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「……ぅ……何が、起きたんだ……?」
どのくらいの間気を失っていたのかは覚えていない。
気が付くとジンは、無造作に散らばった瓦礫の山の中に倒れていた。
彼が覚えているのは、常軌を逸した力で戦うレーラと御旗を呆然と見ていたこと。そして二人の戦いの中で起こった大爆発に巻き込まれ、吹き飛ばされたことだけだった。
「痛ッ……」
立ち上がろうとすると、左脚に激痛が走った。どうやら折れてしまっているようだ。
そんな左脚を庇いながらどうにか立ち上がると、口の中には鉄臭い不快な味が広がった。どうやら吹き飛んで転がった際に口の中を切ったらしい。
かなり深い傷であるようで、いくら血を吐き捨てても口の中は瞬く間に血の味に満たされる。何度となくどす黒い血を吐き捨てながら、ジンはよろよろと歩みを進めていった。
「…………」
静寂に包まれた更地を進むこと数分。ジンは、隕石でも落ちたのかと思うほどの巨大なクレーターの縁に辿り着いた。
そこに高級住宅街や高層ビルが立ち並んでいた帝都の面影はなく、驚きのあまりジンも言葉を発せずにいた。
「……あれは……?」
するとジンは、クレーターの底に小さな影を一つ見つけた。
その影に近づこうと、彼はクレーターの中へ滑り降りる。しかし、折れた左脚でバランスが取れるはずもなく、彼は躓いてクレーターの底まで転がり落ちる羽目となったのだった。
砂埃にまみれて倒れこんだジンが、どうにか顔を持ち上げる。
すると彼の目の前からは、掠れた小さな声が聞こえてきた。
「ぁ……ジン……ょかった、無事で……」
ジンが転がり落ちたクレーターの底。そこには、胸から上の身体だけを残したレーラの姿があった。
下半身は見当たらない。それどころか、残された身体の切断面は今も竜の魔力が燻っており、少しずつレーラの身体を燃やし続けていた。
咄嗟にジンは御旗の姿を探した。
が、見当たらない。クレーターの底には、刃こぼれして鈍らとなった大太刀が一本、白灰の山の上に転がっているだけだ。
「ねぇ、ジン……ぁたし……勝ったょ」
ジンの耳が、微かにその言葉を聞き取る。するとレーラは、彼女の右手に随分重そうに握っているものをジンに見せつけた。
それは、禍々しい赤色に輝いた、人間の心臓だった。鼓動は既に止まっているが、その中には鳥肌が立つほどの濃い魔力が未だに残っている。
それを見ただけでジンは状況のすべてを把握し、声を出すのがやっとの少女へと目を向けた。
「これがぁれば……この世界から、逃げられる……でしょ? ぁたしはもぅ、ダメだけどさ……せめて、ジンだけでも……」
「……そうだな」
レーラの身体は、今なお燻り続ける竜の炎で少しずつ焼かれている。不死の吸血鬼の再生力でも修復が追い付いていないようだ。おそらく、あと数分もすれば彼女自身も灰となるだろう。
しかし、これで目的は達せられた。竜殺しの英雄を倒し、危険度Sに匹敵する魔力核を入手。
あとはこれを魔法陣まで持ち帰り、異世界転移魔術を起動すれば、大きなアクシデントこそ起きたもののジンの計画は成功する。
「ぅれしぃなぁ……ジンのほぅから……会ぃに来てくれる……なんて」
「くだらない妄想をするな。お前が俺の命令を無事遂行したか確かめに来ただけだ」
「……ねぇ、ジン……ぁたし、死ぬ前にちょっとだけ……ゎがまま言ぃたく……なっちゃった」
焦点もまともに合わせられなくなっている瞳が、それでも愛しい者の姿を捉えようと彷徨う。
そんなレーラを見下ろしたまま、ジンは黙して座り込んでいた。
「……最期にもぅ一回だけ……ぁんたの血……飲みたぃなぁ」
ジンは、顔色一つ変えない。表情一つ動かさない。まるでレーラの言葉が聞こえていないかのように。
そのまま続いた沈黙が数秒。レーラは自身の予想した通りの返答だと安堵すら覚えた。
ジンは、レーラから吸血されることをこの上なく屈辱だと感じている。その屈辱に耐えてまで大量の吸血を許してくれたのは、竜殺しの英雄を倒せという命令のための特別措置だ。それが達せられた今、彼がレーラの願いを聞き届ける理由はない。
