顎刺し。
非常階段を上がり、扉を開けると、そこには一体の感染者がいた。
赤く充血した目。
口元から垂れる黒ずんだ血液。
のろのろと腕を伸ばし、健一へ近づいてきた。
『邪魔だ!』
健一は勢いのまま薪割り斧を振り上げた。
渾身の力で頭へ叩き込む。
だが――。
ガンッ!
鈍い音が響いた。
感染者はとっさに両腕を上げ、斧を受け止めていた。
本能的に頭を守ろうとしたのだ。
刃は腕を切り裂き、そのまま頭へ当たったものの、深くは入り込まない。
『なっ……!』
健一は目を見開いた。
薪を割るようにはいかなかった。
固定された薪とは違う。
相手は生きている。
薄皮一枚で繋がり、だらりと垂れ下がった腕からは大量の血が流れ落ちている。
それでも感染者は健一へ噛みつこうと口を開く。
『くっ!』
健一は反射的に前蹴りを放った。
鈍い衝撃とともに感染者の身体が大きくよろめく。
その一瞬だった。
『今だ!』
健一は大きく踏み込み、もう一度、斧を振り下ろした。
ゴッ――。
今度は防ぐ腕がない。
刃が頭へ深く食い込む。
黒い液体が飛び散り、感染者の身体から一気に力が抜けた。
その場へ崩れ落ちると、二度と動くことはなかった。
健一は荒い息をつく。
額から汗が流れ落ち、斧を握る手は震えていた。
『健一! 急ぐぞ!』
権蔵の声に我へ返る。
『はい!』
倒れた感染者を飛び越え、通路を進んでいく。
二人の足音が、病院内に響く。
通路を曲がった、その時だった。
目の前の扉を、四体の感染者が何度も叩き続けていた。
バンッ!
バンッ!
バンッ!
扉は激しく揺れている。
『唯がいるのはあそこか!』
健一は叫ぶと同時に薪割り斧を大きく振り上げ、四体の感染者へ向かって一直線に突進した。
感染者たちが非常用倉庫の扉へ何度も身体を打ちつけている。
バンッ!
バンッ!
鈍い衝撃音が廊下中に響き渡る。
『どけぇぇっ!』
健一は全力で駆け込み、そのまま一体目へ斧を振り下ろした。
ガッ!
刃は感染者の肩口から頭へかけて叩き込まれる。
勢いで感染者は横へ吹き飛び、扉から離れた。
だが、その瞬間だった。
横にいた別の感染者が、振り下ろした斧の柄を両手で掴んだ。
『しまった!』
健一は力任せに引き戻そうとする。
しかし感染者は離さない。
互いに引っ張り合った次の瞬間、感染者は斧を乱暴に振り払い、床へ投げ捨てた。
ガランッ――。
乾いた音を立て、薪割り斧が廊下を滑っていく。
『くっ……!』
丸腰になった健一へ、感染者がゆっくりと腕を伸ばしながら迫る。
赤く充血した目。
大きく開いた口。
あと一歩踏み込まれれば、噛みつかれる。
健一はとっさに後ろへ飛び退いた。
しかし感染者は足を止めない。
のろのろと、だが確実に距離を詰めてくる。
その時だった。
『健一!』
権蔵が一歩踏み込む。
左手で感染者の髪を鷲づかみにすると、身体を強引に引き起こした。
『こうやるんじゃ!』
右手の剣ナタが鋭く閃く。
刃先は感染者の顎の下から真っ直ぐ突き上げられ、そのまま脳へ深々と突き刺さった。
感染者の身体がびくりと震え、全身から力が抜ける。
権蔵は剣ナタを引き抜くと、感染者はその場へ崩れ落ち、二度と動かなかった。
健一は息をのみ、その一撃を見つめる。
『剣ナタを渡したじゃろ?』
権蔵の言葉に、健一ははっとした。
腰には、朝、権蔵から渡された剣ナタが差してある。
健一はすぐに剣ナタを抜いた。
冷たい柄を握ると、不思議と手に馴染む。
迫ってくる二体目の感染者。
健一は権蔵の動きを思い出しながら、一気に踏み込んだ。
左手で感染者の髪を掴む。
顔を強引に上へ向かせる。
『うおおおっ!』
叫びとともに、剣ナタを顎の下から力いっぱい突き上げた。
ぐっ――。
硬いものを貫く感触が腕へ伝わる。
刃は脳へ到達した。
感染者の身体から一瞬で力が抜け、健一の足元へ崩れ落ちる。
『……倒せた』
その呟きを遮るように、三体目が健一へ飛びかかった。
健一は反射的に身体をひねり、剣ナタを感染者の首元へ突き出した。
刃は感染者の首へ深々と突き刺さった。
感染者は首に剣ナタを刺したまま前のめりに倒れ込む。
床の上でもがくように手足を動かしたが、やがて完全に動きを止めた。
健一が息を整えて振り返ると、最後の一体はすでに権蔵が倒していた。
廊下に静寂が戻る。
そして、四体の感染者が叩いていた非常用倉庫の扉だけが、静かにそこにあった。




