第18話①戻った明かり
◇08月17日 15時台/研究所へ向かう道路/健一、権蔵、達也、なおみ、美樹
ガソリンを積んだ昇降機付きトラックが研究所へ近づくにつれ、道路脇には感染者の姿が増えていった。
ふらつきながら歩道を進む個体もいれば、道路の中央で立ち止まったまま周囲を見回している個体もいる。
少し前なら感染者を見つけるたびに車内の空気が張り詰めていたが、今では進路を塞がれていない限り、そのまま通り過ぎることの方が多くなっていた。
達也が窓の外へ目を向ける。
『……あそこにもいるな』
『こっちに気づいてないなら、そのままでいい』
健一は前方から目を離さず答えた。
人間は恐ろしいものにも慣れる。
パンデミックが始まった頃なら、道端に感染者が一体いるだけでも進路を変えたかもしれない。
それが今では、襲ってこない感染者なら風景の一部のように受け流している。
もちろん、警戒をやめたわけではない。
走る個体がいることも、自分の身体を壊しながら動く感染者がいることも知っている。
近づく必要がないから相手にしないだけだった。
なおみが後方を確認してから言った。
『追ってくる奴はおらんな。このまま研究所まで行けそうや』
やがて金網フェンスに囲まれた研究所が見えてきた。
門の警備に立っていた自衛隊員がトラックに気づき、中へ連絡する。
門が開くと、健一たちはそのまま敷地内へ入り、燃料の保管場所に近いところで車を停めた。
エンジンが止まるより早く、研究所の住民たちが外へ出てきた。
荷台に積まれた燃料を見た一人が声を上げる。
『持ってこれたのか!?』
『ああ。かなり苦労したけどな』
達也はトラックを降りながら答えた。
住民たちはすぐに荷下ろしを手伝い始めた。
重量のある燃料を人力だけで動かすのは危険なため、トラックの昇降機を使いながら一つずつ慎重に地面へ下ろしていく。
物資管理おじさんも加わり、片手で扱えるものを運びつつ、燃料を置く場所を指示した。
『そっちはこっちだ。発電機に使う分と、予備で保管する分は分けとけ』
『了解』
達也が答え、住民と一緒に燃料を運んでいく。
健一も荷下ろしを手伝いながら、研究所の建物を見た。
窓は暗い。
昨夜、発電機の燃料が尽きてから電気は止まったままだった。
今日ここへ戻るために、町工場を使って百体近い感染者をまとめて処理し、ガソリンの補給を終えた。
その結果として積んできた燃料が、ようやく研究所の電気を取り戻す。
最後の燃料を保管場所へ移すと、健一は研究員のところへ向かった。
『ガソリン、持って帰ってきました』
研究員の表情が明るくなる。
『本当に?』
『はい。すぐ使えます』
『助かったわ。発電機を動かしましょう』
研究所の予備電源として使われている中型発電機へ燃料を入れ、状態を確認してから始動させる。
少し間を置いて、低い駆動音が響き始めた。
その音が安定すると、必要な系統へ順番に電力が送られていく。
やがて室内の照明が点いた。
『おお……』
近くにいた住民から声が上がる。
昨夜、発電機が止まって以来の明かりだった。
とはいえ、以前と同じように研究所全体を明るくするわけではない。
燃料を確保できたからといって、無駄に消費できる状況ではなかった。
電気を使うのは、研究室や医療に必要な部屋、生活上どうしても必要になる場所が中心だった。
廊下へ出た健一は天井を見上げる。
蛍光灯は七割ほど抜かれており、残された照明だけが間隔を空けて点いていた。
暗い場所は残っている。
それでも、完全な停電とはまるで違った。
研究室では停止していた設備の確認が始まり、住民たちも久しぶりに戻った人工の明かりを見上げていた。
達也が廊下へ出てくる。
『ようやく電気復活か』
『これで検査も再開できるな』
頭に浮かんだのは唯だった。
昨日から全身の痛みを訴え、今朝には食事もほとんど取れていなかった。
電気が戻ったことで、止まっていたものをようやく動かせる。
だが研究所の問題がすべて解決したわけではなかった。
◇08月17日 15時台/研究所の研究室/研究員たち
研究所では、午前中に自衛隊員が捕獲してきた生きた感染者が、電力の復旧を待って隔離されていた。
発電機が再び動き、研究設備が使用できるようになると、研究員たちは感染者を研究室へ運んだ。
解剖台へ固定し、麻酔によって動きを抑える。
ここから、ようやく本格的な調査を始めることができる。
研究員たちは生体を維持したまま腹部を切開し、消化器官や筋肉の状態を確認していった。
採取した組織は顕微鏡で観察し、これまでに残されていた感染者の検査記録や、アメリカから送られてきた初期感染者の研究資料と照合していく。
生きた個体を直接調べることで分かることが多くあった。
午前中までに見直していた感染者の検査記録と一致する変化が、目の前の個体にも確認できる。
研究員がしばらく観察したあと、口を開いた。
『……やっぱり同じだわ』
隣で記録を取っていた研究員が顔を上げる。
『これまで残されていた検査記録と?』
『ええ。少なくとも、死後変化だけで説明できるものじゃない』
午前中に確認していた資料だけでは、死亡後に起きた組織変化が結果へ影響している可能性も残っていた。
しかし、生きている感染者にも同じ傾向が見られたことで、その可能性は低くなった。
研究員たちはさらに調査を進めた。
消化器官の状態を記録し、腸の内容物も確認する。
感染後も消化機能がどこまで維持されているのか。