「何を言い出すかと思えば。できるわけないだろ」
「……ぇへへ……だょね……」
「当たり前だ」
冷たくそう吐き捨て、ジンは地に伏したレーラを睨みながらさらに言葉を続けた。
「今さら俺の身体にかじりついて吸血したいだと? そんな体力が残っているようには到底見えん」
そう言ってジンは、両手でレーラの背中と頭をそれぞれ支え、もう胸元から上しか残っていない彼女を抱き起こした。
「口移しなら、飲めるな?」
「……へ? ……ぅ、ぅん……」
レーラの返答を聞いてまもなく、ジンは自身の口をレーラの口と重ね合わせた。
何が起きたかわからず、目を見開いて困惑するレーラ。しかし、彼の口から伝わってくる甘美で幸福感に満ちた味覚が、徐々に彼女の思考能力を奪っていった。
ジンの口内の傷から溢れてくる血液が、唾液と混じってレーラの口へ。それをじっくりと味わおうと、レーラはそっと目を閉じて味覚にすべての神経を集中させた。
量としてはほんのひと啜りかふた啜り程度。たったそれだけであっても、最愛の人から施された最後の晩餐に、レーラは永い生涯における幸福の絶頂を感じていた。
やがて、二人の唇が離れる。そうして目を開けたレーラの視界には、変わらず仏頂面で自分を見下ろすジンの表情が今度こそはっきりと映ったのだった。
「……飲ませてくれるなんて……ぉもゎなかった」
「屈辱的で仕方ないがな。だが、お前は俺の期待以上の戦果を上げた。この程度の報酬くらいならと思っただけだ」
「もぅ……なんで最期だけゃさしくするの……? そんなふぅにされたら……もっとゎがまま……言ぃたくなる、じゃなぃ……」
「なんだ、言ってみろ。あと一つだけ特別に聞いてやる」
「ぅん――」
ジンの腕の中でみるみる身体を燃やされながら、レーラが声を絞り出す。
その声を聞き逃すことがないよう、ジンは顔を近く寄せてレーラの言葉を待った。
「――じゃぁ……殺して?」
その一言に時間が止まる。それは、レーラがジンと最初に会った日、彼女が初めて彼へ投げかけた願いと同じものだった。
「このまま燃え尽きたら……ぁたしはあの竜殺しと相打ちに……なっちゃぅでしょ? ジンは『勝て』って言ったのに……『相打ち』じゃ、命令違反に……なっちゃう」
レーラの言葉は、徐々に泣きそうな色へと変わり震えが増していく。
それをジンは、やはり表情一つ変えることなく聞き届けていく。
「ジンがぁたしを殺せば……ぁたしは竜殺しに殺されたことには、ならない……でしょ? ……ぁたし、もぅ……ジンとの約束……破りたく、なぃの……」
ジンは何も答えなかった。
御旗の炎で燃え尽きる前にジンがレーラにとどめを刺せば、彼女を殺したのは御旗ではなくジンになる。表面上は確かにそうかもしれないが、こんなものはただの屁理屈だ。言葉の綾だ。単なる気休めだ。レーラに致命傷を与えたのが御旗であるという事実が覆るようなことではない。
しかし、そんな屁理屈にすら縋りたくなるほど、レーラはジンとの契約に固執していた。彼の駒として彼の命令に完璧に従うという姿勢を貫きたいのだ。
「……だから……ぉ願い……」
それほどまでに、彼女は彼のことを愛しているのだ。
「…………わかった」
ようやく返答したジンが、もはや首から上だけを残したレーラを地面へ横たえる。
そして左脚を庇いながらよろよろと立ち上がると、ジンは腰から拳銃を抜き、レーラの眉間へと照準を合わせた。
「お前は勝った。あの"竜殺しの英雄"に。この世界で最も強大な宿敵に。この事実は、他の誰が認めなくとも、俺だけは永遠に記憶しておいてやる……それで満足か?」
「ふふ……ぁりがと。これ以上のしぁわせは……なぃわ」
そう言ってレーラは目を細め、辛うじて笑顔を作り出す。
それを見下ろしたジンは、右手に握った拳銃の撃鉄をそっと起こした。
「じゃぁ……ぉゃすみ」
「…………ああ」
火薬の弾ける音。少し遅れて、薬莢の転がる音。
煙の立ち込めるクレーターの底。不死の鬼はついに、愛する男の手によってその永遠の命を終えたのであった。
次回、最終話です。




