第17話④残されたメモ
◇08月17日 13時台/アパートの三階/健一、権蔵、達也、なおみ、美樹
町工場から立ち上る黒煙を背に、健一たちは再び先ほどのアパートへ戻った。
燃えた工場へ誘導できた感染者は相当な数にのぼったが、ガソリンスタンドの周囲からすべての感染者が消えたわけではない。
音楽を追わなかった個体や、誘導を終えたあとに発電機の音を聞きつけて近づいてきた個体が何体か残っていた。
アパートの三階まで上がると、権蔵と美樹はすぐに窓際へ移動した。
権蔵がガソリンスタンドを見下ろしながら言う。
『残っとるのは少ない。ここから片付けよう』
美樹はポンプ式空気銃の銃口を外へ向け、一体へ照準を合わせた。
発射音は小さく、遠くの発電機が出す音にほとんど掻き消される。
ペレット弾を受けた感染者が倒れると、別の場所を狙っていた権蔵も一体を仕留めた。
射撃は必要以上に急がなかった。
ここまで来れば、先ほどのように百体近い群れを相手にする必要はない。
ガソリンスタンドへ戻る前に、見えている感染者を確実に減らしておけばいい。
やがて最後まで周辺を徘徊していた一体を美樹が撃ち倒す。
達也は窓から外を確認し、ようやく肩の力を抜いた。
『……やっと戻れるな』
しかし権蔵はすぐには動かなかった。
『まだじゃ。周りを確認してからじゃ』
『念入りだな』
『さっき百体近く集まった場所じゃぞ。見えとらんだけで残っとったらどうする』
達也も反論せず、ドローンを取り出した。
機体を上空へ上げ、ガソリンスタンドの敷地だけでなく、周辺道路や建物の陰、停車している車両の間まで順番に確認していく。
健一たちはモニターを囲み、映像を見守った。
道路の一部には倒した感染者が残っているものの、動いている大きな集団は確認できない。
別方向からこちらへ近づいている感染者も、今のところ映っていなかった。
達也が機体を旋回させてから言う。
『今のところ大丈夫そうだ』
健一は頷いた。
『行こう。ただし、補給中も周囲を警戒するぞ』
五人はアパートを出て、再びガソリンスタンドへ向かった。
敷地へ近づくにつれて、置き去りにした発電機の音が大きくなる。
小型トラックはそのまま残っていた。
発電機も止まっていない。
給油機の画面にも、まだ表示が残っている。
健一はようやく安堵した。
『……よかった。まだ動いてる』
あれだけの感染者が周囲へ集まったため、車両や設備が壊されている可能性も考えていた。
だが、少なくとも今すぐ使えなくなるような損傷は見当たらない。
すぐに給油を再開する。
健一と達也が容器への補給を担当し、権蔵、美樹、なおみは三方向へ分かれて周囲を監視した。
先ほどまでの騒ぎが嘘のように、ガソリンスタンド周辺は静かになっている。
それでも発電機が動いている以上、安心することはできない。
数分もしないうちに、なおみが道路の向こうへ視線を向けた。
『来たで。三体』
健一は給油作業を続けながら確認する。
美樹はすでに空気銃を構えていた。
『私がやる』
一体がまだ距離のあるうちに照準を合わせ、引き金を引く。
一体目が倒れたことで、残り二体の進路が少しずれた。
そのうち一体へ権蔵が対応し、さらに近づいた最後の一体はなおみが処理した。
それからしばらくすると、今度は別方向から数体が姿を現した。
完全に安全になったわけではない。
しかし、十体、二十体とまとまって押し寄せてくる状況ではなく、数体ずつであれば警戒している三人で十分に対応できる。
健一は容器へ流れ込むガソリンを確認した。
『もう少しだ!』
達也も残量を見ながら頷く。
『ここまで来てまた逃げるのは勘弁してくれよ』
『そんなこと言うと来るで』
なおみが遠くを見ながら返す。
『フラグ立てんなよ!』
達也が言い返したが、今度は誰も慌てていなかった。
一方で、警戒だけは緩めない。
給油を続け、容器を一つずつ満たしていく。
そして最後の補給が終わった。
健一は給油機を止め、ノズルを戻す。
『……終わった』
達也がその場で大きく息を吐いた。
『長かったな……。ガソリン入れるだけで何時間かかってんだよ』
なおみも刀を収めながら苦笑する。
『普通やったら数分やのにな』
誰も笑い飛ばすほどの余裕はなかったが、それでも張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。
ようやく目的を果たした。
これで研究所の発電機を再び動かせる。
照明も。
止まっている研究設備も。
最低限の電力を取り戻すことができる。
健一は外部電源として使っていた発電機を停止させた。
長時間動き続けていたため、こちらにも携行缶からガソリンを補給する。
その様子を見ていた美樹が、ふと給油機へ目を向けた。
『……ちょっと待って』
達也が振り返る。
『どうした?』
美樹は停止した給油機を見ながら言った。
『他にも、ガソリンが必要な人がここへ来るかもしれない』
健一も給油機を見る。
ここへ来るまで、自分たちも非常用設備の存在すら知らなかった。
発電機があっても、接続場所が分からなければ使えない。
そしてパスワードの『1105』も、死んだ店長の手帳がなければ知ることはできなかった。
美樹は紙とペンを取り出した。
健一が尋ねる。
『何を書くんだ?』
『パスワード。あと、発電機を使えば動かせるってこと』
達也がすぐに現実的な問題を口にする。
『……なるほどな。でも発電機まで持っていかれたら終わりじゃねえか?』
美樹は紙を見ながら答えた。
『そうかもしれない。でも持って帰ったら、私達以外は誰も給油機を動かせない』
健一は返事をせず、しばらく給油機と発電機を見た。
自分たちは、死んだ店長が残した手帳に助けられた。
娘の誕生日を書き留めていた、ほんの小さな記録。
それがなければ今日ここでガソリンを手に入れることはできなかった。
『……そうだな。俺達も、この店の人に助けられたようなものだからな』
美樹は頷き、次にこの場所へ来た人間にも分かるよう、発電機の接続場所や給油機の起動方法、パスワードが『1105』であることを簡潔に書いた。
『誰かが使うかもしれないから』
紙を目につきやすい場所へ貼りつける。
そして発電機も、あえてその場へ残すことにした。
誰が使うのかは分からない。
善人かもしれない。
自分たちを襲ったような人間かもしれない。
それでも、美樹が残した小さなメモによって、どこかの誰かが燃料を手に入れ、生き延びられる可能性は残る。
健一はそのメモをしばらく見つめたあと、トラックへ向かった。
『研究所へ戻ろう』
全員が乗り込む。
大量のガソリンを積んだ小型トラックがゆっくりとガソリンスタンドを離れていく。
給油機のそばには、置いていかれた発電機と、美樹が書いた一枚のメモだけが残されていた。




