第五話 古竜様の顔パスは国王まで
役場の扉が開き、夢野は肩を落としたまま外へ出た。
「はぁ……。」
思わず大きなため息が漏れる。
役場の前では、巨大な古竜エルダが静かに待っていた。
その周囲には遠巻きに人だかりができている。
衛兵たちは姿勢を正し、通りを歩く人々も足を止め、敬意を込めて頭を下げていた。
肩の上ではリルが夢野に気付き、嬉しそうにぷるりと震える。
『ぷるっ♪』
「遅かったな。」
エルダが静かに声を掛ける。
「うん……。」
夢野は苦笑いを浮かべた。
「土地は買えたよ。」
「でも、病院は開けないって。」
エルダは静かに夢野を見下ろす。
「理由は。」
「前例がないからだって。」
「モンスター専門病院なんて存在しないから、認可できませんってさ。」
夢野は肩をすくめた。
「世界初だから仕方ないよ。」
「別の方法を考え──」
「そうか。」
エルダは短く頷くと、そのまま王城の方角へ顔を向けた。
「少し待っておれ。」
「……え?」
「すぐ戻る。」
「え、エルダ?」
夢野が呼び止めるより早く。
ばさり。
巨大な翼がゆっくりと広がった。
周囲から一斉に歓声が上がる。
「古竜様だ!」
「飛ばれるぞ!」
強い風が吹き抜ける。
次の瞬間。
エルダは大空へ舞い上がり、真っ直ぐ王城へ向かって飛び去っていった。
「…………。」
夢野はぽかんと口を開けたまま、その姿を見送る。
「どこ行ったの?」
『ぷる?』
リルも首を傾げるように身体を揺らす。
夢野は困ったように頭を掻いた。
「『待っておれ』って言われても……。」
「何する気なんだろ。」
その答えを知る者は、まだ誰もいなかった。
◇
王都の中心にそびえ立つアルトリア王城。
その上空へ、一つの巨大な影がゆっくりと近付いてくる。
「……あれは。」
城壁の見張り兵が目を見開いた。
「こ、古竜様だ!」
その一声が城内を駆け巡る。
「古竜様がお越しになられたぞ!」
「至急、陛下へご報告を!」
城内は一気に慌ただしくなる。
騎士たちは整列し、使用人たちは慌てて廊下を走る。
やがて王城前の広場へ、エルダは静かに降り立った。
その姿を見た騎士団長が深々と頭を下げる。
「ようこそお越しくださいました、古竜様。」
「陛下へお伝えしております。」
「少々お待ちください。」
「うむ。」
エルダは静かに頷いた。
間もなく、王城の大扉が開く。
豪華な衣をまとった一人の男が姿を現した。
アルトリア王国国王、レオニス。
国王は玉座ではなく、自ら城門まで足を運び、恭しく頭を下げる。
「古竜様。」
「本日はどのようなご用件でしょうか。」
エルダは回りくどい前置きなどせず、静かに告げた。
「一人の人間が、モンスター専門の病院を開こうとしておる。」
国王は静かに耳を傾ける。
「じゃが、役場は前例がないという理由で認可せなんだ。」
「……左様でございましたか。」
「ならば。」
エルダは国王をまっすぐ見据えた。
「我は、その病院を認める。」
その一言だけだった。
国王は即座に頭を下げる。
「承知いたしました。」
「直ちに役場へ通達いたします。」
「病院の開業を認可するよう命じましょう。」
「うむ。」
エルダは満足そうに頷く。
「助かる。」
「いえ。」
国王は穏やかに微笑んだ。
「古竜様がお認めになった方ならば、我が国としても歓迎いたします。」
「むしろ、この国にとって大きな力となりましょう。」
エルダは短く頷くと、翼を広げた。
「では、戻る。」
「はい。」
「またいつでもお越しください。」
再び大きな翼が羽ばたく。
古竜は悠々と空へ舞い上がり、役場の方角へ飛び去っていった。
その姿を見送りながら、国王は小さく笑う。
「ふふ……。」
「古竜様が自ら人の頼み事をされるとは。」
「よほど気に入られた人間なのであろう。」
そう呟くと、国王は隣に控える宰相へ視線を向けた。
「すぐに役場へ勅命を。」
「『モンスター専門病院』の開業を認可する。」
「異論は認めぬ。」
「はっ!」
宰相は深く頭を下げ、足早に城を後にした。
◇
役場の前。
