第四話 開業準備開始!
一年に及ぶ旅を終えた翌朝。
アルトリア王国の王都を見下ろす小高い丘で、夢野は大きく背伸びをした。
「よーし!」
勢いよく拳を突き上げる。
「今日からいよいよ開業準備だ!」
『ぷるっ!』
肩に乗ったリルも元気よく跳ねる。
その隣では、エルダがゆっくりと翼を畳みながら夢野を見下ろしていた。
「随分と機嫌が良いな。」
「そりゃそうだよ。」
夢野は嬉しそうに笑う。
「一年かけて勉強してきたんだから。」
背負っていた鞄から、大切そうに一冊の本を取り出す。
革張りの表紙には、大きく《モンスター図鑑》と刻まれている。
ページの隅々まで書き込まれた文字。
自分で描いた拙い挿絵。
何度も書き直した跡。
この一年で積み重ねてきた知識と経験、そのすべてが詰まった一冊だった。
「もちろん、まだ知らないことは山ほどある。」
「でも。」
夢野は図鑑をそっと抱きしめる。
「これなら、ようやくスタートラインには立てる。」
エルダは満足そうに頷いた。
「お主ならそう言うと思っておった。」
「まずは病院を作らないとね。」
夢野は王都へ視線を向ける。
朝日に照らされた城壁の向こうには、この国で最も栄える街並みが広がっていた。
「さて。」
「どこで開業する?」
エルダは迷うことなく答えた。
「王都だ。」
「やっぱり?」
「人が最も集まる。」
「モンスターと共に暮らす者も最も多い。」
「病院を開くには最適であろう。」
夢野は笑って頷く。
「奇遇だね。俺も王都がいいと思ってた。」
「じゃあ決まりだ!」
◇
アルトリア王国王都。
大きく開かれた正門には、朝から多くの人々が行き交っていた。
商人。
旅人。
荷車を引くホーンボア。
荷物を軽々と運ぶゴーレム。
人とモンスターが当たり前のように助け合いながら暮らしている光景は、一年経った今でも夢野の胸を躍らせる。
「何回来てもいい街だなぁ。」
「栄えておるからな。」
エルダが静かに答える。
二人と一匹が門へ近付くと、門番がその姿に気付き、目を見開いた。
「こ、古竜様!」
その一声で周囲の空気が変わる。
門番たちは一斉に背筋を伸ばえ、深々と頭を下げた。
「おはようございます!」
「本日もお越しいただきありがとうございます!」
エルダは軽く頷く。
「うむ。」
「入るぞ。」
「もちろんでございます!」
「どうぞお通りください!」
門は何の確認もなく開かれた。
夢野は思わず苦笑する。
「本当に顔パスなんだ……。」
「当然だ。」
エルダは平然としている。
「今さら我を止める者などおらぬ。」
街へ入ると、今度は通りを歩く人々が次々と足を止めた。
「あれ……古竜様だ。」
「今日は王都へ来られたのか。」
「隣にいるのは……。」
「噂の人間じゃない?」
「古竜様と一緒に旅をしてるっていう。」
あちこちからそんな声が聞こえてくる。
子どもたちは目を輝かせながら手を振り、大人たちは敬意を込めて頭を下げる。
エルダは慣れた様子で軽く頷き返すだけだった。
その姿はまるで、この国を長年見守ってきた守護者そのものだった。
「……改めて思うけど。」
夢野は小さく笑う。
「エルダって、本当にすごいドラゴンなんだね。」
「今さら気付いたか。」
「旅の途中から薄々思ってたけど。」
「ここまでとは思わなかったよ。」
エルダは少しだけ口元を緩める。
「長く生きておれば、この程度は普通だ。」
「普通じゃないと思うけどなぁ。」
『ぷる♪』
肩の上のリルも同意するように小さく震えた。
夢野は笑いながら街並みを見渡す。
「さて。」
「まずは病院になる建物を探そう。」
「診察室があって。」
「待合室もあって。」
「できれば入院できる部屋も欲しいな。」
「欲張りだな。」
「夢は大きい方がいいでしょ?」
夢野の言葉に、エルダは静かに笑う。
「うむ。」
「それでこそ、お主だ。」
古竜と、一人の獣医。
そして肩の上でぷるりと揺れる、一匹のヒールスライム。
異世界初のモンスター専門病院を目指す夢野の開業準備が、いよいよ始まるのだった
◇
王都を歩き回って半日。
夢野は何軒もの空き家や空き店舗を見て回っていた。
「うーん……。」
「狭いなぁ。」
「ここも診察室が一つしか作れないか。」
理想は、人とモンスターが安心して来られる場所。
