない
◇08月07日 07時台/山小屋前/唯、夏帆
──健一と権蔵が山小屋を出発した頃。
軽トラックのエンジン音が、少しずつ遠ざかっていった。
唯は山小屋の前に立ったまま、車が消えた山道を見つめていた。
もう姿は見えない。
それでも、しばらくその場から動かなかった。
『唯ちゃん』
隣から夏帆に呼ばれ、唯はようやく振り返った。
『中に入ろっか』
『……はい』
二人は山小屋へ戻った。
先ほど四人で食べた朝食の食器が残っている。
夏帆が袖をまくった。
『じゃあ、まず片付けちゃおう』
『私もやります』
食器をまとめ、洗い物を済ませる。
机を拭き、使った物を元の場所へ戻していく。
病院に閉じ込められていた時とは違う。
今は静かな山の中にいる。
それなのに唯は、何度も窓の外を見てしまった。
健一たちは、もう街へ着いただろうか。
感染者に襲われていないだろうか。
夏帆は何も言わなかった。
一通りの片付けが終わると、唯は自分の荷物の中から一冊の日記帳を取り出した。
机に座り、ページを開く。
ペンを持って、ゆっくり書き始める。
夏帆は少し離れたところで荷物を整理していたが、しばらくすると気になったように近づいてきた。
唯の隣から日記帳を覗く。
『唯ちゃん、何書いてるの?』
唯が顔を上げた。
『あ……行動記録です』
『行動記録?』
『はい。いつ、どこに行って、そこで何をしたのか……。そういうのを残しておいたら、あとで何かの役に立つかもしれないなって』
夏帆は日記帳へ目を向けた。
日付と場所。
その日にあったことが、唯なりの言葉で書き残されている。
『なるほど。確かに、いつどこで何があったのか分からなくなったら困るものね』
『はい。それに……』
唯のペンが止まる。
『私たちが今までどうやってここまで来たのかも、忘れないようにしておきたくて』
夏帆は少しだけ表情を和らげた。
『そっか。じゃあ昨日のことも?』
『書いてます。病院を出たこととか、ここに来たこととか……』
『ふふっ。じゃあ私も登場してるんだ』
『はい。夏帆さんはいっぱい出てきます』
夏帆がわざと疑うような目を向ける。
『変なこと書かないでよ?』
『か、書きませんよ……』
唯が慌てて日記帳を少し胸元へ引き寄せた。
『本当に?』
『本当です』
その反応がおかしくて、夏帆が笑った。
唯も少しだけ笑う。
そして再びペンを動かし始めた。
◇08月07日 10時台/山小屋の倉庫/唯、夏帆
二人は昨日途中まで片付けていた倉庫へ来ていた。
この倉庫は、権蔵が獲った動物を解体する場所として使うこともあり、そのための道具も置かれていた。
床に散らばっていた物はかなり減っている。
それでも、まだ棚へ戻していない荷物や道具が残っていた。
唯は床に置かれていた箱を抱え上げる。
『よいしょ……』
思ったより重い。
それでも棚まで運ぼうとした。
『唯ちゃん、それ重いでしょ。私がやるよ』
夏帆がすぐに近づいてくる。
『大丈夫です。これくらいなら』
『無理しないの』
『……でも、これくらいなら私にもできますから』
夏帆の手が止まった。
『唯ちゃん』
『…………』
唯は抱えた箱へ視線を落とした。
少し迷ってから、ぽつりと口を開く。
『お兄ちゃんにも、ずっと言われてたんです。無理するな、休んでろって』
『心配なんだよ』
『……はい。分かってます』
唯は箱を抱えたまま続ける。
『でも……私、ずっとそうだったから』
『……そうだった?』
『小さい頃から、入院したり、退院したり……。学校にもちゃんと行けない時があって』
声は静かだった。
『何かしようとすると、お兄ちゃんも周りの人も、みんな「無理しなくていい」って』
夏帆は黙って聞いていた。
『優しくしてくれてるのは分かってるんです。でも……何もしなくていいって言われるの、ちょっと悲しいんです』
『……うん』
『今だって、お兄ちゃんと権蔵さんは危ない街に行ってるのに、私はここにいるだけで……』
『唯ちゃん』
唯は顔を上げた。
『私も何かできるようになりたいです。お兄ちゃんに守ってもらうだけじゃなくて……少しくらい、お兄ちゃんを助けられるようになりたい』
夏帆は唯を見つめた。
そして、柔らかく言った。
『じゃあ、できることを増やしていこっか』
『……え?』
『無理して重い物を持つことだけが、役に立つってことじゃないでしょ?』
夏帆は唯が抱えていた箱の片側へ手をかける。
『1人で持てないなら、2人で持てばいい』
箱の重さが少し軽くなった。
唯は夏帆を見る。
