第7話 王都の異変(呼び戻される過去)
辺境の冬は、思っていた以上に厳しかった。
乾いた風が地面を削り、朝には薄く霜が降りる。
それでもミレイナの薬屋は、毎日変わらず人が訪れていた。
「この薬で、もう少し様子を見てください」
「ありがとう、本当に助かるよ」
そんなやり取りが、日常になっている。
騎士団の治療にも通い、村の診療も続ける。
忙しくはあるが、充実していた。
あの日、アルトの誘いを受けたことを、後悔したことは一度もない。
――だが。
その穏やかな日常は、ある日突然終わりを告げた。
「王都からの使いだ」
アルトがそう告げたのは、昼過ぎのことだった。
ミレイナは手を止め、顔を上げる。
「……王都から?」
嫌な予感がした。
「緊急の要請だ。毒に関する件らしい」
その言葉で、確信に変わる。
ただの用事ではない。
(来たわね……)
過去が、追いついてきたのだ。
「内容は?」
「詳細はまだだが、宮廷薬師では対処できていないらしい」
ミレイナはわずかに眉を寄せる。
王宮の薬師たちが対処できない毒。
それがどれほど異常な事態か、彼女にはよく分かっていた。
「……行くしかありませんね」
アルトは静かにうなずく。
「同行する」
「領主自ら?」
「領地の問題でもある」
短い説明だったが、それで十分だった。
準備はすぐに整った。
必要な薬草、器具、記録用の帳面。
持てるだけを鞄に詰め込む。
村の人々には簡単に事情を伝えた。
「すぐ戻りますから」
そう言うと、皆一様に不安そうな顔をした。
「気をつけてな」
「無理はしないでください」
その言葉に、ミレイナは小さく笑う。
「大丈夫です」
そして、王都へ向かう馬車に乗り込んだ。
数日後。
王都の門が見えた瞬間、ミレイナの胸がわずかに締めつけられる。
見慣れたはずの景色。
かつて暮らしていた場所。
だが今は、どこか遠い世界のように感じる。
「顔色が悪いな」
隣に座るアルトが言う。
「少し、思い出しただけです」
正直な答えだった。
嫌な記憶ばかりではない。
だが、ここには“終わった自分”がいる。
「戻るか?」
「いいえ」
ミレイナは首を振る。
「やるべきことがありますから」
その言葉に、アルトは何も言わなかった。
ただ小さくうなずくだけだった。
門をくぐり、王都の中へ入る。
石畳の音。
行き交う人々。
華やかな店。
すべてが変わらない。
変わったのは、自分の方だ。
馬車はそのまま王城へと向かった。
案内されたのは、宮廷の一角にある医療区画。
空気が重い。
扉の前に立った瞬間、ミレイナはそれを感じ取った。
「……中に、毒がありますね」
アルトがわずかに目を細める。
「分かるのか」
「ええ。かなり強い」
扉が開かれる。
中に入った瞬間、ミレイナは確信した。
(これは……普通じゃない)
ベッドに横たわる患者。
顔色は悪く、皮膚には斑点のような変色。
周囲には、数人の宮廷薬師たち。
その中の一人が、ミレイナを見て眉をひそめた。
「……誰だ?」
不審の目。
当然だろう。
そこへ、別の声が響いた。
「その方が、例の薬師か」
振り向いた瞬間――
ミレイナの時間が、止まった。
「……ローデン」
無意識に、名前がこぼれる。
そこに立っていたのは、元夫だった。
以前と変わらぬ姿。
いや、少しやつれているかもしれない。
だがその目が、ミレイナを見て見開かれる。
「……ミレイナ?」
信じられない、という表情。
「なぜ、ここに……」
その問いに、ミレイナは一瞬だけ黙る。
だがすぐに、静かに答えた。
「依頼を受けて来ました」
それだけだ。
感情は込めない。
ローデンの視線が揺れる。
「依頼……? お前が?」
周囲の薬師たちもざわつく。
「あの女が?」
「ただの元貴族夫人では……」
その言葉に、ミレイナは何も反応しなかった。
代わりに、患者の方へ歩み寄る。
(……やることは一つ)
過去ではない。
今だ。
ミレイナは患者の状態を確認する。
脈。
呼吸。
皮膚の変化。
そして――
(やはり)
原因が見えた。
「この毒、進行を止められていませんね」
はっきりと言う。
空気が凍る。
「……何だと?」
宮廷薬師の一人が顔をしかめる。
「我々は最善を尽くしている」
「そうでしょうね」
ミレイナは淡々と答える。
「ですが、方法が違います」
その一言で、場の空気が一変した。
ローデンが口を開く。
「お前に、何が分かる」
かつてのような見下す声。
だが――
「分かります」
ミレイナはまっすぐに言い返す。
「この毒は、二種類が混ざっています」
その瞬間、ざわめきが広がる。
「馬鹿な」
「そんなはずは――」
「片方は抑えていますが、もう一方が進行しています」
ミレイナは続ける。
「だから、止まらない」
沈黙。
誰も、反論できない。
そしてアルトが一歩前に出る。
「証明できるか」
短く問う。
ミレイナはうなずいた。
「できます」
その言葉に、場の全員が息をのむ。
ローデンが、ミレイナを見つめる。
信じられないものを見るような目で。
だがミレイナは、もうその視線を気にしなかった。
(私はもう、あの頃の私じゃない)
静かに薬草を取り出す。
準備を始める。
その手に迷いはない。
そして――
「これから、処置を行います」
その声は、静かで、確信に満ちていた。
王都に戻ったミレイナは、
ついに過去と向き合うことになる。
そして次の瞬間――
彼女の実力が、王宮すべてに知られることになる。