待合室があり、診察室があり、必要なら入院もできる。
そんな病院を思い描いている夢野には、どれも決め手に欠けていた。
「贅沢を言い過ぎではないか?」
エルダが呆れたように言う。
「最初は小さく始めてもよいのではないか。」
「いや。」
夢野は首を横に振る。
「後から増築する方が大変なんだ。」
「最初からある程度考えておいた方がいい。」
「ふむ。」
エルダは小さく頷いた。
しばらく歩いたその時だった。
「……ん?」
夢野の足が止まる。
街の外れ。
人通りも少ない一角に、一軒の建物が建っていた。
いや――。
正確には、建っていた跡と言った方が近い。
外壁はひび割れ。
窓ガラスも何枚か割れている。
看板は色褪せ、文字もほとんど読めない。
「ここ……。」
夢野は建物へ近付く。
中を覗くと、埃は積もっているものの、間取りは意外としっかりしていた。
広い待合室。
奥には診察室と思われる部屋。
さらにその奥には個室がいくつも並んでいる。
「これって……。」
夢野は目を輝かせた。
「昔、診療所だった建物じゃない?」
「そのようだな。」
エルダも静かに見渡す。
「人間用の診療所であろう。」
「今は使われておらぬようじゃ。」
夢野は建物の中を歩き回る。
「掃除は必要だけど……。」
「壁も直せばまだ使えそうだ。」
「診察室もそのまま利用できそうだし。」
「待合室も十分広い。」
夢野は思わず笑顔になる。
「ここだ。」
「ここにしよう!」
◇
話を聞くと、その建物は現在も王都の管理下にあり、売却は可能とのことだった。
しかし。
「……高い。」
提示された金額を見た夢野は固まった。
「こんなの払えないよ……。」
元の世界へ帰れる保証もなく、この一年は旅ばかり。
当然、大金など持っているはずもない。
「ふむ。」
横で聞いていたエルダが静かに口を開く。
「ならば我が払おう。」
「……え?」
夢野は固まる。
「いやいやいや!」
「そんな悪いよ!」
「気にするな。」
エルダはあっさりと言った。
「治療費だ。」
「……まだ何も治療してないけど?」
「暇病の治療は始まっておる。」
真面目な顔で言う。
「毎日退屈せずに済んでおるからな。」
「これは先払いというやつだ。」
夢野は思わず吹き出した。
「そんな治療費ある?」
「ある。」
エルダは即答する。
「それに。」
古竜はさらりと続けた。
「巣に眠っておる財宝など、我には使い道がない。」
「必要ならいくらでも出せる。」
「……スケールがおかしい。」
夢野は苦笑しながら頭を下げた。
「ありがとう。」
「必ず、この病院でたくさんの命を救うよ。」
「うむ。」
エルダは静かに頷いた。
こうして、夢野たちは王都の外れにある廃診療所に場所を決め、購入することとした。
◇
「それでは最後に。」
役場の職員が書類を確認する。
「土地と建物の所有権移転は、これで完了です。」
「ありがとうございます!」
夢野は嬉しそうに頭を下げた。
これで病院になる建物は手に入った。
あとは開業の許可だけ。
「では、こちらが開業申請書になります。」
夢野は必要事項を書き込み、職員へ差し出した。
ちなみにエルダは役場へ入れない。
古竜の身体では建物に入ることすら難しいため、今は役場の外で待っている。
肩の上にいたリルも、エルダと一緒に留守番中だ。
「では、申請書を確認します。」
職員は書類へ目を落とした。
「えーと……。」
「モンスター専門病院?」
手が止まった。
「はい。」
夢野は笑顔で頷く。
「モンスターだけを診る病院です。」
職員は無言で夢野を見つめる。
もう一度書類を見る。
「…………。」
沈黙。
やがて職員は深く息を吐いた。
「申し訳ありません。」
「そのような施設は認可できません。」
「……え?」
夢野は目を瞬かせる。
「前例がございませんので。」
「モンスター専門病院など聞いたこともありません。」
「規則にも存在しません。」
「ですので――」
職員は申し訳なさそうに頭を下げた。
「開業は認められません。」
「…………えぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
夢野の悲鳴が役場中に響き渡った。
【本日の診療記録】
なし 開業準備中です!!
次回の診療予定:なし 開業準備中です!!




