第2話③ガソリンを求めて
◇08月06日 22時台/山小屋/健一
山小屋の中から、話し声が消えていた。
それぞれが眠る準備を終え、身体を休めている。
健一は横になりながら、暗い天井を見つめた。
昨日までは唯が無事なのかすら分からなかった。
今は同じ山小屋にいる。
それだけで、張り詰め続けていたものが少し緩んでいた。
だが明日からは、この場所で生きていくために動かなければならない。
食料。
燃料。
唯の薬。
そして、まだ街にいるかもしれない生存者。
考え始めれば、必要な物はいくらでも出てくる。
健一は目を閉じた。
今日はもう休む。
明日、また街へ行くために。
◇08月07日 07時台/山小屋前/健一、権蔵、唯、夏帆
簡単な朝食を終えると、健一と権蔵は出発の準備を始めた。
今日はまず、二人で街へ向かう。
今後の移動に必要な燃料を確保できるか、ガソリンスタンドを確認する予定だった。
夏帆と唯は山小屋に残ることになっていた。
健一が軽トラックへ荷物を積んでいると、後ろから声がした。
『お兄ちゃん……』
振り返る。
唯が立っていた。
どこか不安そうな顔で、健一を見ている。
『どうした?』
唯は少し迷ってから言った。
『絶対帰って来てね』
健一の動きが止まる。
街には感染者がいる。
唯自身が、それを病院で嫌というほど見ている。
だからこそ、ただの『行ってらっしゃい』では済まないのだろう。
健一は頷いた。
『ああ。ちゃんと帰ってくる』
『……うん』
唯の表情が少しだけ緩む。
夏帆もそばから二人を見ていた。
権蔵が運転席へ乗り込む。
『健一、行くぞ』
『はい』
健一も助手席へ乗る。
エンジンがかかった。
唯と夏帆が山小屋の前に立っている。
軽トラックが動き出しても、唯はその場から離れなかった。
健一は窓越しに妹を見る。
やがて軽トラックは山道を曲がり、二人の姿が木々の向こうへ消えた。
◇08月07日 10時台/市街地の道路/健一、権蔵
街へ入ると、昨日と同じように、放置車両や事故車、地震で落ちた瓦礫が道路のあちこちを塞いでいた。
健一たちが向かおうとしていたガソリンスタンドへの道も例外ではなかった。
権蔵が軽トラックを停める。
『このままじゃ通れんな』
健一はフロントガラスの向こうを見る。
道路上に何台もの車が残されている。
中には道路を斜めに塞いでいるものもあった。
『動かせそうなのだけでも端に寄せましょう』
『そうするか』
二人は車を降りた。
健一は周囲を見回す。
離れた場所に感染者がいる。
一人。
さらに奥にも数人。
まだこちらには気づいていない。
『音、立てない方がいいですね』
『ああ』
二人は道路を塞いでいる車へ近づき、ギアをニュートラルにできる車など、二人で動かせるものだけを選んで一台ずつ道路脇へ寄せていった。
地震でずれた車体は重く、押すたびに腕と脚へ力がかかった。
それでも道幅は少しずつ広がっていった。
健一は次の車へ手をかける。
権蔵と呼吸を合わせて押した。
『せーの……!』
車体が動く。
その時だった。
ガタンッ!
