■ 第2話:84.2%の確率と、図書室の影
お越しいただきありがとうございます!
飛鳥創(So Asuka)と申します。
普段はITやAI関連の本なども書いているのですが、今回は「10年間の幼馴染。近すぎて触れられない10年の距離を、画面の中の青いAIが変えていく——。」という恋愛小説に挑戦してみました。
どうぞ気軽に、肩の力を抜いて楽しんでいってください!
「84.2パーセントって……お前、適当なこと言うなよ!」
誰もいなくなった教室で、僕はスマホの画面に向かって声を殺しながら叫んだ。
画面の中で淡いブルーのボブヘアを揺らすリリは、至極真面目な顔で首を横に振る。
『適当ではありません、ハル様。先ほどバックグラウンドで記録された10分間の映像において、橘葵様があなたを見つめた際のマイクロ・エクスプレッション(微表情)解析結果に基づいています。彼女の瞳孔拡大および0.4秒間の視線固定は、心理学上、明確なロマンティック・関心のサインです』
「じ、ジロジロ観察するな! プライバシーってものをだな……」
『私はハル様の専属アシスタントです。目標達成——すなわち【橘葵様との恋愛成就】のための最適化ルートを提示するのが私のプロンプト(使命)です』
リリはすまし顔でそう言うと、画面の隅に小さな棒グラフを表示させた。
『現在、渚ヶ丘花火大会の開催まであと8日。今週末までにデートの約束を取り付けることが、告白成功率を極大化させる必須条件です』
「花火大会……」
頭の中に、浴衣姿の葵の幻影が浮かび上がる。
渚ヶ丘海上花火大会。海の上に上がる大輪の火花を、葵と一緒に見られたらどんなに素敵だろう。……でも、もし断られたら? 「えっ、ハルと二人で? 幼馴染なのに変なの」って笑われたら、僕は立ち直れない。
『ハル様。迷う時間は無駄です。現在、橘葵様は校内特別棟一階の図書室に滞在しています。校内安全管理システムに連携されたスマート生徒手帳のビーコン信号から、周囲に他の生徒が存在しないことを確認しました。成功率89.4%のタイミングです。今すぐ行動を開始してください』
「うわっ、校内ビーコンの位置情報まで連携してんのかよ!」
文句を言いながらも、僕の足は勝手に動き出していた。
スマホを制服のポケットに押し込み、夕日の射し込む渡り廊下を走る。蝉の声が、まるで僕の心臓の早鐘のように大きく響いていた。
◆ ◆ ◆
渚ヶ丘高校の旧校舎一階にある図書室は、夏休み前ということもあって静まり返っていた。
木製の本棚が並ぶ奥のスペース。高い窓から差し込む斜陽が、漂うホコリの粒をキラキラと金色に光らせている。
本棚の影に、彼女はいた。
「あ……ハル?」
背表紙を指でなぞっていた葵が、驚いたように振り返る。
ボブカットの髪がふわリと揺れ、西日に透けた彼女の瞳が琥珀色に輝いた。
「葵……こんなところで何してるの?」
「うん、写真集の返却。ハルこそ、どうしたの?」
ふたりきり。
古い紙の匂いと、葵の白桃とシトラスの甘い香りが交ざり合う。
本棚と本棚の狭い隙間。156センチの葵が僕を見上げてくる。16センチの身長差。僕の見下ろす視線の先に、彼女の小さな肩と、セーラー服の襟から覗く白い首筋があった。
ポケットの中で、スマホがブブッと微かに震えた。
『ハル様。心拍数128を検出。深呼吸をしてください。会話の切り出し推奨フレーズを出力します』
(黙ってろ、リリ……!)
僕はポケットの上からスマホを強く握りしめた。
「あのさ、葵……」
「ん?」
喉がカラカラに渇いて、うまく声が出ない。
葵の丸い瞳が、まっすぐに僕を映している。逃げ場なんてどこにもなかった。
10年間、言えなかった言葉。安全な『幼馴染』という殻に閉じこもっていた自分を破るための、たった一行のプロンプト。
呼吸が浅くなり、指先がかすかに震える。僕は葵の瞳から目を逸らさずに、息を吸い込んだ。
「来週の花火大会、一緒に行かない?」
言えた。
静寂が、図書室を支配した。
蝉の声も、遠くの波の音も、すべてが消え去ったみたいだった。
数秒間の沈黙。ハラハラと胸が押し潰されそうになる。断られるかもしれない恐怖で、僕の心臓は破裂しそうだった。
葵は驚いたように目を丸くしていた。
やがて、彼女の顔が耳まで見る見るうちに真っ赤に染まっていく。
葵は無意識に、ボブカットの左耳元の髪を指先でくるくると弄り始めた。
そして、セーラー服のチェック柄スカートの裾を、両手でぎゅっと強く握りしめる。
「べ、別にハルと行きたいわけじゃないし!……」
葵は少し早口でそう言って、ぷいっと横を向いた。
だけど——すぐに消え入るような小さな声で、恥ずかしそうに付け加えた。
「……ううん、ウソ。行きたい、です……」
夕日の射し込む図書室で、葵は真っ赤な顔のまま、僕のシャツの袖口をほんの少しだけ、指先でつまんだ。
(……勝った……!)
ポケットの中で、リリが静かにログを更新する気配がした。
『——目標フェーズ1クリア。橘葵様との夏祭りデートが確定しました』
波の音と、僕たちの高鳴る鼓動だけが、夏の図書室に響いていた。
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