夢野は石段へ腰掛け、ぼんやりと空を見上げていた。
「遅いなぁ……。」
隣ではリルも同じように空を見上げている。
『ぷる。』
「本当に何しに行ったんだろ。」
その時だった。
ばさっ。
ばさっ。
聞き慣れた羽ばたきが空から響く。
巨大な影がゆっくりと役場の前へ降り立った。
「戻ったぞ。」
何事もなかったかのようにエルダが言う。
「おかえり。」
夢野は立ち上がった。
「どこ行ってたの?」
「王城だ。」
「……え?」
「王へ話をしてきた。」
夢野は一瞬、言葉を失う。
「え?」
「病院の件だ。」
「認可するよう頼んでおいた。」
「…………。」
夢野の頭が止まる。
「えっと……。」
「国王に?」
「うむ。」
「会えたの?」
「会えた。」
「……話したの?」
「話した。」
「許可は?」
「出た。」
「…………。」
夢野は頭を抱えた。
「情報量が多すぎるよ!」
エルダは静かに首を傾げる。
「そうか?」
その時だった。
「夢野様!」
役場の扉が勢いよく開く。
先ほど対応していた職員が血相を変えて飛び出してきた。
「先ほどは大変失礼いたしました!」
「王城より勅命が届きました!」
「モンスター専門病院の開業を正式に認可いたします!」
深々と頭を下げながら認可証を差し出す。
夢野は呆然と受け取った。
「……本当だった。」
「だから言ったであろう。」
エルダは静かに頷く。
「話は済む、と。」
「いや、済みすぎだから!」
夢野は思わず叫んだ。
◇
その日の夕方。
三人は購入した診療所へ戻ってきていた。
埃の積もった待合室。
割れた窓。
軋む床。
修理しなければならない場所があちこちにある。
「やることいっぱいだな。」
夢野は室内を見回しながら笑う。
「掃除をして。」
「家具を揃えて。」
「診察台も必要だし。」
「薬を置く棚も欲しい。」
考えれば考えるほど、やることは増えていく。
その時、夢野はふと思い出した。
「あ。」
「どうした。」
「エルダ。」
「その姿のままだと、ちょっと困るかも。」
「困る?」
「患者さんが来ても、みんな緊張しちゃうと思う。」
「病院に古竜がいたら、安心する前に腰を抜かしそう。」
エルダは少し考え込む。
「……それもそうだな。」
「何とかならない?」
「なる。」
「え?」
「人になればよい。」
「…………。」
夢野は嫌な予感がした。
「今、何て?」
「人になればよい。」
「……なれるの?」
「なれる。」
「古竜じゃからな。」
「その程度は造作もない。」
そう言うと、エルダの身体が淡い金色の光に包まれた。
巨大な身体がみるみる縮み。
黒い翼が光へと溶けていく。
長い尾も姿を消し、やがて眩い光が静かに収まった。
そこに立っていたのは、一人の女性だった。
腰まで届く艶やかな黒髪。
黄金色に輝く瞳。
頭には古竜だった頃の名残を思わせる、小さく美しい二本の角。
凛とした佇まいに、どこか神秘的な雰囲気を纏っている。
その姿は、思わず息を呑むほど美しかった。
しかし、その落ち着いた眼差しだけは、夢野の知るエルダそのものだった。
「これで問題あるまい。」
いつもと変わらぬ静かな声。
夢野は口を半開きにしたまま固まる。
「…………。」
「…………。」
「エルダ。」
「なんだ。」
「美人すぎない?」
エルダは不思議そうに首を傾げた。
「そういうものか?」
「そういうものだよ!」
夢野は思わずツッコミを入れる。
「古竜って人になるとこんな美人なの!?」
「我だからではないか?」
さらりと言われ、夢野は苦笑した。
「そういうことにしておくよ。」
『ぷるっ♪』
リルは嬉しそうに跳ねると、女性姿のエルダの肩へぴょんと飛び乗る。
エルダは優しくリルを撫でた。
その光景を見て、夢野は思わず笑みを浮かべる。
「うん。」
「これなら患者さんも安心して来られそうだ。」
「そうか。」
エルダは静かに頷いた。
異世界初のモンスター専門病院。
その開業の日は、もうすぐそこまで迫っていた。
【本日の診療記録】
なし 開業準備中です!
次回の診療予定:ついに開業へ!