車の一部が道路上の瓦礫へぶつかり、大きな音が響いた。
離れた場所にいた感染者が、こちらを向いた。
『……まずい』
別の感染者も反応する。
ふらつきながら、こちらへ歩き始めた。
一人だけではない。
周囲にいた感染者が少しずつ集まってくる。
権蔵が剣ナタへ手を伸ばした。
『ここで全部相手にするな。離れながら少ない数だけ倒すぞ』
『はい』
二人は道路から下がる。
感染者の集団がばらけたまま追ってくる。
先頭の一体が近づいてくる。
昨日、病院で何度も戦った。
それでも、動いている相手の頭へ正確に刃を入れるのは簡単ではない。
感染者が腕を伸ばした。
健一は踏み込み、頭部へ斧を入れようとする。
『っ!』
相手の身体がふらついた拍子に軌道がずれ、刃は肩を掠めた。
感染者はそのまま掴みかかってくる。
健一は一歩下がった。
『頭だけ追うな! 動きを見ろ!』
権蔵の声が飛ぶ。
健一はもう一度、相手が踏み込む瞬間を待った。
今度は頭部へ当たったものの、刃が斜めに滑る。仕留めきれない。
『くそっ!』
健一は腹を蹴って間を作った。
その隙に権蔵が横から入り、首を突いて一撃で感染者を仕留めた。
『無理に一発で決めようとするな』
『はい』
次の感染者が来る。
健一は呼吸を整え、今度は相手の動きを見ながら待った。
腕が伸びてくる直前に踏み込む。
だが狙いはわずかに下へずれ、斧の刃が肩口へ深く食い込んだ。
『抜けない!』
斧を引く。
刃が肉へ食い込んだまま動かない。
感染者はまだ倒れていない。
健一は柄を握ったまま引っ張られそうになる。
『離せ!』
権蔵が横から感染者を蹴り、健一が斧を引き抜く時間を作る。
なんとか刃が抜けた。
健一はすぐ後ろへ下がった。
《斧なら簡単に倒せると思ってたけど……》
実際に動く人間へ当てるのは難しい。
外す。
防がれる。
当たっても浅い。
深く入れば、今度は抜けなくなる。
権蔵も剣ナタで援護しながら、一体ずつ相手を減らしていく。
健一は感染者の動きを見る。
腕の届く距離。
踏み込む瞬間。
斧を振った後、自分が無防備になる時間。
戦うたびに、昨日とは違うことが見えてきた。
健一は荒く息を吐いた。
『正面からガソリンスタンドへ行くのは危ないですね』
権蔵も元の道路を見る。
大きな音に引かれた感染者が、まだ何体か残っていた。
『ああ。別の道から回ろう』
二人は感染者の少ない方向へ移動した。
◇08月07日 12時台/ガソリンスタンド付近の道路/健一、権蔵
ガソリンスタンドへ回り込む途中でも、何度か感染者と遭遇した。
だが、今度は闇雲に近づかなかった。
二人は一体だけが反応する距離まで近づき、感染者が追ってくるとすぐに後退した。
他の個体から十分に引き離した。
権蔵が正面から注意を引き、感染者の身体がそちらへ向いた。
『今じゃ!』
健一は横から踏み込み、頭部へ斧を入れた。
今度は刃が狙った場所へ深く食い込み、感染者が倒れる。
『……少し分かってきた』
『油断するなよ』
『はい』
二人はさらに進んだ。
ガソリンスタンドが近づいてくる。
その途中。
健一が足を止めた。
道路脇に感染者が倒れている。
だが、自分たちが倒したものではない。
権蔵もすぐに気づいた。
二人で慎重に近づく。
感染者はすでに動かなくなっていた。
『俺たちじゃないですよね』
『ああ』
『じゃあ……誰かいる』
街には、自分たち以外の生存者がいるはずだ。
昨日、夏帆もそう話していた。
誰かが近くにいるかもしれない。
二人は割れた窓や物陰、停まった車の陰を警戒しながら、ガソリンスタンドへ近づいた。
そこで、一人の感染者が建物の陰から姿を現した。
胸元にネームプレートが付いている。
健一が文字を見る。
このガソリンスタンドの店長らしい。
感染者がこちらへ歩いてくる。
『俺がやります』
権蔵が少し後ろへ下がった。
健一は頭部を狙うように斧を高く見せる。
予想した通り、感染者が腕を上げた。
健一は刃を振り下ろさず、そのまま一歩踏み込む。
手首を返し、斧の柄で顎を打ち上げた。
感染者の上体が仰け反る。
空いた頭部へ、今度こそ斧の刃を入れた。
感染者はそのまま地面へ崩れ落ちる。
健一は斧を引き抜いた。
まだ終わりではない。
目の前には、ガソリンスタンドがあった。