『唯ちゃんには唯ちゃんにできることがある。それを探せばいいんじゃない?』
『私にも……ありますかね』
『あるよ。なかったら作ればいい』
唯が目を瞬く。
『……作る?』
『そう。私だって、この先どうやって生きればいいのか分かってないんだから。一緒に覚えていこ』
しばらくして、唯は小さく頷いた。
『……はい』
二人で箱を棚まで運ぶ。
一人では重かった荷物が、今度は無理なく持ち上がった。
◇08月07日 11時台/山小屋近くの渓流/唯、夏帆
倉庫の片付けを終えると、夏帆は権蔵からもらった剣ナタを腰に下げ、唯と山小屋の周辺へ出た。
向かった先には渓流が流れていた。
澄んだ水音が木々の間に響いている。
目的は、食べられる野草や山菜を探すことだった。
夏帆は足元の植物を見ながら、ゆっくり進んでいく。
やがて一つの植物の前でしゃがんだ。
『唯ちゃん、これ』
唯も隣へしゃがむ。
『食べられるんですか?』
『うん。こういう特徴があるものを選ぶの』
夏帆は葉の形や見分け方を説明しながら、採り方を見せる。
唯は真剣な顔で聞いていた。
少し歩く。
唯が別の草を指さした。
『夏帆さん、これは食べられる?』
『それは違う』
さらに先へ進む。
『じゃあ、これは?』
『それも違うかな』
『……全部同じ草に見えます』
夏帆が笑った。
『最初はそんなものよ』
唯は周囲を見回した。
緑。
緑。
また緑。
見慣れていない唯には、本当にどれも似たような植物に見える。
しばらくして、唯が一つの植物を見つけた。
『これなら食べられそう』
手を伸ばそうとする。
『待って』
夏帆がすぐに止めた。
唯の手が止まる。
『違うんですか?』
『見た目だけで判断しない方がいいよ。似てる植物の中には毒があるものもあるから』
『毒……』
夏帆は周囲の植物を見ながら説明する。
『トリカブトとか、チョウセンアサガオとかね。危険な植物って、山奥にしかないわけじゃないの。身近な場所にも普通に生えてることがあるから』
唯は伸ばしかけていた手を引っ込めた。
『間違えて食べたら……』
『危ないよ』
夏帆の声が少し真剣になる。
『だから一番大事なのは、分からないものは絶対に食べないこと』
『分からないものは食べない……』
『うん。迷ったら採らない。それだけでも危険はかなり減らせるから』
唯はしっかり頷いた。
『覚えました』
二人はさらに渓流沿いを歩いた。
夏帆が見つけた食用の植物を、唯も一緒に確認していく。
葉の形。
生えている場所。
似た植物との違い。
何度も見ているうちに、少しずつ特徴が目に入るようになってきた。
そして――。
『あっ』
唯が足を止めた。
しゃがみ込み、一つの植物をじっと見る。
さっき夏帆から教わったものに似ている。
今度はすぐに手を出さなかった。
『夏帆さん。これ……どうですか?』
夏帆が隣へしゃがむ。
葉を確認する。
『うん。正解』
唯の表情がぱっと明るくなった。
『本当ですか?』
『ちゃんと見分けられてるよ』
唯は教わった通りに、その植物を採った。
手の中に収まった小さな野草を、嬉しそうに眺める。
夏帆が笑った。
『一個、できること増えたね』
唯は野草を見つめ、それから夏帆へ顔を向けた。
『はいっ!』
その返事には、倉庫にいた時より少しだけ力があった。
■唯のサバイバルメモ
・今日のテーマ:井戸
皆さんこんにちは。唯です。
今日から、山小屋で教えてもらったことや、知らなかったことをメモしちゃいますね。
少しでもお兄ちゃん、お姉ちゃんの役に立てたらいいなーって思ってます。
今回のお題は『井戸』についてです。
権蔵さんの山小屋には、手で取っ手を動かして地下水を汲み上げる井戸があります。
電気がなくても水を汲めるので、水道が止まってしまった時でも使えるのがすごく助かります。
ただし、井戸水なら何でもそのまま飲めるわけじゃないみたい。
水質や周りの環境によっては、飲むのに向かない水もあるので注意が必要なんだって。
権蔵さんのところの水は飲んでも大丈夫。
すっごく冷たくて美味しかったです。
それに井戸の水は、一年を通して温度があまり変わらないんだって!
夏は冷たくて、冬は冷たくなりすぎないのは助かっちゃいますね。
あと! 権蔵さんの話によると、長い間使っていないと、ポンプの中の水が抜けて、うまく水を汲み上げられなくなることがあるみたい。
そういう時は『呼び水』として水をポンプに入れてあげる必要があるんだって。
インターネットが使えたら、もっと詳しく調べられるのに……残念。
……こういうことも、ちゃんと覚えておかないとね。