摂取したものがどのように処理されているのかを調べ、それぞれの結果を資料へ書き込んでいった。
別の研究員がアメリカ側の記録を読みながら呟く。
『感染してから時間が経ったことが原因なのかしら』
初期に採取された感染者と、パンデミック発生から日数が経った現在の感染者では条件が違う。
時間とともに身体変化が進行しただけなら、説明できる部分もある。
しかし、研究員はすぐには頷かなかった。
『それだけならいいんだけど……』
机の上には、アメリカから送られてきた初期感染者の研究資料と、これまで国内で得られた検査記録、そして今回の生体観察で得られた記録が並んでいる。
同じ項目を何度も見比べる。
筋肉。
消化器官。
これまでに確認してきた脳の変化。
一つだけなら個体差として扱えるかもしれない。
しかし複数の項目で、初期資料とは違う傾向が重なっていた。
研究員は資料へ視線を落としたまま、低く言った。
『米国からの研究報告とまるで違うじゃない……』
研究室の空気が重くなる。
生きた個体を直接調べても、これまでの記録と同じ傾向が確認された。
それでも、原因までは分からない。
感染から時間が経ったことで進行した結果なのか。
日本人感染者特有の変化なのか。
それとも、FMウイルスそのものに何らかの変化が起きているのか。
今ある情報だけでは判断できなかった。
研究員は今回の観察結果を記録用紙へ書き込み、目の前の感染者を見つめた。
『……もっと調べないと』
研究室の外では、研究所を囲む金網フェンスの向こうから、感染者たちのうめき声が聞こえていた。
◇08月17日 16時台/研究所のフェンス周辺/健一、権蔵、達也、なおみ、美樹
燃料の搬入が終わって間もなく、金網フェンス周辺を確認していた自衛隊員から声が上がった。
『感染者が寄ってきてる!』
健一たちはすぐに外へ出た。
研究所の外周には、いつの間にか何体もの感染者が集まり始めていた。
まだ大きな群れではないが、金網へ直接張り付いている個体が三体いる。
感染者たちは身体ごと何度も金網フェンスへぶつかり、押し倒そうとするように金網を叩いていた。
ガシャン、ガシャンと鈍い音が続く。
金網フェンスは今のところ持ちこたえている。
しかし健一は、金網が揺れるたびに支柱まで震えていることに気づいた。
『三体でこれか……』
権蔵も同じ場所を見ている。
『今はな。これが十体、二十体と増えれば分からんぞ』
放置しておく理由はなかった。
遠くにいる感染者は、権蔵と美樹が空気銃で処理することになった。
近づかれる前に数を減らし、金網フェンスへ掛かる負荷を増やさないためだった。
美樹と権蔵は金網フェンス沿いを移動し、まだこちらから離れている感染者を狙った。
金網の隙間と周囲の位置を確認しながら、美樹が一体を仕留める。続いて権蔵も別方向の個体を撃ち倒した。
一方、すでに金網へ身体を押しつけている三体は、頭部のすぐ前を金網が塞いでいる。感染者を確実に止めるために目から脳を狙うには射線を取りにくかった。
そこで、金網そのものを盾にしながら近接武器で処理することにした。
達也となおみがそちらへ向かった。
感染者は金網へ身体を押しつけている。
達也が金網際へ歩み寄った拍子に、左耳の傷がじくりと疼いた。
なおみも身体を動かした拍子に、まだ治りきっていない噛み傷に一瞬顔をしかめる。
二人とも傷は残っているが、金網を盾にできる今なら無理に接近する必要はない。
『気ぃつけや』
なおみが刀を構える。
『分かってる』
達也も金網に張り付いた感染者へ近づいた。
金網越しなら、感染者はこちらへ直接飛びかかることはできない。
手にしたバールで頭部を狙い、感染者を仕留めた。
なおみは相手が金網へ張り付いたところを狙い、金網の隙間から刀を突き入れる。
一体の身体から力が抜けると、その分だけ金網フェンスへ掛かっていた圧力が減った。
達也が残る一体も続けて倒した。
その間にも、美樹と権蔵は外周を回りながら、まだ金網フェンスまで到達していない感染者を遠距離から減らしていた。
戦闘が終わった頃には、金網フェンスの外側に何体もの感染者が倒れていた。
健一は揺れていた金網を確認する。
大きく歪んではいない。
それでも、今後さらに多くの感染者が集まれば、同じように耐えられる保証はなかった。
『死体をここに置いたままにするのもよくないな』
住民たちも農作業を中断し、回収を手伝うことになった。
感染者の死体を一体ずつトラックへ運んでいく。
数日前なら、一般の住民が感染者の遺体へ近づくこと自体を恐れていたかもしれない。
それでも今は、研究所を維持するために必要な作業として、誰も逃げ出さなかった。
荷台へ死体を積み終えると、健一たちは近くの公園へ向かった。
人がいなくなった公園の一角へ感染者の遺体を下ろし、まとめて置く。
その上からガソリンをかけた。
達也が少し離れた位置から見ている。
『せっかく取ってきたガソリンを、こっちにも使うとはな』
健一も火をつける準備をしながら答えた。
『研究所の近くで腐らせるよりはいい』
火を放つと、やがて炎が遺体全体へ広がっていった。
黒い煙が公園の上へ昇っていく。
自分たちが倒した感染者。
元は同じ人間だった者たち。
研究所で真実を知ってから、その事実を以前より意識するようになった。
それでも今は、研究所の金網フェンスを守るために倒し、衛生上の問題を残さないために焼くしかない。
健一は燃える遺体をしばらく見つめたあと、研究所へ戻るためトラックへ向かった。




